マサの雑記帳

海、山、庭、音楽、物語、歴史、温泉、経営、たまに税について。

おすすめの芸談

2016-01-09 23:49:28 | 日記
 赤めだか 見ましたか?
正月休みに見たテレビは録画しといたこれくらいでした。

 談春役の二宮君もさることながら
志らく役の携帯電話の金太郎君(名前知らない)
のとぼけた感じ。つつじに謝る帝国重工のゴリライモ、など
役者ぞろいでした。

 大御所の小さんを師匠に持ちながら、破門された
落語界の異端児を描くのにふさわしく
ストーンズをBGMに使ったりして大変楽しめました。

 この「赤めだか」は2008年に刊行され、
当時ハードカバーで買い、一人楽しみ、放置。
帯には「談志、談春、師弟初の二人会」の
告知があったりして、結構売れていたのです。

 今回のドラマ化で、本棚の片隅でほこりをかぶっていた本も
二宮君ファンの家人の脚光を浴びました。
「なんで面白いって言ってくれなかったのよ」
ドラマを見ていない両親にも貸したところ
「初笑いだ」といたく好評でした。

 タケシは「落語はずるい。型があるからそこへ逃げ込める」
というようなことを以前言っていた記憶があり、
そのタケシが談志を演じることを引き受けたところに
「思い」があるんだろうな、と。
 
 それで、留年したあげくなんとか書き上げた
卒論を十数年ぶりに読み返しました。
「落語が生まれるまで」
実業に役立たない学部に5年も通ったあげく、寄席に通い
江戸の面影を探して歩き回り、
永井荷風を気取りつつ、話芸の歴史を探る
完成度の低いブラタモリのような文章を書いて、就職。
無駄だったな。

 でもその頃に小さん、談志、志ん朝、圓蔵・・
という人たちに生で笑わせてもらったこと、寄席の
色物芸のワンパターンと熟練を愛でる余裕を一時でも持てたことは
今となっては良かった。
 亡くなる直前のおばに、売れ出したころのきみまろのCDを安物の
ラジカセと共にあげて喜んでくれたこともあったし、
無駄の多い本棚から老境の両親に笑いのネタを提供できたし。
 あ、今、生で見たいのはピロキ・・ていうか真似してみたい。

 落語や寄席は面白かった。江戸の生活を垣間見ることができた。
文七元結やらくだ(団十郎と富十郎のらくだを見たことは今となっては自慢)
は歌舞伎の世話物にもなっている。
 江戸文化の下地に芳醇なユーモアとペーソスの世界があったこと、
それを追慕し続け「落語は人間の業の肯定だ」という
彼なりの結論(だと私は思う)に至った、談志のやせ我慢は
それ自体が落語だし、だから、評伝もドラマも面白くないわけがない。

 九鬼周三曰く「粋とは諦観に基づいた媚態」とのこと。
階級社会という制約の中で庶民も「分」を守ることは是としつつ
その不合理は理解している。その共通意識のなかで、反逆のためにじたばたするより、
受け入れ冷笑し、制約の中で美しく装う、というのが江戸という百万都市が
理想とした美意識。と私は理解している。

 この論旨に則り、粋になり切れない大多数の「諦観を持ちえない往生際の悪さ」
を「業」とするならば、「業の肯定」こそが落語だ、と言い切った談志の、
深い情が見え隠れする。

 話芸は論じるものではないし、その無粋さを分かったうえでなお
論じずにはいられなかった談志の
「現代落語論」「続現代落語論」
は、知的好奇心を満たしてくれると思います。

もっと単純に噺家の人生の面白さでいうと
古今亭志ん生「なめくじ艦隊」
小粋な噺家の芸談だと
桂文楽「あばらかべっそん」
をおすすめします。

「黒門町の師匠」なんていう呼び名、しびれる。
初めての給料で文楽師匠のいきつけだったという
神田川でウナギを一人で食べに行った。

池之端のやぶ、で寄席のはねた後の晩年の小さんと
一緒になったがサイン欲しいって言えなかった。

「赤めだか」は、そんな憧れが沢山あったころを思い出す
面白いドラマでした。