源氏ゆかりの鎌倉。足利氏ゆかりの足利。
日本史に名を残す、両市は姉妹都市として長年、交流をしております。
「鎌倉」を討幕したのは、室町を開幕した「足利」かもしれません。
しかし、緑豊かな山に三方を囲まれ、南方に相模の海を望み、風光明媚な風景を持つ「武家のまち、鎌倉」に対して、われわれ足利市民は、ライバルというよりも尊敬や羨望の対象として友好的に鎌倉市を見ています。
日本史、地理学、都市計画論を語ると長く(くどく)なるので、このあたりで・・・。
モデル愛ちゃん、多忙なスケジュールの中、由比ヶ浜入り。
↓ 由比ヶ浜から望む海。白い波が打ち寄せます。
波を見つめる海カモメ。
愛「パパ、ここでモデルするの?」
愛パパ「そうだね。」
↓ 不敵な笑みのモデル愛。
愛も嬉しそうです。
・・・が、波が来て、足が海水に濡れたら怖がった。
(仕方ないので、)愛パパと愛のツーショットで撮影終了。
愛パパは嬉しいが・・・。愛ちゃんスマイル♪。
今日は東京で25℃以上の夏日を記録したそうです。
先週の土曜日の鎌倉も、汗ばむ春の陽光。
土曜日は、東京でも桜の開花宣言がされた日。
↓ 偶然、「さくら貝の歌」の碑を見つけました。
鎌倉はいいな。
鎌倉市民も足利市民も共通していることがあります。
日本史に名を残す町が故郷であることです。
お互いに人口もそれほど多くないけれど、源氏鎌倉と足利氏足利の「誇り高き市民性意識」は共通していると思います。
春の鎌倉・由比ヶ浜、材木座海岸を散策して、鎌倉を後にしました。
帰りは横浜を経由して帰りました。
横浜の景観は不思議なもので、丘陵地に張り付くように住宅街が密集して形成されています。高度成長時代に東京都への通勤圏としての開発が進んだことが想像される風景です。
伯父や伯母、従姉が、横浜市にいるものですから、10年ぶりに愛を連れて挨拶に寄りました。
10年ぶりに伯母さんに会いました。
毎年の年賀状で、愛のこと覚えてくれていて、
「愛ちゃんは、〇〇君(←愛パパ)の娘なのでしょ。」と、愛の名前を覚えていてくれました。
姉弟で4番目の伯父は、高校卒業後、足利を離れ、横浜に移り住みました。
父は8人姉弟で、当時、愛パパ一族は、牛乳屋を家族で経営していて生活が苦しかったからです。
父が6番目の子どもですが、横浜の伯父は4番目の子どもでした。
ですから、横浜の伯父は高校卒業後、横浜へ・・・。
父は6番目の子どもで、祖父母にお金もなくて、父は中学卒業すると、浅草に丁稚奉公に出されてしまいました。
愛パパは、小学生の頃、先生から「牛乳屋の孫」と呼ばれてました。コンビニの台頭により、牛乳屋は廃業に追い込まれてしまいました。
僕は商いやの孫で、山と川で遊ぶのが好きな普通の少年でした。
横浜に来ると、特別な思いに駆られるのも事実です。
横浜には、伯父伯母、従姉がおりまして、子どもの頃、遊びに来たので、思い出してしまいました。
お彼岸なので、牛乳屋の祖父を思い出した。天国で、元気にしてるかな。
横浜市の住宅街の風景を目に焼き付けながら、モデルの仕事を終えた故郷・足利に帰りました。
姉妹都市・鎌倉。また、愛を連れて遊びに行こうと思います。
長文にお付き合い頂きありあがとうございました。
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武家のまち、足利と友好姉妹都市の鎌倉です
横浜の丘陵の住宅街から春の夕日に映える富士山
(神奈川県横浜市戸塚区にて撮影)