「現代人」啄木の魅力
「今年は石川啄木の生誕130年に当たる。衰えない人気の理由は何だろう」 から始まる4月18日朝日歌壇・短歌時評。書いているのは松村由利子、この方と私は14時間前に立ち話をした。昨日、中家菜津子批評会の二次会でのこと。中野サンプラザ15階で夕景をながめながら、私はワインを飲み過ぎてしまった。これ以上酔わないうちに退席しようとした出口の近くに、松村由利子。「朝日の短歌時評読んでます」と私が話しかけた。初対面なのに気さくにお話することができた。私は3年前の3月の旅で冬は石垣島に住みたくなっていたのだ。松村由利子はいま石垣島に暮らしていられる。
こころよき疲れなるかな/息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ
人がみな/同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
二月末に刊行されたドナルド・キーンの『石川啄木』(新潮社)は、375頁に及ぶ評伝である。啄木が現代的な感覚をもった自信家として描かれているのが新鮮だ。と松村由利子。
啄木が27歳で夭折したのは100年も前である。しかし私たちはいまだに啄木の歌を愛誦している。「その詩歌や日記を読むと、まるで啄木が我々と同時代の人間のように見える」とキーンは記していることを松村は伝えている。ローマ字で記された日記の肉質原稿を丹念に調べたキーンは、それが上質の紙に美しい筆跡で書かれ、消したり直したりした箇所が全くないことから、読まれるのを期待して書かれたと確信する。そして小説での成功を果たせなかった啄木にとって、日記はひとつの文学作品だったと見る、キーンは。
今日の朝刊の本や雑誌の広告に「貧困」という活字が大きく目立つ。高層ビルが林立し街には高級レストランや高級品が売られているが、富める人はごく少数で、経済的に恵まれてない人たちが多いのは100年前の日本とあまり変わりないのではないか。「はたらけど、はたらけど」という啄木の嘆き、私たちも同じよう嘆いているのだ。啄木とおなじように私たちの歌も今だに文語が多い。本日の松村由利子・短歌時評は「早世した天才歌人はまだまだ謎と魅力に満ちている」で終わっている。
啄木がじっと見たのは左手か右手かあるいは妻の冬の手
4月18日 松井多絵子
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