日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

50代の居場所③

2019-12-23 07:53:23 | 仕事
    今日の言葉

どんな幸運な人間でも、一度は死にたい悲しくて辛いことがある。
   井上靖 『月光』より

決断

還暦を境に店を続けるか給料と年金で暮らしていくか決断のときを迎えました。きっかけは、ビル建て替えの話があった時でした。完成したら新契約で営業することができました。しかし、後継者がいないこと、3Kの労働環境等、検討した結果、新しい道を歩むことに決めました。人生100年時代、快適な「60代からの居場所」探しの旅が始まりました。記事を紹介します。

「ビジネスマン人生は終わったな」
東レの取締役だった佐々木常夫さん(75)は、58歳の時に思った。東レ経営研究所社長に就く辞令を受けた。同期で最も早く取締役になったが、たった2年で本社の中軸から社員30人の子会社へ。事実上の左遷人事だった。
当時の東レは業績が悪化し、経営の立て直しが急務だった。佐々木さんは「会社のためには言わなければならない」と強い思いから、上層部に率直な意見や考えを述べてきた。「直言が疎まれたのだろうか・・・・」。様々な思いが頭をよぎった。
取引先ね繊維商社の再建、釣り糸事業の新会社設立、海外工場の建設・・・
顧客や同僚との信頼を大切にしながら困難な仕事に取り組んできた。
家庭にも全力で向き合ってきた。
妻は肝臓病とうつ病で40回以上の入退院を繰り返した。妻の入院中、佐々木さんは、毎朝5時半に起きて3人の子の弁当をつくり、8時に出社。仕事を短時間で済ます工夫を重ね、7時には帰宅して夕食の支度にかかった。
自閉症の長男が学校でいじめられた時は、同級生を自宅に呼び、理解を求めた。「障害のある人を励まし、助けることが自分や社会を幸せにしていくんだよ」と。仕事も家庭もあきらめない
そんな思いでがんばってきた。しかし、58歳の時に本社で居場所を失った
しばらくは無念の思いを抱いて日々を過ごしたが、そのうちに吹っ切れた。
東レ経営研究所では社長だ。自分の思いどおりにスケジュールを管理できた
多忙を極めた取締役時代と比べ、余裕が生まれた。妻と過ごす時間も増えた
妻の病状はしだいによくなっていった
あるとき、出版社の社長から「手記を書きませんか」と声がかかった。実名での出版にためらう気持ちもあったが
「重荷を背負って生きる方々に勇気と希望を」と口説かれ、妻や子供たちと相談して本を出すことに決めた。
仕事と家庭に向き合った体験をつづった初めての著書「ビックツリー」はベストセラ-となり、出版や講演の依頼が相次ぐようになった。「何でこんなに読まれるんだろう」とびっくりしつつ、社会の役に立てる喜びを覚えた。佐々木さんの居場所は、東レグループの外へと広がっていった。
ワ-ク・ライフ・バランスの象徴の存在として、20冊以上のビジネス書を出版した。佐々木マネ-ジメント・リサーチの代表として、今も現役で働く。
取締役で本社に残っていたら、ありえなかった展開。人生は思い描いたように転がらない。「振り返った時に後悔がないように、置かれた場所で愚直に全力を尽くすことが大切ではないでしょうか」
   朝日新聞けいざい(古屋聡一)

結びの文

生きていく上で大切なことは、希望を失わず、歩んでいくことだと再認識しました。


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