詩7篇
11節「正しく裁く神、日ごとに憤りを表す神」(新共同訳)
1節「シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの」。標題。敵の迫害に苦しむ人の嘆きの歌である。表題にダビデがアブサロムの反逆に遭い逃亡中登場したクシュの名がでてくるが、その関連性は乏しい(サムエル記下18章see)。
2節「わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください」。敵はあたかも獅子が獲物を追い掛けて引裂こうとするが、誰も助けてくれないと訴える(3節)。
4節「わたしの神、主よ もしわたしがこのようなことをしたのなら わたしの手に不正があり~」。敵から攻撃を受けることを甘んじると言い、身の潔白を訴える(5~6節)。「仲間に災いをこうむらせ」を口語訳「もし、わたしの友に悪をもって報いたこと」と訳している。つまり裏切り行為である。事柄の内容は不明だが、敵対している相手が、これを理由に責めて攻撃を仕掛けるというなら甘んじて受け、地に引き倒され踏まれてもよいと言う。
7節「主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり 憤りをもって身を起こし わたしに味方して奮い立ち 裁きを命じてください」。神の法廷で原告の「わたし」と被告の「追い迫る敵」が引き出されて審判を受ける場面が想定されている。法廷には諸国の民が証人となって、裁きを行い、御座から判決を告げてくださるなら、身の潔白は明らかになると主に求めている(8~9節)。口語訳では9節「わたしの義と、わたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください」となっている。
10節「あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方、神は正しくいます」。あなたは心の正直な者を救われる方であり、正しく裁く神、日ごとに憤りを表す神であるという(11~12節)。「はらわたを調べる方」は、預言者エレミヤも身の潔白を訴える祈りとなっている(11章20節、20章12節see).
13節「立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし 弓を引き絞って構え~」。主語をどこに置くかによって、解釈が二つに分かれる。新共同訳は、神に「立ち帰らない者」に向って神の告げる厳しい審判である。岩波訳もこのようになっている。口語訳は「もし彼が立ち帰らず、おのが剣を研ぎ、おのが弓を張って構えるなら、おのがために彼は死の武器を備えたのだ…」と訳して、主語は神で、審判に対して悔い改めない者に向けられる判決となっている。
15節「御覧ください、彼らは悪をみごもり 災いをはらみ、偽りを生む者です」。悪しき者が自業自得で、「仕掛けたその穴に自分が落ちますように、災いが頭上にふりかかりますように」ということも明確になる(16~17節)。いずれにしても、神の正しい裁きは変わらない。
17節「正しくいます主にわたしは感謝をささげ いと高き神、主の御名をほめ歌います」。神の正しい審判に対する感謝と聖名への賛美で本詩はしめくくられている。
11節「正しく裁く神、日ごとに憤りを表す神」(新共同訳)
1節「シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの」。標題。敵の迫害に苦しむ人の嘆きの歌である。表題にダビデがアブサロムの反逆に遭い逃亡中登場したクシュの名がでてくるが、その関連性は乏しい(サムエル記下18章see)。
2節「わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください」。敵はあたかも獅子が獲物を追い掛けて引裂こうとするが、誰も助けてくれないと訴える(3節)。
4節「わたしの神、主よ もしわたしがこのようなことをしたのなら わたしの手に不正があり~」。敵から攻撃を受けることを甘んじると言い、身の潔白を訴える(5~6節)。「仲間に災いをこうむらせ」を口語訳「もし、わたしの友に悪をもって報いたこと」と訳している。つまり裏切り行為である。事柄の内容は不明だが、敵対している相手が、これを理由に責めて攻撃を仕掛けるというなら甘んじて受け、地に引き倒され踏まれてもよいと言う。
7節「主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり 憤りをもって身を起こし わたしに味方して奮い立ち 裁きを命じてください」。神の法廷で原告の「わたし」と被告の「追い迫る敵」が引き出されて審判を受ける場面が想定されている。法廷には諸国の民が証人となって、裁きを行い、御座から判決を告げてくださるなら、身の潔白は明らかになると主に求めている(8~9節)。口語訳では9節「わたしの義と、わたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください」となっている。
10節「あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方、神は正しくいます」。あなたは心の正直な者を救われる方であり、正しく裁く神、日ごとに憤りを表す神であるという(11~12節)。「はらわたを調べる方」は、預言者エレミヤも身の潔白を訴える祈りとなっている(11章20節、20章12節see).
13節「立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし 弓を引き絞って構え~」。主語をどこに置くかによって、解釈が二つに分かれる。新共同訳は、神に「立ち帰らない者」に向って神の告げる厳しい審判である。岩波訳もこのようになっている。口語訳は「もし彼が立ち帰らず、おのが剣を研ぎ、おのが弓を張って構えるなら、おのがために彼は死の武器を備えたのだ…」と訳して、主語は神で、審判に対して悔い改めない者に向けられる判決となっている。
15節「御覧ください、彼らは悪をみごもり 災いをはらみ、偽りを生む者です」。悪しき者が自業自得で、「仕掛けたその穴に自分が落ちますように、災いが頭上にふりかかりますように」ということも明確になる(16~17節)。いずれにしても、神の正しい裁きは変わらない。
17節「正しくいます主にわたしは感謝をささげ いと高き神、主の御名をほめ歌います」。神の正しい審判に対する感謝と聖名への賛美で本詩はしめくくられている。