2回目の忘れらない春を迎えようとしてとしています。
3月11日に書こうと思っていましたが、この記事をたくさんの方に読んで頂きたいので、今日書くことにしました。
時間がありましたら、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
大量のファイルが積まれた僕の仕事場のデスクの引き出しにいつも大切にしている書類があります。
東日本大震災後、国が復興に向けた指針策定のため、復興構想について内閣総理大臣の諮問に基づき設置された政策会議の書類のコピーです。
共感できる素晴しいことが書いてあるので、一部抜粋して紹介したいと思います。
「復興への提言」~悲惨のなかの希望~
平成23年6月25日 東日本大震災復興構想会議
前文
破壊は前ぶれもなくやってきた平成23年(2011年)3月11日午後2時46分のこと。
大地はゆれ、海はうなり、人々は逃げまどった。地震と津波との二段階にわたる波状攻撃の前に、この国の景観は大きくゆがんだ。そして、第三の崩壊がこの国を襲う。言うまでもない、原発事故だ。
一瞬の恐怖が去った後に、収束の機を、もたぬ恐怖が訪れる。かってない事態の発生だ。かくてこの国の「戦後」をずっと支えていた“何か”が音を立てて崩れ落ちた。
(略)
これほど大きな災害を目のあたりにして、何をどうしたらよいか。
問題の広がりはあまりに大きく、ときに絶望的にさえなる。そのとき程度の差こそあれ、未曽有の震災体験を通じて改めて認識し直したことは何か、われわれはこの身近な体験から解法に向かうしかないことに気付くことだ。
われわれが誰に支えられて生きてきたかを自覚することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳をすませてみよう。
おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。人と人とをつなぐ、地域と地域をつなぐ、(中略)、東日本と西日本をつなぐ、国と国とをつなぐ。大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発見され、そこに復興への光が射してくる。
(略)
たとえば、東京は、いかに東北に支えられてきたかを自覚し、今そのつながりを持って東北を支え返さなければならぬ。西日本は次の災害に備える意味からも、進んで東北を支える支える必要がでてくる。そして、繋ぎ合い、支え合うことの連鎖から「希望」はさらに大きく人々の心にの中に育まれていく。
(略)
かくて「共生」への思いが強まってこそ、無念の思いを持って亡くなった人々の「共死」への理解が進むのだ。そして、一度に大量に失われた「いのち」への追悼と鎮魂を通じて、今ある「いのち」をかけがえのないものとして慈しむこととなる。
そしてこそ、破壊の後に、「希望」に満ちた復興への足取りを、確固たるものとして仕上げることができると信ずる。
以上、「復興への提言」~悲惨のなかの希望~前文より一部抜粋。
これが、「絆」という言葉の意味が込められた文章です。
あの春から2年を迎えようとしています。
やはり忘れることはできません。
今日の記事、どれだけの人が最後まで読んでくれたかな。
最後まで読んで頂いた方には、感謝申し上げます。
少しづつですが、東北が復興に向こうことを心から祈ります。
一緒に頑張ろう東北!
3月11日も、皆さんの想いを込めて愛パパが更新する予定です。
東北をみんなで支えよう! 愛ちゃんも応援しています!