DVは永遠に不滅です!
"ドメスティック・バイオレンス"カタカナで表すと、柔かな感じになります。
日本訳では
「配偶者や恋人など親密な関係にある、又はあった者から振るわれる暴力」
内閣府男女共同参画局より
ズバリ言うと、きつい表現、虐待になります。
相手のことなどお構いなしに、自分の気に入らないことがあれば、気がすむまで相手をいたぶる、感情を制御できない人は、今も昔もいます。
あなたはどうですか?
「自分が嫌なことは、相手も嫌がるので、そういうことはしません」
と答えます。
パートナーや恋人からの暴力に悩んでいませんか。 一人で悩まずお近くの相談窓口に相談を。 | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201411/1.html
相談センターを設けなければならないご時世、ネジが一本外れ、病んでいる社会になっているのかもしれません。戦前の人たちは、"忍"の一字で耐えたのだと思うと身につまされます。
亡き夫がDV60年
「私の人生みじめ」
遺影をたたき割った
「私もげんこつで殴られて、何百回傷つけられたことか」
ある読者から、記者へ1通の手紙が届いた。88歳の女性からだった。手紙には家庭内暴力(DV)という言葉のない時代から、60年間にわたり暴行を受け続けたという壮絶な人生が記されていた。
大分県内静かな住宅街にある戸建て住宅、記者が訪ねると、背筋の伸びた小柄な白髪女性がむかえてくれた。夫は、昨年亡くなり、今は一人で暮らしている。DV被害者の声を伝えた6月14日の記事を読み、筆を執ったという。
1歳年上の夫と結婚したのは1956年。初めての暴力は、結婚式のわずか数週間後だった。
夫の郷里にあいさつに向かう時「懐中電灯は?」と聞かれた。暗い山道を通るとは知らず、用意していなかった。
それが夫の逆鱗に触れたらしい。
「懐中電灯なしでどうやって帰るんや!」
大声で怒鳴られ、道の真ん中で突き通された。
ほどなく、暴力は日常の一部になっていく。
酒癖が悪く、かんしゃく持ち、夫の怒りはいつも一方的に始まり、理由は分からなかった。
95年ごろには激しく殴られ、左手首を骨折した。この時はたまりかねて朝日新聞の投稿欄「ひととき」に投稿し、掲載された。
言葉による暴力もひどかった。専業主婦だった女性は、「寄生虫」「俺が働いていた間、お前は寝転んでいただけ」などの言葉を長年にわたって浴びせられた。
「当時は今ほど夫の暴力が問題になる時代ではなかった。『DV』なんて言葉を知ったのもここ数年です」。女性は振り返る。
DVへの意識の低さは、警察も同じに感じた。暴行に耐えかねて110番通報すると、「世間に知られたらお宅の恥になりますよ」と言われたこともあったという。
子を持つ身で離婚も難しく、1人で耐えるしかなかった。DVは亡くなる5、6年まで続いた。
抵抗せずひたすら殴られてきた日々を思うと悔しく、昨年に夫が亡くなった後も眠れない夜が続いた。
たまった怒りが高じ、掃除中に目に入った遺影を掃除機の先でたたき割った日もある。遺影はいま、長女(64)の家に置いている。
長女は「小さい頃はあまり気づかなかったけど、確かに夫婦喧嘩は多かった。晩年、『おかあさんに暴力をふるってきた』と父が私に明かしてきたこともあった」と振り返る。
一方で、父としては子煩悩な一面も。「私は父と楽しい思い出がたくさんある。母も本当は父と仲良く老後を過ごしたかったんじゃないかな・・・」と複雑な気持ちを吐露した。
「このままじゃ残り少ない私の人生、みじめなままで終わってしまう」。女性は、夫が亡き後も立ち直れない苦しさを繰り返し語った。「こうやって打ち明けることで、自分の中で区切りをつけいんです」
朝日新聞朝刊 2022年8月27日土曜日 (黒田早織)
〆のことば
誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。しかし友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ
オスカー・ワイルド