2016/2/4 写真入れ替え
(2007年4月8日掲載文を加筆訂正)
南米ペルーのクスコはマチュピチュ遺跡への中継地点として有名だ。この近郊へ遺跡めぐりをしたときのこと、途中でガイドに導かれて小さな村のアンティーク店に入った。この小さな店の一角にコロニアル時代のアンティークがほこりをかぶって雑然と置かれていた。そのなかに、異質なアンティークが目に付いた。
黒褐色で漢字や梅、笹、牡丹、杜若が浮き彫りされている。
左上部のかけたところは一見、象牙のように見える。中央は釈迦で周りは10大弟子に金剛力士像2体。左が弥勒で右が観音でそれぞれ6尊が囲む。金剛峰寺の弥勒は左手を挙げているが、これは右手を挙げている。観音も反対の手を挙げている。
漢字は「上求菩提」「下化衆生」とある。蝶番の扉をひらけると中から釈迦三尊像が現れた。精緻な浮き彫りだ。非常に硬い木で、金属のような重量感がある。浮彫の浮いたところから元来は鮮やかな朱色をしていたと推測される。
惹かれるものがあり、購入した。少し欠けた部分があり、その部分は象牙色をしている。重量も木製にしては随分思い。そのため当初この材質は象牙かと思った。帰国後、きれいに拭き清めたところ、なんと白檀の匂いがする。部屋の隅においていても匂ってくる。
調べてみると諸尊仏龕(しょそんぶつがん)という仏像形式で、枕本尊とも呼ばれ、弘法大師が招来した諸尊仏龕(下の写真)に同じかたちをしている。但し、さすがに金剛峰寺のこの国宝である諸尊仏龕はレリーフが深い。
このペルーで手に入れたものの作成年代は、下の写真 裏の刻印で「乾隆年制」とあり清朝だとわかるので、250年ほど前のものだ。
ちなみに年輪をみると連なっており、一本の木を三等分したものであることがわかる。
この諸尊仏龕がどうしてペルーのクスコの片田舎にあったのかは興味深い謎だ。ペルーの歴史によると、コンケスタドール以降、極端にインディオ人口が減り,労働力を清に求めたとある。そのときに中国人か、フランス人が持ち来たったのだろうか。中国人が持ち来たったとしたら、仏僧か。フランス人だとすると、骨董的な興味で裕福な奴隷商人が買い求めたものか。
枕本尊として遠いペルーまで持ち来たり、時と共に忘れ去られ、どこからかこの田舎の店にたどり着き、何者かが購入するのを長い間待っていたものとみえる。このような場所で、このような諸尊仏龕に興味をもつ観光客も滅多にいないだろうから、場合によっては他のガラクタと一緒に消失の憂き目にあっていたかもしれない。よい薫を漂わせてくれるこの諸尊仏龕、何かの縁だと思い大事にしている。
上からみると蓮の花。
ここらあたりのがらくた骨董屋。
こんな店の
この中に掘り出し物があった。