植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

百の福 百の寿

2020年12月21日 | 書道
 ワタシの知り合いの子供さんの中で、息子さんお二人が「お笑い芸人」を目指している(いた)のです。一人は、九州の高校のときの同級生で、子供さんは「ハライチ」と同期だとか言ってました。残念ながら芽が出ることなく、結婚を機に芸人の道に見切りをつけて故郷に帰り、就職したと聞きました。
 
 もう一人は、コンビニ店長のせがれさんで、数年前に吉本興業に入ったと聞きました。たまにお店に出て手伝っているようですが、まだテレビに出たとは聞きません。

 お笑いといえば、金融マンだった時の会社の同僚が噺家になりました。50歳前に銀行から外部に出向し、60歳を機に落語の道に入ったんですね。もちろんアマチュアですが、参遊亭遊助さんといいます。東大卒、ミシガン大学MBA取得。頭もよいがおそらくまじめな努力家でしょう。こういう人は何でも一生懸命取り組むのできちんと結果を出すのだと思います。

 ぱっと思いつくだけで知り合い関係で3人のお笑い界の人がいるわけで、すそ野が広いのでしょう。以前、吉本興業だけで5千人ほどの芸人さんが居ると聞きました。芸能人として登録された人は2.3万人、まだ舞台にも上がれない若手の卵たちを入れるとその数倍から10倍になるかもしれませんね。お笑い好きな中高生が、華やかな芸能の世界を夢見て、東京や大阪に向かい芸人を目指すのでしょう。

 残念ながら、そうした中で、その世界で食べていける人はほんの一握り、よくて地方営業でなんとか糊口をしのぐか、アルバイトで生活費を稼ぐというのがほとんどのようです。こつこつ学校で勉強してそれなりの学校を出て、きちんと就職したほうが、はるかに成功率は高く、平均年収も数倍となろうと思います。好きな道を目指すのは、個人の勝手で大きなお世話でありますが。

 昨日、すっかり年末の恒例行事・風物詩ともなった「M-1」グランプリをやっていました。5千組以上がエントリーし、1000万円の賞金を目指してガチンコ勝負をするのです。(実際は大手プロダクションの仕込み、出来レース的なものがあるように疑っていますが)
 それにしても、やってる若手芸人の必死さは伝わってきます。優勝すれば、賞金だけでなく多くの関係者、テレビ局などからのオファーが殺到し、スポンサーからの副賞、CM出演が約束されるのですから。
 あるコンビによると、「ネタをやった直後にマネージャーの携帯が、アラームが鳴りっぱなし(笑)」目覚ましかけてどうするんだ?この場外のギャグが一番記憶に残りました。

 例年に比べ、荒っぽい反則気味のネタが多かった印象です。オーソドックスなしゃべりの応酬で笑わせるより、意表を突いた大げさなアクション、奇をてらったやかましい絶叫のような印象でした。基本面白ければいい、笑わせるのにルールはいりませんから大きなお世話ですが。昔から漫才を楽しんでる人間にとっては、ドタバタと舞台で暴れたり、長々と歌ったり奇声を上げるのは、あまり上等とは思えません。前年の「ミルクボーイ」や以前優勝したパンクブーブーなど計算されたネタを軽妙な掛け合いで笑わせる、というのが楽しいのです。熟練の話芸、洒脱なアドリブなんかがクスリと笑わせる、というのが好きですね。

 落語なんかも、高座でギャーギャーやかましい噺家はすぐに嫌気がさします。テンポよく、絶妙な間があって抑揚の効いた落ち着いた語り口を聞くとほっとしますな。ありがたいことに、うちのTVはCS放送で「寄席チャンネル」という番組があって、朝から晩まで落語を中心に流れてきます。
その番組は、たいがい舞台正面上部には「笑門来福」の掛け軸がかかります。昔から、声を出して笑うのが健康法の一つだともいわれます。

 「福」といえば、書道塾の先輩、一番稽古熱心で一目置かれる師範代の方が「百壽図」を書いていました。神田などの古書店を訪ねては書道の手本や名筆を探す一方、着実に昇段試験を上がって書道6段だか7段と聞きました。「百福図」とか「百禄図」などもあり、おめでたい漢字一文字を様々な変字・旧字などをずらりと並べて書くのです。初めてそんなものがあるのだと感心しました。
 絵文字のような字、デザイン画の様な趣向もあり、本来の書道作品としては、やや外れるので、書の稽古用の手本集などにはありません。しかし、各字の造形の面白さもあり、縁起物ということもあってわりに喜ばれるようです。
 すると、先日友人宅を訪ねた時、床の間の掛け軸を発見いたしました。

聞けば、友人のお父さん(故人)、太平洋戦争時の部下が書家で、戦後いただいたのだとか。何度かお邪魔していて気づきませんた。福と壽を条幅に上下に丁寧に書き込まれていました。

 そして、これらの文字はだいたい「篆書体」であります。皆さんがよく目にする実印などに用いられますが、ワタシらにとっては「篆刻印」の基本となる字体です。

 ここのところ何気なく何度かヤフオクで篆刻用印材を落札しております。作品を飾る額縁、篆刻に使う印床も今日明日には届きます。押印用の「集印帖」も数個あります。もう、篆刻印は今日篆刻家さんに制作を依頼するつもりです。
 これは、偶然ではなくワタシが最も大事にする「必然的な流れ」であります。書道の神様が、「篆書を書き、篆刻印を作り、その先の作品つくりに取り掛かるのぢゃ」とご宣託をしているとしか思えません。先週の金曜日から3週間、書道教室はお休み。私の冬休みの(自主的)宿題は「百壽・百福」の稽古に決まりました。



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断捨離・終活も夢のまた夢

2020年12月20日 | 雑感
 ワタシは整理整頓と、掃除、洗濯は大の苦手であります。女に生まれていたら、たぶん嫁にいけないでしょう。結婚できてもすぐに離縁されるに違いありません。

 とはいえ、ここにきてパソコンの増設、ヤフオクで届いた書道用具の置き場問題などが生じてきました。さらに暮れにきて大掃除の時期にもなります。

 そこで、一念発起し、急遽朝7時前からワタシの仕事部屋の片づけ・模様替えをいたしました。実は、昨日から書道用品の整理をしていますが、どうも片付いてるのか広げて散らかしているのかもわからない状態なのです。
 
 仕事場といっても、オフィス机とコピー機、半紙を稽古する程度の机を置いたらもう一杯の狭い部屋です。たまの会計処理、パソコンでブログ、メールチェック、あとは書道練習部屋であります。書道紙を使うので、紙埃がすごいのです。半紙・筆・手本の書籍類、これにパソコン3台が加わってどう配置するかかなり頭を使いました。

 そもそも一人でパソコン3台は余計なんです。PCは個人用にずっと使っていますが、小さな会社を起こしたときに、怪しげなファイル・動画やらネット検索などで使用する個人のPCに、会計ソフトを入れ、社用と兼用はまずかろう、万一のことも考えて会社専用にPCを購入したのが間違いのもとでした。
 実際に今現在も、会社の現金出納帳や預金出納帳、文書作成などは行っていますが、頻度は少なく無駄に近いのです。

 今回新たに買い入れたのは、個人で使うPCです。今使っているPCが不安定になり、極端に動作が遅くなったり、フリーズに近い状態が起こるようになったんです。壊れて立ち上がらなくなった時の苦労、買い替えるしかない時の絶望感を幾度も経験しています。存命のうちにデータや設定を移していくのが理想なんです。先を見越していざという時の備えをするという、自分の慎重さが憎い(笑)。そして、SSD内蔵PCが起動も作動もサクサク動くという情報がワタシの背中をドンと押しました。
 まだ設置したばかりのPCのセットアップも終わっていません。動かす都合でケーブルをあちこち外したものだから、元に戻すのも一苦労です。3時間動き回ってまだ、半分も片付きません。疲れてとりあえずブログ、というところ。片付け下手の典型ですな(笑)

 それというのも原因はもう一つ、ヤフオクであります。書道を始めてしばらくは、墨も筆も紙もすべて買って使っていました。硯以外はこれらは消耗品、しかも上等・良質であればあるほど、うまく書く励みになるのです。それで新品で購入するよりはるかに安上がりのオークションに手を染め「消耗品」であることを免罪符に、片っ端に入札したものですから、いつの間にか物であふれてきたんです。
 半紙などは、たくさん増えてくれば書道教室に持ち込んで子供さんや仲間に分ける、するとなんとなく在庫が減ったので心配になってまた入札するという按配で、悪循環もいところ。

 親の遺言は「ものを増やすな、増やすとそれに縛られる」でありました。これを守らぬばかりに、こうして物が増え始末がつかなくなる。反省の年の瀬なんです。
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やはり篆刻印は、彫ってもらう方が良さそう

2020年12月19日 | 書道
百聞は一見に如かずといいますが、聞いてみないとわからないものであります。

 先日、作品作りのための篆刻印をどうするか、暮れから正月のミッションとして、彫るかなどと思案しておりました。ついでに、手持ちの印材、先人(故人)の方が使用していたとおぼしき彫りのある篆刻印などを一所に集めて整理したり散らかしたりしておりました。

 それで、やはり彫ってもらうか、と考えてネットで探した篆刻のお店に行ってきました。灯台下暗し、当地平塚の徒歩圏に専門の店があったんです。
「はんこ 遊藝」さんであります。
 小一時間居座ってこの年寄りの世間話に付き合っていただきました。聞けばこのご主人は、神奈川県でも「4本」の指に入る高名な気鋭の篆刻家さんでした。ワタシは、てっきり代々続くはんこ屋さんがついでに篆刻もやっています、ということかと思っていましたが、そうではなく、若い頃から篆刻一筋で修練し、店を構え、サイドビジネスで一般の判子も作ります、ということでした。

 篆刻が何十年もやって一人前の印を彫れるとしたら、自分で満足がいく篆刻印を彫る前にワタシがお陀仏になります。印材と印刀をガン箱(棺桶)に入れてもらってあの世で修業するようですね。

 ワタシも暇つぶしで訪ねたのでは無く、実際のオーダーの流れやら、印材・印影をどうするか(意匠をこちらのサイドで考えるのか、自分の手持ちの印材持ち込みは?)など聞きたいことがいろいろあって、納得したら頼もうというわけです。勿論価格も気になります。

 WebのHPでは1万円~の表示がありました。そこらにプライスリストが表示されている類のものではなく、寿司屋で言えば「時価」という扱いです。印材・目的・字の大きさ・印材の大きさ・形状と硬さ、等を全部勘案した上で、時間と技術料を加えるのですから。

 一方、篆刻家さんの力量や業界の地位・名声、受賞歴などでも大きくその値段は左右されるでしょうね。当然任期の高い著名な作家さんに頼めば高くなるでしょう。もう少し付け加えるなら、「相手を見る」というのもあるでしょうか。

 師範や書道協会に名を連ねるような書道家さんの依頼だったら、これは篆刻にも気合が入り、依頼主にふさわしい力作を彫る、火花が散るような一騎打ちという状況になるかもしれません。どちらかが気に入らず何度か彫りなおそうというようなこともあるでしょう。そうなると、この力関係によっては、えらく高額になったりするような気がします。(あくまで想像ですが 笑)

 しばらく雑談の後、費用を尋ねましたら。少し間をおいて「3万円くらいですかねという」答えが返ってきました。相当な自信と実績がある篆刻のプロです。HPでの「1万円~」というのは一般的な認印や銀行印の値段という説明を受けていましたから、最低3万円、もし5万円といわれたらどうしよう、などとは内心思ってましたが、良心的でしたね。というよりも、店主は、「自分で篆刻印が彫れない貧乏くさい書道好きのおじさん(お爺さん)だったら、このぐらいだ」と値踏みしたのかもしれませんね。

 安くても高くても構いません。1万円だったら、その値段程度のハンコができてくるでしょうし、もし仮にそれが10万円だとしたら、篆刻家さん、ワタシがそれに相応しい書芸の力量とみた(誤解した)か、その位は払えるだろうと勘違いしたということです。

 条幅用に3万円は、いいところです。というより、ワタシの書芸のレベルから言ったらそんなりっぱな印はもったいないくらいです。
 ちゃんと専門家に作ってもらえば一生もの、ずっと作品に押せるのですから3万円は安いものです。これから20年使ったとしたら年間1500円でしょ。それに加え、自分でもあきらめず、篆刻をやる気十分なんです。手元に自分専用の名前を刻んだプロの手になる手本が出来れば、これを見倣って、ワンサイズ小さな「半紙用」の篆刻印を彫ることが出来ます。教材料だとみればお釣りが来ますね。

 昨日、週一度で今年最後の書道塾でした。師の藤原先生に、顛末を話し、「以前先生に篆刻印(姓名印)を自分で彫るのが書道の練習ですよ、と教わったので、そういうものかと思ったら、店主に、昔の書家はなんでも出来ましたが、今は作ってもらうのが当たり前。と言われました」と文句を言いましたら先生曰く
「あら、それは勘違いよ。私が篆刻をやってもらったのは、頼んで作ったら高い(値段)ので、自分で作ってみたら、と言ったんですよ。」
 分かりました、そうでしたか。はいはい、ワタシの勘違いでした。恐らく、書道を始めて1年やそこいらで止めるかもしれない、あるいは作品作りなんかに辿り着けないにかもしれないワタシに、勿体ないからとりあえず自分で作らせよう、と考えたんでしょうね。ご配慮、ありがとうございます。

 ともあれ、先日落札した、とっておきの印材を幾つか携えて篆刻印の作成を頼んでくることにいたしました。無論、篆刻は、やります。新たに印床(印材を固定し、片手で動かしながら印刀で彫る器具)をヤフオクで落札しました(千円)。老いてなお闘争心は盛んであります。

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パンとサーカスの都 古代ローマは今の東京

2020年12月18日 | 時事
 なんやかや言っても、季節はちゃんと巡ってきます。あれだけ猛暑で、つい最近まで夏日とか言ってましたが、ひと月も経たずに今朝は零度、メダカたちはもうプールの底にしずんだままほとんど動かなくなります。
 山は雪だなぁ、などとのんきなことを言っている場合ではなく。北陸地方の山間部を中心に猛烈な積雪だそうです。雪景色は好きだけど、寒いところで雪に閉じ込められてれ暮らすのは願い下げです。

 平日だというのに、町の人出が増えています。年金も出て、これからクリスマスのプレゼントを買ったり、暮れ正月の準備で買い物客も増えているようです。こんな時、一年で一番夜の繁華街、飲食店はかき入れ時なんでしょうが。
 政府も、さすがにこのままでは年が越せない、病院はコロナ重症者が増えて医療崩壊同然になったことがわかったのでしょうか、あわてて追加対策、Goto全国一律中止と宣言しました。小出し、後追い、ぶれぶれ、もうリスク管理のやってはいけない見本のようです。

 古代ローマでは、ローマ帝国が周辺の国から多くの富や財産を搾り取り、市民ですらパンが無料、サーカスなどの娯楽が多数ありコロッセオで行われていた剣闘で殺し合いを楽しみました。背徳的・退廃的な時代で貴族は食べること以外はやることがなく、身の回りのことはすべて奴隷や従者がやるので、お腹も空かなかったんだそうです。それで美食を口にしては吐き戻し、また食べるを繰り返して一日中食事していたそうです。それを思い出しました。

 マスクして飯を食え、とか5人以上の会食は控えて、とか菅さんが言ってたようですが、自分は、連夜豪華な外食・会食のはしごまで続けているのを批判されております。コロナの暮れは、忘年会は自粛、外出遊興を控えて新年を迎えてこれ以上の感染を抑えましょうと言われてるんですよ。

 会食の相手は王さん、みのもんた、あのインチキ評論家田崎さんなどなど、ステーキを食べながら、何を話すの? 情報収集やら政策決定に必要な打ち合わせなら飯抜きでよくない? リモートを散々推奨しているくせに。

 何でもない時なら、自分の金で美食を楽しむならそれもよかろうと思います。刻々と感染者と死者が増え続け、ボーナスカットなのに苛烈な医療現場に踏みとどまっている医療従事者さんなどのことを考えたら、高級レストランのはしごをしている場合では無かろう。

 もっと言えば、この現代、食べては吐きのようなライフスタイルで、食材と料理を大量に準備しては廃棄する、という退廃的で糜爛した都会的な生活・人間社会が自然の摂理に反しているという警告にすら思えます。

 金を撒くのも大事、しかし、政治家、とりわけ与党側の人たちは、有事には必死に走り回り、自ら範を示し、先頭に立って国民の取るべき姿あるべき形を体現すべきなのではないでしょうか。自分たちは特別な特権階級、自分たちは正しいのだ、誤解する国民がおろかなんだと強弁する姿は浅ましく唾棄すべき人種にすら思えます。ワタシが宰相なら、この冬の議員ボーナス(400万円近い)は全額返上、すべてを医療従事者と生活困窮者に回します、と決めます。が。

 自分は特別という上級国民、池袋で何人もはねて死なせた爺さんは、ブレーキの踏み間違いを認めず、「目で目視してブレーキを踏んだのに、経年劣化でアクセルがかかった」と裁判で主張しているようです。劣化したらブレーキがアクセルの動作に変わったというまるで非科学的な理屈です。日本の車で故障・劣化してそういう故障が生じた事例(証拠)があるならそれを提示すべきですね。普通の運転中ではあり得ない、ペダルを目視してブレーキを踏んだと確認するだけの時間と冷静さがあったら、暴走している時ペダルを離す、サイドブレーキを引くという操作に気づくはずでしょう。

 自分自身の判断の誤り、愚かさ、未熟さ、衰え、そうしたものを認め、それで生じる不都合な結果を謙虚に認めて、直ちに改め、次に生かすというのが、本来上に立つべき上級国民の最低必要な資質だろうと思いますな。
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篆刻印は彫るものか、彫ってもらうものか

2020年12月17日 | 書道
落款というのは、落成款識(らくせいかんし)を略したものであります。書画を作品として制作したときに、その時期、場所、作者名、時には詩文などを書き添え、印章(落款印)を押印いたします。

 作品を仕上げたときの最後の儀式でもあり、落款が無いと只の書付、反故紙となります。ハンコを押すときは人によっては印矩(いんく)というTまたはL字型の定規を使います。場所を定め、キチンと紙に直角に当てるだけでなく、押しそこなった時(印影がかすれたりつかなかったとき)寸分たがわず2度押しができるのです。それほど、最後の押印が重要であるということの証です。

 正直、書道における泣き所が、この落款であります。今のところ、満足に作品を作るような技量に達していないこともあって、そもそも落款が不要というのがその最大の理由であります。書道の師「藤原先生」の教えが、「篆刻は書道の一つよ」でありました。てっきりはんこ屋さんに頼んで作ってもらうと思っていたら、自分でデザインしてハンコの石「印材」を彫るのが修行の一つ、ということでした。

 それで、印材を買い、印刀を揃え数個作成しました。元来この手の細工はワタシの得意分野であります。子供の頃は彫刻刀を使って、版画を彫るのが楽しみでした。ただ、これがやってみると難物なのです。柔らかい材質とは言え、石は石です。芋判や木彫とは訳が違います。また、幅数ミリから数㎝角の印材に、数文字の漢字を彫るのは並大抵ではないのです。

 先生から邪道と言われましたが、ニードルやらデンキドリルなどを買い込んで拡大鏡ライトの下で作業しますが、なかなか思うようにいきません。要は、力を込めて専門の印刀で、ゴリゴリと彫る、のがもっとも先鋭で深く刻むことが出来るのです。

 残念ながら、ワタシの指は長年の酷使やらなんやらでもろけてきているのか、力が入らずこわばり、痛みもでるので、篆刻が苦行に近いのです。それでも4つ彫りました。一つはどこに行ったか紛失したままそれっきり行方知れず。作り直さなければなりません。

 明日の教室を最後に、しばらく書道教室はお休みです。来年は、是非とも作品作りをメインにしたいと腕を撫しております。そのためには、どうしても、美しい落款印が要るのです。
 以前このブログで、その印の種類にふれました。書き始めの場所に押す引首印・姓名印(白文です)・雅号印(朱文)の三種類(三顆)に、お好みで、好きな文字や絵を象った遊印というものを押すこともあります。
 最低、姓名印は、欠かせません。条幅・半紙には必須で書字の大きさに合わせて3通りは欲しいのです。幸い(笑)雅号などはありませんし、引首印は無くても構いません。遊印は、数多くあるヤフオクで落札した、既に大昔に亡くなっている人が作成した古い篆刻印の中に、いくつも混じっていますからこれを使えば良し。
 
 で、たった今気づきました。姓名印はなんと白文ではありませんか。文字が白く残すのなら、文字だけを彫ることで事足ります。文字だけを浮かび上がらせるために、慎重に周りの余白部分を彫り下げる「朱文」よりは、何倍も楽なんです。今まで苦労して、姓名を朱文で彫っていました、なんだったの?。これは、ワタシの大きな勘違いでありました。無意味であったんです!!!。先生言ってくれなきゃ(泣)

 実は、今日ゴルフが急遽中止になったので、篆刻印を作っているお店に行こうと思っていました。彫るより彫ってもらおう、指の痛みを我慢し苦労して不出来の姓名印を作るより、山ほどある印材を持ち込んで1万円位で依頼しようと。

印材は先日ヤフオクで落札した「広東緑石」「広緑玉」と決めています。
マニア垂涎とは言いませんが、田黄石・寿山石・鶏血石と並んで希少な石なんです。緑石は、すでに掘りつくされ生産販売されていないと聞きます。最低6.7千円から、数万円で取引されます。これが9個で2万円。本物なら超格安ですね。これで一応希少品の大所が揃いました。

こちらが鶏血石といわれる高級印材。いいものだと一個10万円以上のものがありますが、これらは赤みが薄く、ちょっと微妙です。


最後は持ち手側に飾り彫りした「鈕(ちゅう)」のある寿山石(だと思う)であります。趣がある凝った細工は、手にしても眺めても結構なもので、自慢のコレクションです。

ともあれ、今一度「白文」の姓名印を作るための文字のデザインを考えます。彫るか彫ってもらうかは、それからにしますかな。
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