昨日はご近所さんとその伯父さんにあたる人と三人でゴルフでありました。場所は名門厚木国際カントリー、ワタシのような一般大衆には縁のないコースです。平日にもかかわらず駐車場には高級外車などがずらりと並び場内に一杯に駐車していました。今の時期は秋風が吹いてきてさわやかな気候なので、コロナに関わらず多くのゴルファーが集まってくるのでしょう。
例によって、フロントで検温、あちこちにビニールやアクリル板で仕切りが出来ています。お昼のレストランにはなんと、普通のテーブルが4つくっつけていてあり、一人1テーブルという贅沢(笑)でした。今はほとんどのゴルフ場はお風呂に水が張られていません。これもコロナ対策かあるいは採算が厳しくなり経費を削減しているかのどちらかでしょう。
ご一緒したのはT大医学部を出て製剤メーカーに就職したと言う79歳のお年寄りFさんです。聞けば50歳になる前までずっと研究所暮らし、面倒な対人関係もノルマもリスクも無い非常に恵まれた半生だったとか。その後は関係する上場企業に出向して70歳過ぎても重役であったようです。いまでいう上級国民さんの一種でしょう。
ワタシが楽しみにしていたのは、名門ゴルフ場でのプレーではなく、かの老人からコロナワクチンについての意見を聞くことでした。どうして今に至るまでワクチン開発が成就しないのか、専門家の知見を知りたかったのです。せっかくのゴルフで迷惑な話でもありますが。
結論から言えば、 Fさんは、ワクチン開発に関与したことはなく研究所を離れてからの20年間は、デスクワークと食品関連の役員でしたからほとんど実情はご存じないということでした。
ただ、ファイザーの開発したMーRNAのタイプのワクチンは、40年くらい研究した女性の研究者によってもたらされ、純度が高く成分状況が安定した品質を作る技術が難しいこと、特殊で大規模な開発・培養にかかる機材が必要であるということでした。しかし、技術的に難しいといっても「不可能」ではないという考えでした。
また厚労省は、かつてエイズを発症拡散させた「薬害エイズ問題」で血液製剤で社会的な失態、誤りを起こした当事者だったことから、それ以来この手の開発には及び腰だったとの意見でした。サーズやマーズの流行時にも日本ではほとんど被害が無かったのも危機感を持ちえなかった理由のようです。
製剤メーカーにとっては、インフルエンザなどのワクチン部門というのは、高コスト・ハイリスクが伴い、余ったり期限の来たワクチンはメーカー負担で廃棄する、という代表的な不採算事業なんだそうです。コロナが始まったときに、国内メーカーはその「軛 (くびき)」によって戦わずにして破れました。
上記のような日本で国内ワクチンがいまだに出来ない理由は、各社単体にとっては「不可能」だったのかもしれませんが、出来なかった言い訳、事情分析に聞こえます。100年に一度の国難に直面し、国民の生命や健康、生活が長期に脅かされ経済的にも大打撃であるコロナに対峙した時、国と民間製薬会社が挙ってワクチン開発に取り組む、という決断を政治が下せば、おそらく開発、実用化まで可能だった、という印象には変わりがありませんでした。各社でJVを組み、政府が資金面のバックアップを約束し、厚労省が新薬開発の許認可の超法規的な条件緩和を採れば、今頃は安心して国産ワクチン供給が始まっていたのではと残念でなりません。
もしやっていたら、何兆円という売り上げが見込め、日本経済回復の起爆剤ともなりえたのに。リスクを取らない経営者は2流、これが金融マンであったワタシの学んだ哲学の一つであります。
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