はじめのことば
私が幼児教育や赤ちゃん教育の重要性を、声をからして叫んできたのは、真の人間教育というものは、日本人が古来持っていた母親の愛情--今日の言葉でいえば”母と子の絆”--から出発して、他の人や社会を愛し、信頼するというような基本的な”しつけ”から始めていかなければ成り立たないのではないか、と思っているからです。
「あと半分の教育」井深大 1991年11月30日 初版第一刷発行 井深大の幼児教育著作集 第四巻
専業主婦世帯3割割れ 「昭和」の社会保障、実態とズレ:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA13BWO0T10C23A7000000/
未婚者「結婚後に子持つべき」減 男性55.0%、女性36.6%:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1410B0U3A710C2000000/
”日本民族”、これは心が自分だと思っている人達の集まりですから心の民族です。
岡潔「日本民族の危機」
1969年1月
”こころ”を失くした戦後
『あと半分のしつけ』井深大著は、今から32年前に初版が発売されました。そこに述べられているのは、子どもの幼児期の母親との触れ合いの大切さです。また、1961年出版の「日本民族の危機」岡潔著の文中の一節に”こころの民族日本人”とありました。井深氏の半分が埋まりました。戦後日本人が忘れてしまったもの、それは日本人が建国以来、先人たちから受け継いできた”やさしいこころ”でした。いいかえると思いやり、表現は”お互い様”譲り合う心、どんな理不尽な難題をふっかけられても、一方下がって考える間をとるのが日本人でした。しかし、自分の利に反するものは拒絶、攻撃する、単細胞になったのが、令和の日本人です。
”今だけ金だけ自分だけ”
このキャッチコピーは、令和時代の病巣をズバリ言い表しています。
”自由”と”平等”精神が戦後の日本人の思考と行動の原点となりました。戦前は封建社会といわれ、その代表的なものが、家制度でありました。
『「1898年施行された明治民法に定められた家族制度を指します。1947年の制度廃止まで続きました。『家を単位として1つの戸籍を作り、戸主である家長がそこに所属する家族全員を絶対的な権力をもって統率する仕組みでした戸主は家で一番「年長の男性と決まっていました』
家制度について・・・制度、名残、弊害 | カウンセリングルーム フェアリー https://fairy-miyoko.com/kokoro/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6/
戦前は束縛、戦後は自由、敗戦を境にして、社会は180度回転、日本は別世界になってしまいました。戸惑ったのは、当時の日本人です。きょうからあなたたちは自由です、家、家族の呪縛がありません、好きに生きて下さい、どうすればいいの?その生きるヒントは、マッカーサ-元帥率いるGHQがきちんと用意していました。それは、”3S”、セックス、スクリーン、スポーツです。その中に、アメリカ人のように生きればハッピーになれますよとヒントを示してくれました。
これ以上話せば、余計な方向へ行ってしまいますので幼児期の大切さに戻ります。私の幼年期のことを申し上げます。母親が言っていました。
『お前は、幼稚園に上がる前までおっぱいをほしがっていたんだぞ』
男はいくつになっても”おっぱい”にあこがれを持つのかもしれません。
乳離れは早い、遅い子、人によってちがいます。しかし、この世に生を授かり、死ぬまで大変な道を歩んでいかなければなりません。幼児期ぐらいは、安心しておっぱいをしゃぶれる環境を作ってあげることが、生まれた子どもたちの最高のプレゼントになります。専業主婦万歳!社会の基礎は家庭にあり。家が平和でなければ、地域、その他、国が治まるわけがありません。そこのところを忘れて少子化対策をやっても”ぬかに釘”効果はありません。
第一次ベビーブームに大ヒットした曲です。安心して子育てできた様子が目に浮かびます。
きょうはこれでお仕舞いです。ご訪問くださいましてありがとうございました。
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