「いかに女房の目をかすめるか」
という旧友K君の大命題について考察する、
わけではないのであしからず。
働き方が変わり時間の融通は利くようになった反面
仕事とプライベートという区分は曖昧になった。
その結果、勤めていた時には出来ていた
「休日、プライベート、遊ぶ」
というシンプルな方程式に依存できなくなった。
マゾヒストの気があるのか、
縛られていたほうが解放の快感が大きかったように懐古する。
20年以上勤め人をしていたその習慣や喜びのツボは
なるほど一朝一夕に消えるものではない。
さりながら、今更菜々緒ちゃんに鞭で打たれることを
夢想して悶々とするわけにもいかぬ。
かくして中年男は如何にして日々に刺激をもたらそうかと思案し、
やはり新たな遊びにチャレンジするに如かずとの結論に達する。
しからば、新たな遊びとは何か?
そも遊びとは何ぞや?
やる気の起きない昼下がり、紀行文などをダラダラと読みながら
「あーあそびたいなー」とひとりごつのであるが
何をして遊びたいのかわからない。このようなことは初めてのような気がする。
釣り、バンド、バイク、クラブ通い、サーフィン、格闘技、登山、などが
過去に比較的にのめりこんだ遊びといえる。一方で
K君のようにマメでもないし、いい匂いがしないので、「大人のあそび」には
縁がなく、かといって夜な夜な繰り出すほどの甲斐性もなく、酒もさして強くない。
ゴルフの好きな経営者の方と話していて
「行こうよ」と誘って頂いたのに、もごもご言っていると
「じゃあ何して遊ぶの?あーおねえちゃんの店だ、はーん」
とニヤニヤされるので
「いえ、走ったり、あマラソンはしないです。アスファルトの上を走るのは
好きでなくて。軽く山登りしたり林の中をジョギングしたり。そういう大会もあってですね、こないだ・・」
とゴルフに対する弁解のつもりが
ダメな営業マンのずれたプライベート公開のようになってしまうんですねえ。ダサ。
「え、山で走るなんて危ないじゃない」
と仰るのに
「いえいえアスリートではないですし、かるーくなんで危なくはないですよ」
とも言い切れず、それ以上に
「あー素人のあんたが軽ーく怪我したら俺んとこどうすんの?迷惑なんだけど」
という言外の意もあろうと思えば、
「そうですよねえ」
と他人事のように相槌を打って胡麻化さざるを得ず。
自分が怪我病気した時、誰かにフォローを頼める体制とは
勤め人の時もさんざ命じられ、長ずるにつれ心がけてきたことではあるのですが
どこかで「集団における一兵卒の穴なんざ俺の自負と関わりなく勝手に埋まってしまう」
と思っていた部分もあります。半沢次長には怒られるでしょうが。
それでも、いざ顧客から暗に示唆されると
「俺はチームじゃないしなあ、プロとしては、危なっかしい遊びしてる人だな、と思われてしまうのかなあ」
と悩みつつPCに向かうのであります。
「あー思い切り遊びたい、でも何して遊んでいいか分からない」
幼児がこねる駄々のようなものです。結構苦しい。
こういうとき、皆さんどうしてるんでしょうかね?
とりあえず戻ってこられるように
目的地に向かうルートの先読みをして、自身の現在位置を適宜把握し、そのルートを維持する。
夏中、地図読みの座学と、里山を地形図片手に考えつつ歩くことを実践しました。
「高山でなくても遭難しますよー、熟練者も迷いますよー、でも迷うことを前提としてるので
迷ったときに気づくのが早くてリカバリーが早いんで、迷ったように見えない」
とアドベンチャーレーサーの田中正人さんの講座で教わったのが2月。
「地形図を見て、目の前に現れるだろう景色をイメージする、そうすると
その景色を早く実際に見たくて思わず走ってしまうんです」
と真顔で無邪気に言っていたのがとても素敵だなあと思った。
50代半ばのおじさんですよ。
ただタフで速いんじゃない。未知を確かめたい、クイズを解きたい、
ナビゲーションスポーツ、という言葉を初めて聞いたのもこの時でした。
明瞭なルートが大会運営者によって敷かれていれば、舗装、未舗装を問わず
身体能力のみに依拠するタイムレースとしての側面が強くなります。
体力と訓練時間に優位性のある若者や元アスリートといった人に敵うべくもなく、
趣味として一人山中を走るにしても、どこかでそのヒエラルキーの末端であることを意識してしまう。
人と比べる浅はかさを自嘲する。気を取り直して
俺は木々の爽やかさを感じることを主目的としているから、身体パフォーマンスの
向上なんざ関係ねえぜ、と粋がる。しかし
「じゃあ、じいちゃんばあちゃんと同じように、木々や花、鳥の声を愛で、のんびりお弁当を食べて
歩くほうが泰然として人として成熟しているのではないかい?」と
自ら反問してしまうのですよねえ。
未熟なんですね結局のところ。でも老成したくないと足掻きたい。
本当は面倒くさいから諦めたい。イタいなあ、我ながら。
そんな中、ひと夏かけてやった地図読みドリルはパズルみたいで面白かった。
仕事の休憩時間に少しづつやりました。次にその著者の師匠筋にあたる
日本のナビゲーションスポーツの泰斗、村越真氏のちょっと理屈っぽい
読図、ナビゲーションの本を読むと
「あーオリエンテーリングやってみたい!」と思いつく。
「いや、いっそアドベンチャーレースとか面白そう」と夢想する。
しかし、そもそもマイナーな遊びの上に、COVID19でイベントは中止ばかり・・
地図が読めれば山での危険は少し減らせるでしょう。楽しみ方も少し知的になる。
事業計画があっても、現在地点、時間管理ができなければ画餅に終わる。
地図とコンパスの関係のようです。
しかし遊びのリスク管理では、一人商売で顧客に迷惑をかける危険は減らない。
だから、苦手なチーム活動というのも少しはしていかなければならない、
のかもしれない。
はぁ
という旧友K君の大命題について考察する、
わけではないのであしからず。
働き方が変わり時間の融通は利くようになった反面
仕事とプライベートという区分は曖昧になった。
その結果、勤めていた時には出来ていた
「休日、プライベート、遊ぶ」
というシンプルな方程式に依存できなくなった。
マゾヒストの気があるのか、
縛られていたほうが解放の快感が大きかったように懐古する。
20年以上勤め人をしていたその習慣や喜びのツボは
なるほど一朝一夕に消えるものではない。
さりながら、今更菜々緒ちゃんに鞭で打たれることを
夢想して悶々とするわけにもいかぬ。
かくして中年男は如何にして日々に刺激をもたらそうかと思案し、
やはり新たな遊びにチャレンジするに如かずとの結論に達する。
しからば、新たな遊びとは何か?
そも遊びとは何ぞや?
やる気の起きない昼下がり、紀行文などをダラダラと読みながら
「あーあそびたいなー」とひとりごつのであるが
何をして遊びたいのかわからない。このようなことは初めてのような気がする。
釣り、バンド、バイク、クラブ通い、サーフィン、格闘技、登山、などが
過去に比較的にのめりこんだ遊びといえる。一方で
K君のようにマメでもないし、いい匂いがしないので、「大人のあそび」には
縁がなく、かといって夜な夜な繰り出すほどの甲斐性もなく、酒もさして強くない。
ゴルフの好きな経営者の方と話していて
「行こうよ」と誘って頂いたのに、もごもご言っていると
「じゃあ何して遊ぶの?あーおねえちゃんの店だ、はーん」
とニヤニヤされるので
「いえ、走ったり、あマラソンはしないです。アスファルトの上を走るのは
好きでなくて。軽く山登りしたり林の中をジョギングしたり。そういう大会もあってですね、こないだ・・」
とゴルフに対する弁解のつもりが
ダメな営業マンのずれたプライベート公開のようになってしまうんですねえ。ダサ。
「え、山で走るなんて危ないじゃない」
と仰るのに
「いえいえアスリートではないですし、かるーくなんで危なくはないですよ」
とも言い切れず、それ以上に
「あー素人のあんたが軽ーく怪我したら俺んとこどうすんの?迷惑なんだけど」
という言外の意もあろうと思えば、
「そうですよねえ」
と他人事のように相槌を打って胡麻化さざるを得ず。
自分が怪我病気した時、誰かにフォローを頼める体制とは
勤め人の時もさんざ命じられ、長ずるにつれ心がけてきたことではあるのですが
どこかで「集団における一兵卒の穴なんざ俺の自負と関わりなく勝手に埋まってしまう」
と思っていた部分もあります。半沢次長には怒られるでしょうが。
それでも、いざ顧客から暗に示唆されると
「俺はチームじゃないしなあ、プロとしては、危なっかしい遊びしてる人だな、と思われてしまうのかなあ」
と悩みつつPCに向かうのであります。
「あー思い切り遊びたい、でも何して遊んでいいか分からない」
幼児がこねる駄々のようなものです。結構苦しい。
こういうとき、皆さんどうしてるんでしょうかね?
とりあえず戻ってこられるように
目的地に向かうルートの先読みをして、自身の現在位置を適宜把握し、そのルートを維持する。
夏中、地図読みの座学と、里山を地形図片手に考えつつ歩くことを実践しました。
「高山でなくても遭難しますよー、熟練者も迷いますよー、でも迷うことを前提としてるので
迷ったときに気づくのが早くてリカバリーが早いんで、迷ったように見えない」
とアドベンチャーレーサーの田中正人さんの講座で教わったのが2月。
「地形図を見て、目の前に現れるだろう景色をイメージする、そうすると
その景色を早く実際に見たくて思わず走ってしまうんです」
と真顔で無邪気に言っていたのがとても素敵だなあと思った。
50代半ばのおじさんですよ。
ただタフで速いんじゃない。未知を確かめたい、クイズを解きたい、
ナビゲーションスポーツ、という言葉を初めて聞いたのもこの時でした。
明瞭なルートが大会運営者によって敷かれていれば、舗装、未舗装を問わず
身体能力のみに依拠するタイムレースとしての側面が強くなります。
体力と訓練時間に優位性のある若者や元アスリートといった人に敵うべくもなく、
趣味として一人山中を走るにしても、どこかでそのヒエラルキーの末端であることを意識してしまう。
人と比べる浅はかさを自嘲する。気を取り直して
俺は木々の爽やかさを感じることを主目的としているから、身体パフォーマンスの
向上なんざ関係ねえぜ、と粋がる。しかし
「じゃあ、じいちゃんばあちゃんと同じように、木々や花、鳥の声を愛で、のんびりお弁当を食べて
歩くほうが泰然として人として成熟しているのではないかい?」と
自ら反問してしまうのですよねえ。
未熟なんですね結局のところ。でも老成したくないと足掻きたい。
本当は面倒くさいから諦めたい。イタいなあ、我ながら。
そんな中、ひと夏かけてやった地図読みドリルはパズルみたいで面白かった。
仕事の休憩時間に少しづつやりました。次にその著者の師匠筋にあたる
日本のナビゲーションスポーツの泰斗、村越真氏のちょっと理屈っぽい
読図、ナビゲーションの本を読むと
「あーオリエンテーリングやってみたい!」と思いつく。
「いや、いっそアドベンチャーレースとか面白そう」と夢想する。
しかし、そもそもマイナーな遊びの上に、COVID19でイベントは中止ばかり・・
地図が読めれば山での危険は少し減らせるでしょう。楽しみ方も少し知的になる。
事業計画があっても、現在地点、時間管理ができなければ画餅に終わる。
地図とコンパスの関係のようです。
しかし遊びのリスク管理では、一人商売で顧客に迷惑をかける危険は減らない。
だから、苦手なチーム活動というのも少しはしていかなければならない、
のかもしれない。
はぁ
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