植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

スイカの神様ありがとう

2021年07月21日 | 植物
今年のスイカは不作だというのが地元花屋さんのカナちゃんの情報でした。4月頃雨が降らず結構いい天気だったので今年こそはと意気込んで、屋上スイカ栽培に集中したまでは良かったのです。

 結論から言うとほとんどが失敗で残念なスイカばかりでした。地植えは、植え付け当初にマルチで高熱になり乾燥が続いたせいで枯れたり、ツルの生育が遅れました。例年通りスイカの花が咲くころに雨が降り続き、ほとんど結実しませんでした。雑草ばかりが伸びてスイカが埋没、数年同じ状態なのでダメもとではありました。地植えで一つだけある程度大きくなっていましたが、つるが枯れ栄養が回っておらず叩くと「ぼとぼと」とした音でした。これはもう半分腐ってる状況なんです。

 期待の屋上栽培は3か所に6つの苗を植えつけました。なにせ水の管理が難しいのです。幼苗の頃は根がしっかりと張るまで水を切らさない、つるが伸び始めたらすこしづつ水気を抑える、花が咲き始めたら乾燥気味にして根が水に浸からないようにする、というのが基本の流れ。

 ところが5月ころまで思わぬ高温と水不足でいまいちツルが元気に育たず、一部は枯らしました。やっと梅雨を迎えたと思ったら今度は過剰な降水でかなり根が傷んだのです。加えて開花時期に濡れているのでちっとも受粉しませんでした。例外的にやっと結実したものの途中でツルや葉が枯れるという事態になり、梅雨明けに2個ようやく収穫した小玉スイカはいずれも、生育が不良のままで水っぽく、甘みも足りませんでした。(収穫のタイミングも4,5日早かったかなー)

 スイカ名人を目指したワタシは意気消沈、ただし、一つだけ屋上の大玉だけが順調に肥大していたんです。
受粉後推定40日を経過し、巻きひげが茶色に変わり始めて1週間、叩いた音も低い鼓のボンボンといった弾力を感じる感触になりました。更にぐっとこらえて2日、昨日思い切って収穫いたしました。
虎の子、ワタシの期待を一身に集めた苦心と努力の結晶であります。

そうして、追熟を待たず入刀式(笑)。

包丁を入れた時「ぱりっ」と皮がはじければまず成功ですが、致しましたよ。
種が真黒くなり、スイカの滴が光ります。「甘い!」これは大成功でした。

スイカの神様はちゃんと見てくれていたんですね。最後に一番よくできました、と💮を貰った気分であります。屋上に支柱とネットでつるを誘引し、ざぁざぁ降る中合羽を着て浸水を防ぎ、貴重な晴れ間の朝に人工授粉し、晴れて暑くなり過ぎたら水やりして育てた甲斐がありました。屋上は高温になり乾燥するのでスイカの栽培には適しているのです。ワタシ自慢の自作肥料「ぼかし肥料」、そして後は情熱、これが甘くておいしいスイカ作りの極意であります。

 このスイカは、半分はウチ用に冷蔵庫へ冷やし、もう半分を更に2つにカットしたら、仲良しのご近所さんにすぐにおすそ分けしました。こんなに甘いスイカを全部自分が食べたら血糖値が爆上がり(笑)

 まだ小玉スイカやちいさな二番成りなど6,7個残っています。もう大雨の心配はないので、毎日水切れさえ注意すれば残りも食べられそうです。来年は、早めの苗作り、根張りの時期の水管理に注意し、梅雨時期には絶対に水が溜まらないような鉄壁のマルチングを行おう、とブログに書いておきます。
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神輿だワッショイ 五輪だワッショイ コロナだワッショイ

2021年07月20日 | スポーツ
一昨日地元の祭りが終わりました。去年は完全中止、今年は担がないけど御神輿を出そうという話になり規模を縮小して開催しました。予想通り最後はみんなダボを着て集まり神輿に肩を入れて記念撮影(笑)、そのまま流れでワッショイわっしょいとばかり担いでしまったようです。御神輿大好きなおじさんが2年ぶりで目の前に神輿があったら担がないわけがない。終わったらお決まりの缶ビールで宴会。ざっとそんなものです。

 スポーツ好きのワタシも今度のオリンピックには胸が躍りません。出場できる選手にすれば、待ちに待った五輪で、この日の為に子供のころから頑張ってきたのですから、それは嬉しかろうと思います。スポーツの持つ力を届けたいとか、感動を与えたい、夢や希望をもって貰いたい、などとコメントします。最近では無観客は嫌だ、観客を入れてほしいとサッカーの吉田選手が発言しました。
 スポーツ選手は命がけだそうです。しかしそれはスポーツに限りません。それぞれの人間は生きていくために必死で、人生は命がけです。アスリートは命ではなく「生活がかかってる」から必死なんです。その姿をみれば心に迫ることはありますが、スポーツでなければならないということではありません。スポーツ選手とIOCの為に国民の生活や健康が犠牲になると言うのは本末転倒であります。

 なんでもなきゃいいんですよ。好きなこと言って、応援してくださいと叫ぶのは。でもね、競技場の外ではまだワクチンが打てない、飲食店では酒を出せない、旅行・観光関連産業は虫の息、みんな国民はマスクして不自由な生活を強いられています。病院に行けずに自宅で息絶える人だっています。医療現場ではいまだに完全防護した医師や看護師がコロナ患者に命がけの戦いをしているのです。

 それにしてもオリンピック、どうなるんだろう。バッハさんなどの歓迎会は盛大に行うし、韓国は垂れ幕掲げて露骨な反日メッセージを見せ、福島の食材は放射能で汚染されていると喧伝しています。韓国人の偏狭な国民性はあきれるばかり、コロナに罹ったら放置してやればいい。
 すでに50人近い選手や関係者のコロナ陽性が確認されています。ウガンダの選手は陽性になったら隔離施設からトンずらして姿をくらましました。メインスタジアムに来ていた娘さんは外国人スタッフから性的被害に遭ったそうですよ。

 開会式音楽総指揮のナントカという人は、パワハラ・障碍者いじめをしていたことが明るみに出ました。オリンピック担当大臣は知らん顔、みんなわぁわぁ言っているうちにとうとう辞任。いろいろやってくれますね。

 まだ、始まる前からバブル方式は実質的に破綻し、選手同士バブル内での感染拡大は、あの横浜クルーズ船の大量感染を想起いたします。メダル競争するなら、いっそのことコロナ感染国別競争すればいいのでは(笑)

 とはいえ、スポーツは本当に好きなのです。大相撲はスポーツではありません。断言しますが、人為的に異常な肥満の力士が殴り合ったり頭突きをかましたりする興行です。競馬も競輪もスポーツではなく博打であります。ですから全く興味もわきません。

 野球やサッカーをテレビで観戦して応援すればコロナに感染するリスクはありません。オリンピックは反対でも、スポーツは大賛成、テレビはかじりついて観ます。勿論メダルがとれれば喜ぶでしょう。

 でも、やはり釈然としないのです。ワクチン接種が進行しているにもかかわらず、すでに明らかな第5波が始まり、連日感染者の急増が伝えられています。うちの近所の学校でも中高生の感染者が出て学級閉鎖もあったようです。

 日本の為政者や官僚が、想像力が欠如し危機管理能力に乏しく、無責任で定見が無いことが明白なのです。五輪のせいでコロナが広がりはしまいか、日本が開催して世界の笑いものになりはしないか、そんなことを考えながら、明日から始まる女子サッカーの予選を心待ちにしております。岩渕真奈ちゃんのなでしこジャパン。長谷川唯や籾木などのテクニシャンに、決定力ある田中美南、そして新星、パワフルな遠藤純が加わり、GK山下杏也加も非常に優れた選手です。あの澤穂希のWカップ優勝以来、ようやく戦力が充実してきました。長い低迷の10年でした。初戦のカナダ戦、これが最大のカギ、ここで勝てれば波に乗って決勝トーナメント進出が見込めます。

複雑な心境です。

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ワクチンもなかなかキツイ 

2021年07月19日 | コロナ
 ジェンナーさんというのは、天然痘を撲滅したワクチンを開発したことで知られています。それまで人間の痘から抽出した成分を注射していたのですが、危険で致死率が高かったのです。

ジェンナーは、牛の搾乳する女性が天然痘にかからないことに気づいて、牛痘で試したところ安全で効き目の高いワクチンを作ることに成功した、というような話で、牛乳からヒントを得たために「ワクチンのちち」と呼ばれています(笑)

 それが300年近くも前のこと、以来ワクチン開発のノウハウや生産能力、さまざまな知識が加わっているのだろうと思います。病原菌とかウィルスを遺伝子組み換えとか他の動物などで培養して、人間に強い作用が出ないよう弱毒化・不活性化したものを注射する、すると体は感染したものとして免疫・抗体が出来るので、人間を害する本物ウィルスが来ても罹らないというようなことだろうと思います。疑似感染させるのですね。

 今回のコロナワクチンにしても、原理は同じで専門の研究所や薬品メーカーならさほど難しいことではないのです。その証拠にすでに6か国で開発済みで出回っております。といっても中国製などはワクチンと呼べるか怪しいものですが。

 で、一昨日ワタシはようやくワクチン2回目を終えました。おりしも当地区は夏祭りが始まり、その準備などに駆り出されていたのです。接種予約優先なので土曜日の午前中、お祭りのお手伝いを済ませ、お昼に打ってもらいましたが、2回目はキツイ、熱が出ると聞いておりましたから、午後は安静にするということでお祭りからは解放されました。

 案の定、肩の痛みから腕のしびれが始まりました。軽くシャワーして早く休んだのです。すると翌朝、倦怠感が出てきました。頭が重く頭痛もするのです。体温を測ると、37.6℃、ワタシの平熱が35.5℃ほどなので、2度以上熱が上がっていたのです。やはり情報通りでありました。ワタシより一回り若い人何人かが2間日熱が出た、うちにきている植木屋さんは3日寝込んだと言っていました。

 熱に弱いワタシは、昨日は寝たり起きたりぼんやり安静に過ごすことになりました。もうお祭りどころではありません。病気ではないのですが、副反応が強く低い確率ながら接種後に命を落とす人もいるのですから。篆刻印4つ彫った以外は何もせずに夜を迎えましたが、熱は一向に下がらず、薬をのんで夜7時半に就寝しました。

 結局朝まで熱はたいして下がらず、いまだ37℃以上であります。しかし、これが正常なんだろうと思います。コロナ肺炎の軽い症状を体感していると思えばいいのです。体の中でコロナもどきの菌が駆け巡り、コロナ肺炎もどきの症状が出てはじめて免疫が出来ている証拠でしょう。高齢になるほど、その副反応が少ないというのは、年とって機能が低下し免疫組成などの正常な反応がでにくくなるんですよ。

 これで、コロナが収束するとはとうてい思えません。ワクチン接種率が上がれば、感染拡大・重症化がひとまず収まるかもしれません。しかしながら変異株の猛威を甘く見てはなりません。ワクチンの免疫機能も何年有効かはわかっていないのです。来年も再来年もまたワクチン打って高熱が出るかと思うと憂鬱になります。いっそたいした効き目がない中国製ワクチンのほうが楽かもしれませんね。
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手間はかかるが安心安全のぶどう作り 

2021年07月18日 | 植物
いよいよ関東でも梅雨明けであります。去年は7月の終わりまでひと月以上の雨に悩ませられ、スイカやブドウは大打撃でした。スイカは屋上栽培以外ほとんど出来損ないで捨てる羽目になりました。

 梅雨明けになったはいいが、それはそれで問題が生じます。一つは屋上のメダカたち、暑いのは好きですが外気温が30℃を超せば屋上は40℃を上回るほどになります。小さな水槽の水温はたちどころに上昇し、メダカの生育限度である38℃を越えます。するとメダカが煮えてしまうのです。打ち水・葦簀・出来るだけメダカプールを日陰になるように移動します。水温が高いと思ったら水道水で冷ますなど神経を使うのです。

 さらに、鉢植えの草木の水やりがあります。今まではほっておけば降水があるので水やり不要、根腐れしないように気を付ける程度で済みましたが、炎天下で水切れは枯れ死になります。

 ブドウ三品目「シャインマスカット・ロザリオビアンコ・甲斐路」はいずれも欧州系で、日本の多雨多湿を嫌います。昨年まで例外的に食べられる房もありましたが、ほとんどは黒糖病とべと病など雨に降られて病気になったのです。

 今年は一念発起し、とにかく雨叩きになるのは避けようと、ビニールで覆いをかけました。台風で吹き飛ばされないかは心配ですが、そのときはその時、修復すればいい、ともかく一部でも雨にかからないところでブドウを育てようというわけです。

 思いのほかうまくいっております。このひと月雨が続いたので、昨年までならシャインマスカットはとっくに黒い斑点が粒それぞれについている頃です。甲斐路は、もう茶色に変色して腐り始めたところだったのです。しかし、今年は少なくとも上にビニールがかかっているものはほとんど無傷なんです。

 梅雨明けを待って最後の手入れをいたしました。本来なら先月末くらいには終えておくべき整粒(一房ごとに肥大できない粒を摘粒し、30個くらいに減らす作業)や摘果(房の数を抑えて一房へ栄養が多く集まるようにする)が終わっていなかったのです。全体的には3,4割くらいを落としました。もったいないようですが、その分残した房に栄養が回り大きく甘いブドウになるのです。

 雨に当たる場所の房はいずれ病気になるのですべて摘果しました。すでに黒い病変のあるものも全部毟りとります。葉っぱやつるに絡んだものも外してしまいます。それが出来たら霧吹きに消毒剤を入れて一房ごとに噴霧いたしました。すでに表面に若干病気があっても治療してくれて、さらに新たな感染を防ぐ消毒してくれる「オンリーワンフロアブル 」を撒きました。

これが、日光と雨がぎりぎり当たるロザリオビアンコ、少し茶色になっていますがこれはOKとしました。(笑)

こちらがシャインマスカットです。

 これで乾燥させたらようやく袋掛けいたします。昨日コロナワクチン2回目を接種したので、無理せず明日にいたしましょう。全部袋掛けするとおよそ60房ほどになりますが、一部は肥粒生育状況をチェックし、収穫時期を見図るための試食用(ワタシのつまみ食い)にするので袋はかけずに置きます。殺菌以外は無農薬、自家製のぼかし肥料やもみ殻・腐葉土を施す有機栽培なので、安心して洗わずに食べられます。

 これで終わりではありません。この後は、秋の収穫時期まで、液肥を与えたり、定期的な消毒薬散布をいたしますが、なにより大変なのは天敵コガネムシとの戦いが続きます。今朝も10匹駆除いたしました。光合成に必要な葉を食い荒らし、まもなく土中に産卵、根を荒らす幼虫が孵化するのです。今まで毒性の強い殺虫剤(農薬)は一切使用しておりません。収穫後のオフシーズンに
土中のコガネムシの幼虫駆除に「ダイアジノン」は散布いたしますが。

 更に、気がかりなことがあります。今までは出来損ないで、だれも見向きもしなかったのです。今年、もしお店で売れるような立派なブドウが育ったら、黙って持っていかれる心配があるんです。先月たわわに実ったプラムが食べごろになったとき、一応ネットを被せていたのに、一晩で4~.50個が消えて無くなりました。鳥なら食べかすが散らかるのですが、木の下には何も落ちていません。もしかしたら4本手足のついたカラスが持って行ったのかもしれません。

 安心できないかも。残念ながら盗難防止の妙案が浮かびません、どうしたもんか。

 
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印の値段

2021年07月17日 | 篆刻
今年に入って150本以上彫りました。彫って彫ってまた彫って・・・
姓名印を主体に多くの方に差し上げております。多分50人分くらいは制作したのではないかと思いますが、コロナのせいで集まる機会が無く大半は渡しそびれて、仕事場の片隅に積んだ箱の中に眠っております。

 今考えれば(手に取ってみると)明らかに拙いのであります。それらは印作りを初めて2,3か月の作なので仕方がありません。彫った当座は「よくできたな」、などと悦に入っていたのですが、さすがにその後懸命に研究し、摸刻しているので下手さ加減が目につくのです。
 篆刻・書道に限らず技術や技能・芸術全般で共通することで、反復練習・継続的な鍛錬が、その技量の向上につながるということは疑う余地がありません。さまざまな価値ある名刻印の印影を見つめ摸刻しているうちに、目が肥え作品の巧拙が少しずつ理解できるようになってるのかもしれません。

 つまり手元の印、これは彫り直しやーー、と思います。すでに差し上げて物でも実は取り返して彫りなおしたい気分なんです。やはり只で彫ってるので、さすがに返して頂戴というのもなんか違う気もします。

 印を差し上げた時、大体の人が(お世辞で)お金を払います、と仰いますが、いやいやお金を頂くほどのものじゃござんせん、とお代を受け取らないのです。当然まだ篆刻を始めたばかりで金を貰うなんてとんでもない、それが本心です。今思えばお金を貰わなくてよかったと冷や汗ものです。

 それにしても、面白いのがみんな同じことを言うのです。
「ハンコの材料費くらいは払わせてよ」と。ワタシは本物の篆刻家さんに依頼して姓名印を作成してもらいましたが、その時は印材を除いて3万円でありました。印材はワタシが持ち込んだので含まれません。つまり印の値段は、ほとんどが技術料・人件費なんです。もっと言えば、何十年かの人生の時間を費やし元手もかけて培った技術・芸術性・努力の結晶の価格ともいえるのです。

 美容院の技術料も、上等な割烹・寿司屋さんのお代も、意味は同じ、長年修行したその道の達人や匠が、技術の粋を凝らしたサービスに、対価を払うので、単純な日当、時間給とはわけが違います。

 してみると、皆さんが「プロ級の腕だ」などとおだてながらも、ワタシにその技術料を払おうとしないのは至極妥当な相場なのかもしれません。素人が暇つぶしに始めた趣味に付き合わされているのだから、と考えるのがもっともな話であります。

 印材自体も勿論値段があり、ピンキリであります。その価格は、未使用品では産出地(石の種類)、外見の美しさ、希少性、紐・薄意(側面の薄い浮き彫り)、重量で大きく変わります。ホームセンターで売られてる安物の青田石・寿山石は数十円から大きいものでもせいぜい4~500円というところです。

 丁寧に磨かれ、半透明で美しい模様があればそれなりの値段になりますが、そういうものはネットの専門店で売られています。未刻石でも、鶏血石、田黄石など人気が高く希少性の大きな本物だと、数十万円もしますが、もったいなくてこんなものを彫る人はいません。

 中古品、つまり篆刻済みのものも極端に値段の差がつきますね。素人が力任せに彫った自用のものはよほどいい印材でなければタダ(ガラクタ)同然です。印面を潰して、練習用に彫り直せばそれなりに利用価値があるので、捨てはしませんが、下手ほど深く傷つけますし、側款(側面の署名彫り)まであると消し去るのにかなりの時間を要します。

 価値が高いのは、やはり専門家の手による印であります。平均的に彫りやすく質がいい石を用いています。古ければ古いほどその傾向が強いです。篆刻の本に載るくらいの名人作ならば、コレクションとして集められるので、ヤフオクでもかなりの高値になります。しかし、ここでも値段の不思議があります。本来なられっきとした篆刻家さんに数万円も払った印、これが案外数千円で落札されるのです。

 その理由は、そうした篆刻印には利用価値が乏しい、つまり技術料の大半がかかっている彫の部分は不要になるからです。コレクターが欲しがる初代蘭台、梅舒適先生など、中国ならば呉昌碩さんなどの真作であれば数十万円の値段がついてもおかしくないのです。もしそれが数100年以上前の時代物で刻字あり、側款や薄意ありなら、美術館行き級で100万円以上になるかもしれません。また、千年以上も前に作られた官印などは歴史的・骨董価値があるのでとんでもない高値になります。
 
 しかし、一般の現在活躍している篆刻家さんの作品レベルだと、他人の名前や雅号が彫られていたら逆に邪魔になるかもしれません。側款がよほど見事で、手の込んだ細工の紐、希少価値がある印材を使ってでもいないとあまり欲しくないのです。オークションで入札する人は、おそらく、その名前がまず一番に価格の決め手になろうと思います。

 だから、ワタシは思うのです。技術料を出すから彫ってくれ、と言われるだけの技術を身に付けねばと。摸刻を繰り返し、技術に応じていい石材を選び、側款を学び、印材の値段以上に付加価値がある篆刻印を彫りたいと願うのです。
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