当地は平塚でも比較的下町的な土地柄であります。以前は活気もあり若い人が大勢いた様ですが、徐々に高齢化が進み、同時に商店街などは、寂れてしまいました。平塚駅から、平塚港方面にかけて栄えていた二つの商店、西海岸方面にあった商店はほとんど姿を消して民家に取って代わりました。
道行く人は年寄りばかり、たまに小学生などが歩いていたり、甲高い声がすると、妙にうれしくなりますね。
古くからの町なので、顔なじみも多く、ある意味濃厚な近所付き合いであります。
ワタシは、メダカを最近花屋さんに置いてもらってまして、週10パックがすぐに売れます。こちらはお金にする必要が無いので、代金は基本頂きません。たまにパックの容器代(原価)を貰います。あとは、餌代代わりとして花屋のカナちゃんと、まぁ適当な値段を決めますが、実際は、花屋さんに置いてる売り物の植物をワタシが買って、支払いはメダカの卸代金と相殺、現金が動かない物々交換みたいなものです。種から育てたり、株分けで増えた植物が邪魔になってくるとやはり寄付いたします。カナちゃんからも、不要になった苗や見切り品をタダで貰うのでこれも交換、商取引とはとても言えませんね。
わずかに作っている家庭菜園。こちらには出来損ないながら一応無農薬有機栽培の野菜をポツポツ栽培しております。他人さまからは「自給自足」が羨ましいと言われますが、とてもとても。猫の額のような数坪の菜園ですから、自足などには足元にも及びません。
ですが、マイガーデンのお隣さんは、家内の従兄の家なのです。毎日のように採れた野菜や果物をおすそ分け(ほんの少し)いたします。数日に一回くらいは先方から冷たい飲み物やお菓子の差し入れがあります。これも物々交換ですね(笑)。日中親戚は自宅のそばにワタシが居るので、心強いようです。雨が急に降ったりすると洗濯物が濡れないよう声をかける程度ですが。一方で、万一ワタシが畑でぱったり倒れていれば、家内には連絡しないでいいから、すぐ救急車を呼ぶように頼んでいるようです。
ご近所さんにも、自前の野菜や頂き物のお菓子などを差し上げております。年寄り夫婦だけでは、ビールもケーキも果物もちょっとあれば事足りるのです。卵を届ければおでんというアンバイ。畑で採れたジャガイモを差し上げれば夕方には肉じゃががお返しに届きます。ナスやゴーヤもチャンプルとか天ぷらになって頂けるのです。
共同体的なコミュニティ・繋がりは、昭和年代の前半にはまだ全国で機能していたのでしょう。困ってる時はお互い様。味噌醤油の貸し借りからちょっとしたお金を用立てることまで一般的でした。あの時代、日本人はもう少し笑顔があって、幸せに暮らせていたように思います。ところがだんだんと、万事が大量消費、無駄と廃棄を増やし、いつしかお金が万能という、拝金主義に毒されてきました。
更に核家族化・少子化・未婚未出生という家族制度や個人の生活スタイルが変わって、人間同士の距離が途方もなく離れてきました。また、非正規雇用・ニートなどの名前で、徐々に社会全体の生産性・経済性が落ち込み、ついには先進国では最悪の貧困率であります。
お金に拘った結果は、ごく一部の富裕層や経営者に富が集中し、落ちこぼれを増やし、人口減少に歯止めがかかりません。度重なる増税・社会保障費・年金負担によって、日本人の大部分は将来を悲観的に見るようになりました。年寄りですらお金を貯めこんだままわずかな残りの人生用に生活費を確保するにやっきとなります。
こんな現在社会になって、行く手に明るい未来を描けない若者たちは、結婚や子育てを躊躇い、持ち家を望まず、わずかな収入で一人で生きようと考えます。企業も、重税感と消費の落ち込み、景況感悪化、デフレの進行などで、設備投資や業容拡大には消極的になります。
早い話、このままだとじり貧、衰微の一途をたどっているのです。
こんな時、昭和の時代に戻って、一からやり直したらどうだろう、と思います。過疎化がすすむ農村部で、都会からの若い人の移住を促す町おこしの試みは全国にあります。休耕している農地を活用し、空き家を提供して自給自足的な生活を提供するのです。遠回りのようでも、安い生活費、居住費、親切な隣近所、余っているものを融通し合い、料理も分け合う、といった有機的な人間関係が少子高齢化を解消する手立てになるような気がします。
株価が上がらなくても、税収が頭打ちでも庶民の暮らしや心が豊かになっていけば、自然に活気を取り戻せるように思います。