<100万加入達成後の販売戦術>
ソフトバンクがDSLサービスを始めた次の年の2002年夏、(9月の100万加入達成を目前にした頃だから8月であったと思う)ソフトバンク孫正義氏はひと夏を電話セールスによりADSLサービスを販売する手法に熱心に取り組んだ。ADSLサービス開始当初のサービス開始が滞り、溜りにたまった顧客申し込みがようやくサービス開始して一段落し、その後安定的に顧客が増加し続けてはいたが株主に約束した300万顧客(これは累積黒字化をも意味する)、あるいは最重要の目標である単年度損益分岐点の200万顧客までの伸び率が思ったほど上昇せず、孫正義氏は過労で引きこんでなかなか治らない夏風邪を押して次の販売手法は何かと日々考えに考えていた。
{考えても疲れない}
孫正義氏の経営スタイルは何点かの特徴を持つが、もっとも特徴的なことは、この長時間考え続けるという事だろうと思う。とにかく朝早くから夜遅くまで考えに没頭する。当然疲労困憊して夜は酒でも飲んでリラックスしたくなるのが並の経営者であろうが、この人はますます多幸感に包まれる。日常接していると彼が一見恍惚となって考えを説明するシーンを何度も目撃することになる。
<多変数解析>
今でこそ携帯電話のテレビコマーシャルを大々的に継続的に打っているソフトバンク孫正義氏ではあるが、当時はテレビ広告などに金を使う事を「笊で水を掬うものだ」との認識を持っており、そういった発言もしばしば幹部会議では聞かれた。彼は、ADSL販売促進にテレビ広告などを使う気持ちは毛頭なく、もっと具体的な直接的手ごたえのある販売促進手法を求めていた。
彼の言葉では「科学的販売手法」を構築するという事で、幹部会議でも「多変量解析」なる統計学用語が気に入り連発して販売促進を「科学」することに取り組んでいた。統計学上の厳密な意味での「多変数解析」を適用するのではなく、売れる為の要因分析をグラフからアナログ的に読み取る手法である。例えば街頭販売ではどの曜日が売れるのか、朝昼夜のどの時間帯がもっとも売れるのか、県ごとに特性があるのか、地下街がよいのか鉄道駅構内がよいのか、繁華街のコーナーがよいのかあるいはちょっと外れがよいのか等々、考えられる限りのこれらの販売パターンを変数と呼び、「多変量解析」を孫正義流用語として社内で多用していた。この分析に、この夏の幹部会議は多くの時間を費やした。日本全国各地からの販売データをグラフ化して販売動向を探ろうとしたわけである。この「多変量時解析」の成果がパラソル営業へとつながっていく。
{米国の伝説的セールスマンの著作に入れ込む}
ある時は米国の伝説的セールスマンの現した書籍(書名は失念した)に感銘を受け、その本を全社員に配布して全員に感想文を書かせるなど、とにかく顧客販売手法に腐心していた時期があった。この本の中には、著者が顧客の誕生日に合わせてコンタクトするなどの手厚い営業エピソードが書かれていた。
思うにADSLサービス開業まで孫正義氏は対面販売が必要なB TO C ビジネスの経験がなく、ADSLビジネスで初めて顧客販売手法に頭を巡らせたのではなかろうか。客観的に見る限りは、こうした「科学的」アプローチが功を奏したというより、寝食を忘れた様々な総合的努力が実を結んだのだと思うが、とにかく当時は有効な手法に関心を持っていた頃だった。
<台風作戦>
手ごたえのある販売促進手法を探し求めていた彼は、2002年夏にある電話セールスを得意とする企業が提案してきた手法に非常に興味を示した。この提案会社の社長は光通信の元幹部であり、こうした販売手法を身をもって実践してきた人だ。電話セールス対象の数から統計的に何パーセントの獲得率が得られるかを過去の実績によりその企業の社長からプレゼンされた孫正義氏はその提案に全体重をかけて乗った。獲得数が算数でが予測できる
私のほか数名が社長室に呼ばれて入ると孫正義氏が何かのアイデアに入れ込んでいるときに見せる、特有の少し興奮気味の表情で、電話販売作戦について語り、その後このアイデアを実行に移すための段取り指示が関係幹部を総動員して始まった。孫正義氏の経営スタイルの根幹をなす熱中に火がついた。
丁度その頃は台風シーズン到来直前で「台風作戦だ」とネーミングの好きな彼の口からとっさの作戦名がでるほどで、九州の鹿児島から電話セールスを始めて徐々に北東に進み最後は北海道で終わる作戦を描いていた。(実際はやはり首都圏中心の展開になったのだが、そして台風作戦なる命名も尻すぼみに消えた)
電話対象顧客と獲得数の関係が提案会社社長の命名した「決着率」という数字で出るところが先ほどの「科学的販売手法」の趣旨と一致したためにその電話販売会社のプレゼンが見事にツボに入ったのだ。こうした販売手法では一定の顧客獲得確率を示すのが不通で特段科学的というほどではないのだが、とにかく投資に対するリターン(獲得数)が見えるところがミソであり、テレビ広告よりもはるかに先の数字が読めるとの感触を得たわけだ。
冷静に考えると、ありふれた電話販売である。しかし孫正義氏が科学的手法だと思い込んで、まさに24時間それを先頭に立って言い続けていると全社がその気になってくる。そのあたりやはり特異なリーダーの才能とそれによって形成された優れた会社風土と言わざるを得ない。(ある種の提案に惚れ込むというのも彼の大きな特徴である)
その日の夜7時からから新宿にあるその電話販売企業のコールセンターに夜ごと日参してその方法や成果を検討・討議する日々が始まった。コールセンターの業務が終了するころ、オペレータがまだ残っている同じフロアで孫正義氏が参加した作戦会議が始まる。時には孫正義氏自らオペレータの対応ぶりを横で聞き入っていた。7時ごろから夜食の弁当を喰いながら作戦会議は始まり、終わるのは夜の12時、1時といった事も珍しくない。実際に電話を掛けてセールスを行うオペレータはほとんどが学生やフリータなどの非常勤アルバイトであるが、彼らの内でも成績の良いものとそうでないものが自ずから分かれ、成績の優秀なバイトスタッフから孫正義氏は直接に熱心にそのノウハウや経験談を聞いた。20代前半のバイト君から直接に話を聞き、そこから成功にいたる話法をつかみ、普遍的な要素をコールセンターの全スタッフに横展開しようとしていたのだ。(横展開について実際の効果がどうだったかは記憶がない。熱中ぶりが尋常でなかったことがこのエピソードのポイントだ)
顧客獲得は電話販売した対象数に比例するのは確かだが問題はその獲得率で、ついで獲得した顧客がどの程度の間使ってくれるのかが利益を出すための大きなファクターになる。顧客一人当たりの予想売上高から見てどの程度の販売攻勢つまり費用が欠けられるかは常に気になるところで、まだ実績のないころの予測売り上げは結構高めに見積もられていた(3年分の売上相当)ため、周りの投資家や評論家、幹部からは甘すぎるのではないか見られていた。孫正義氏はその売り上げ額予測に十分な自信をみせていた。数年後の結果としを上回った。従ってこの夏に始まった電話販売戦略は費用も半端ではなかったが成果も十分あったということになる。
<パラソル営業>
そんな販売促進手法の模索の一環から駅構内や繁華街の歩道でのセールスを提案する幹部があり、その販売実績がよかったので徐々に拡大されていき、パラソル営業と呼ばれ、押し付けがましいといった非難も含めて社会現象となっていった。ロゴを染め抜いた白いパラソルの下にADSLモデムの入った紙袋を積み上げ、電通が作成したウインドブレーカーを着用したスタッフたちが「無料でお持ち帰りできます」と声を張り上げる。
この営業の特徴はその場でモデムを持って帰らせることであり、持ち帰ってゴミとして捨てられたりあるいは部品のみを売りさばく、あるいは外国に持って行って売りさばくなど場合によっては企業に致命的な懸案材料があり、幹部たちも一様に心配したがこれも結果的にそうした事故は僅少であった。
ある幹部会議でこうしたモデムの不当廃棄などのリスクが極めて少ないと報告された。「日本人は本当に正直だ」と述べた孫正義氏の一言が耳に残っている。このパラソル営業とモデム持ち帰りの考え方の原点が彼の少年時代の体験である「コーヒー只券」配布にあることは容易に推測できる。又、一方ではオーナー社長の度胸(モデムが廃棄された時に受ける損害を引き受けると言う)と見切り(社会問題にはなるが収束すると言う見切り)がなければ出来ないことだろうと思う。
NTTの和田社長(当時)は定例記者会見でソフトバンクとは肌が合わないなどと露骨にこうした経営マインドを嫌悪していたのはこのころではなかったか。KDDIの小野寺社長も後の周波数再配分問題で露骨に孫社長提案を一蹴したことからも推し量れるが、とにかく営業マインドが他社とはまったくあわなかったのは事実であり、他社はソフトバンクと孫正義氏のパラソル営業を恐らく品格がないと意識していたことと思われる。
{パラソル営業世界に}
しかし、その数年後2006年に世界漫遊に出かけた私はイタリアのボローニャやスペインのバルセロナの街角でもADSLパラソル営業を見かけたのには笑ってしまった。ソフトバンクと同じようなその場でお持ち帰り可能かどうかは確認できなかったがこういった営業手法は瞬く間に世界に広がる。
{パラソル営業とトラブル}
①既に顧客がNTT光収容回線になっているとメタル回線が前提のADSLサービスは受けられない。街角で申し込んだ人が自宅の回線の種類を知らなかったためだ。回線をメタルに変更する手続きが発生し、ここでサービスを断る人と変更する人に分かれるが変更するにはさらなる工事期間が必要となる。ISDN回線加入者も同様の回線変更が必要となり、変更に時間がかかることになった。
②アンケートに答えただけなのに、勝手にADSLモデムが送りつけられてきたというクレームが発生し、その対策にも追われた。販売代理店のスタッフが成果を焦るあまりに申し込みとした場合や、家族が申し込んでも回線名義人である両親などが認知していない場合などがあった。
③申込者本人が街角で申込用紙に記入するときに回線名義人を知らないケースが多かった。NTT工事依頼時に名義人不一致が多発してその解決に多くの稼働がとられることになる。
④お持ち帰りのモデムが悪意で捨てられたり、組織的に海外や裏市場に転売されたりするというリスクはあったが、結果的に多少のモデム逸失はあったが経営上大きなリスクになるほどには至らなかった。これはマーケティング史上で特筆すべきことだろう。しかし日本の国民性によるところが大で、これを米国などで行った場合はおそらく相当高いリスクを覚悟しなければならない。
2013年4月25日現在、ソフトバンクによる米国スプリントの買収の諾否の検討がFCCの元で進められている。ADSLと携帯は販売手法も異なるがこうした営業の根の部分は孫正義氏に不変のはずであり、米国の国民性というものへの配意が必要であろう。
<NTTは116を使って営業>
パラソル営業の全盛期のころ、営業が成果報告をしているときに、突然営業担当役員が、「NTTは116を使って営業している。我々は普通の11ケタ電話番号を使わねばならない。3ケタと11ケタでは不公平ではないか」と発言した。つまりソフトバンクも3ケタ番号を貰って営業するべきだと言う提案である。
私はNTT相互接続の責任者として「NTTは自らの回線に番号を付与している。我々も自前直収回線をもてば、3桁番号もつけられますよ」と一般論で答えるが、件の幹部氏は納得しない。そのうち孫正義氏までが、NTT東西のみが116などの覚えやすい番号を使い、営業までできるのはおかしい、不公平だといい出し始めた。すぐ総務省に行って解決策を考えてきてくれ、との指示だ。内心そう簡単ではないと思ったがこうなったらもう反論しても時間の無駄だ。一度言い出したら納得するまではあきらめない。
この幹部の発言の事実確認のために、注意して街を歩いていると、NTT営業所の前に大きなたて看板があり、「ブロードバンドは116へ」などの広告が目に付く。テレビコマーシャルなど、一瞬の間の訴求には3桁は確かに記憶しやすく、他の代替手段である着信無料ダイヤル番号より桁数でおぼえやすく訴求性ではるかに優位性がありそうだ。
総務省で電話番号問題を扱う「番号企画室」に出向き、ソフトバンクBBも3桁番号を使えないのかと質してみた。平成14年の総務省主催の「番号研究会」の報告によると、自網内でないと、つまり直収電話でないと3桁番号は使えないことになっている。ただし、今後開催される「番号研究会」では、この3桁問題を討議することは可能である。さらには、「番号企画室」としては、NTTとの公平性の担保も必要と考えているがそうすると全通信事業者に3桁番号を付与することになる。それには割り当て可能数が不足だ。従い、全事業者も含めて、4桁等の拡大番号にすることも検討したい旨の説明があった。
その後「番号研究会」が開かれ、ソフトバンクと、既にソフトバンクvが買収していた日本テレコムは3桁問題を提起したが、以外に他事業者に異論のあることがわかってきた。要約すると、「すでに各社着信番号が定着しており、それなりに、不都合もない。なんでいまさら、そんなことをするのか」との意見が出た。
同研究会の当問題に対する結論は、当面従来どおりとするが、3桁の優位性の測定と、もし、優位性が明らかである場合、今後4桁化等の全事業者の拡大とそれに伴う番号変更のデメリットの議論を引き続き検討することとなった。さてその後のフォローをしていないのでどうなったことだろう。
<余話1>
孫正義氏が寝ても覚めても販売手法に関心をもっていたころのこと、ある夜半に突如、電車の中つり広告とサムソンの液晶パネルに関連したアイデアを思いついた。4時になるのが待ち遠しくて始発電車に乗り込んで実地検分した話などを当日の幹部会議で聞いたのはこのころの事だ。氏にしてはめずらしく欠伸の多い日だった。
<余話2>
パラソル営業の全盛期、ウィンドブレーカーやパラソルセットのデザインを提案するために電通の担当者が様々な候補作品を廊下に並べていた。最終的に残ったのが赤と白を基調としたものだった。
<余話3>
このころテレビ広告にも着手した。広末涼子や藤木直人などがCMに登場したがいずれも短命で上戸彩が長期に継続している。この上戸彩採用はちょうどソフトバンクが周波数再編問題で注目された時だから随分長い。当時の孫正義氏のCMキャラクターの本命はキムタクか長嶋茂雄で、特に長嶋に関してはちょっと時代遅れだとの社内のコメントに対して「どこへいっても長嶋を悪く言う人はいないんだよ」といまだ絶大な人気を誇っていることを強調していた。
ホークスを買収して王貞治氏を監督に迎えたことなど、なんだかこの話と通じているような気がしてならない。つまりCMには長嶋茂雄→プロ野球がまだまだ宣伝効果が高い→王貞治率いるホークスが売りに出ている→買収の連想であるが果たしてどうか。