日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

思い煩わない生活

2009-07-30 | Weblog
 コヘレト5

コへレトは正統的な信仰に懐疑的である。「空しく」「空しい」が27回も出てくるのは、信仰が因果関係によって受入れられない処にあるからだ。これはヨブ記にも共通する。4章17節に続いて神礼拝に対し慎重な態度を示す格言である。

1~2節「口数を少なくせよ」
神への祈りに少なからず消極的である。しゃべり過ぎるとよいことは来ない。忙しく働くと夢が多いということを引き合いにしたもので箴言10章19節にもある。これと同じ表現で、主イエスも語られたが(マタイ6章7~8節)、神を「天の父」と呼ぶ信頼関係の有無が大きく異なるところである。

3~4節「誓いを立てないほうがよい」。
欲張って多くの誓いを立て、果たさない愚か者よりよいからである。申命記23章22~24節にもあるが、そこでは神の断罪が告げられている。誓いに関してもマタイ5章33~37節にあり、人間の無力さと不信をイエスは指摘された。

5~6節「使者(祭司のこと)に『あれは間違いでした』などと言うな」。これは間違いや軽率な言葉で祭司に罪を告白することがないよう、身を慎めという。神の怒りにより生活が出来なくなるからである。

7~8節 腐敗した政治体制によって社会に正義が欠如していて、これを変革することは不可能であると考えている。

9~16節 富の空しさが示される。富が増すと消費も大きくなり、心配が多くて睡眠も取れない。いつ破産がくるか知れないし、その時には息子の期待も裏切ることになるというのである。富める者の没落を12節、15節で「大きな不幸」と言う。ヘブライ語は「悪い病気」。そうなると人生の日々は闇と悩みと怒りである(16節)。

17~19節 コヘレトは、神から与えられた今の時を満足して飲み食いするだけという結論に至っている。既に2章24~25節、3章12~13節で繰り返された。

思い煩わない生活について、主イエスはルカ福音書12章13~21節と、22~34節で示された。キリスト者は「信仰による楽天家」と呼ばれることがある。