ASIAの独り言

   

イタリア vs オーストラリア!

2006年06月27日 11時33分00秒 | スポーツ


互いの闘志が身体ごとぶつかり合う、
激しい試合だったと思う。

4年前の借りを返せるか、“アズーリ”、
4年前と同じ悪夢を見せてやるか、ヒディンク……
色々な意味で興味の尽きない試合だった。

結果はともかく、面白かった。
次はロシアか……ヒディンクの手腕に期待。

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ウクライナとスイスの試合も良かった。

実は、この試合を見ながら、
半分冗談で、こんな遊びをしていた。

……ウクライナの選手を、頭の中で日本代表に置き換える。

すると、
何度も、「日本、すごいぞ!」って嬉しくなる瞬間があった。
まさに、脳内補完以外何物でもないのに……

こんな風に戦えば、いや、戦えれば、
いや、
“いつも”、こんな風に戦えていれば、
イタリアを苦しめていたのは日本だったかもしれない。
巻だったら、オーバーヘッドを決めていたかもしれない。
(アロイジ同様からぶったかもしれないけど……)
……てな感じで、半ば本気でワクワクしていた。

でも、それだけ、
そうやってワクワクした分だけ、

パスの精度、スピード、ボールを持ってない選手の動き、
それらを含む陣形の変化、調整、崩されたときの建て直しなど、
実にたくさんの面で、日本に足りなかったことに改めて気付かされた。
少なくとも、今大会のピッチに立った日本代表には不足していたことは確か。

でも、思う。
この差は、ホントに埋まらない差なんだろうか、と。

体格の差だとか、あと、よくわからない言葉だけど“フィジカル”の差だとか、
意識の差、その国におけるサッカーの歴史の差だとか、
いろいろ、言われているけどさ……

そんなことはないと思う。差は埋められるよ。
だって、ああいうワクワクするサッカー出来てたときもあるじゃん。
まぐれでも何でも、一回でも出来てるなら、
潜在能力として力があって、それが常に発揮出来る可能性も秘めてるんだよ。

「それはアジアが相手だったからだ」ってな意見も聞く。

……確かに、
アジア勢すべてグループリーグ敗退の現実を見れば、強くは返せない。
でも、
ほぼ1年前のコンフェデ杯のギリシア戦、そしてブラジル戦、
アジア以外でも充分戦える、いや勝てるサッカーをしてたじゃん。
加地のシュートがオフサイドじゃなく、後半ロスタイム大黒のヘディングが決まってたら、
ブラジルに勝ってたんだよ。
(その分の猛攻にあって、高得点同士の試合で結局負けてる可能性もあるけどね・汗)

たぶんね、

“いつも、自分たちの力を発揮する”

ということが徹底出来てないんだと思う。
良いときと悪いときの波がある。
その波が激しい。出来不出来の差も激しい。
だから、同じチームとは思えないサッカーをしてしまう。

その原因については、いろんな人がいろんなところに見つけるだろう。
そして、そのうちのどれか一つが正しい、なんてことはない。
ヘタすりゃ、どれもこれも、みんな正しい。
きっと、それらが色々絡み合って、今の状態になってるんだと思う。

願わくば、

それらを解決する責任を、オシムさん一人に押し付けませんように。
“マジック”なんてものに期待せず、
少しずつでいいから、波を減らし、
どんなにコンディションが最悪でも、
“本番に強く”て、“負けない”チームを作っていってほしい。

また4年後、今度こそ、
必ず現実となる、素晴らしい夢を見せてほしい。

他の国の試合も、もちろん面白いけど、
いや、だからこそ、そこに日本が食い込んで活躍してくれると、
もっと面白いわけだから、ホントに前を向いて頑張ってほしい。






惨敗……なんだろうなぁ……

2006年06月24日 04時46分00秒 | スポーツ




体脂肪率ひとケタの身体で全力疾走し、
勝機、危機、コンマ何秒の単位で移り変わる戦況の中で、
瞬時に判断し、全身全霊傾けて戦い抜いた人の気持ち……

……私になんか、わかりっこない。

ただ、目が離せなかった。涙が止まらなかった。
「お疲れさま」なんて言葉すら、かけられない。
そんな言葉が届くところに彼はいない。
ましてや「感動をありがとう」なんて手垢まみれの言葉、
最早ブーイングと変わらないレベルの無意味さでしかない。

なのに、結局、他の言葉が見つからない。
無理矢理見つけるほどにも、心が落ち着けていない。





夢のような現実を夢見て、いざ、観戦!

2006年06月23日 02時44分00秒 | スポーツ



NHK、粋な計らいだね。

『その時歴史が動いた』で、
ベルリン・オリンピックでの、
日本代表サッカーチームの活躍を見せてくれた。

最後の釜本選手の言葉が泣けた。

「……強くなろうとすることは苦しいことです……」

そうなんだよね。
今、日本代表は、とってもとっても苦しい真っ只中。
それはもう、半端じゃない辛さだろうと思う。

 十年前、草サッカーの試合に出たことがある。
 一応、公式試合。
 メンバー足りないからよろしくってことで、着けた背番号“11”
 カズと同じだ。よし、ハットトリックやっちゃおう!
 ……任されたのは、ディフェンダーだった。
 とにもかくにも、試合開始。
 7月の陽射しは厳しく、みるみるうちに体力を奪っていく。
 相手が責めてきた。距離を保ちつつ、パス・コースを切った。
 一瞬かわされた。大丈夫。このくらいなら、すぐ追いつける。
 ……のはずなのに、私の身体だけがスローモーションになった。
 明らかに抜かれた。失点にこそ結びつかなかったけど、守備失敗だ。
 脚が重い。上半身がボンドで固められたみたいにガチガチ。
 走っても走っても、走れていない。意識はしっかりしてるのに、視界が狭い。
 照りつける太陽が眩しいのに、視界が暗い。
 何度気合を入れ直して水分補給しても、戻らない。
 いつもなら余裕で届くボールに、脚を伸ばしてスライディング。立つのがのろい。

この間の2試合、
私なんかと比べたら失礼なのは重々承知で書くけど、
あれは動けなくなっても止むを得ない、とも心のどこかで思っていた。
気持ちではどうにもならないレベルの疲労だったのかもしれない、とも思う。
プロならそれでも……っていうのは、別の問題。
今、そんなネガティヴな問題追及に使うエネルギーは無い。

今回、あんなに厳しい陽射しは無い。
気象条件さえ味方につければ、力を発揮出来る。

健闘は祈らない。
大量得点での勝利しか祈らない。
当たって砕けてほしくなんかない。
「こんなまぐれチームの、ラッキーなトーナメント進出は、他の国に失礼だ」
って、非難轟々、蔑んだ注目を浴びてもいいから、勝ってほしい。
自分たちのサッカーをしてほしいなんて思わない。
(報道ステーションでの、福田さんの熱い思いには胸を打たれたけど・涙)
カッコ悪くても、汚くても、退屈でも、ヘラヘラ笑ってても、
……もう何でもいいから、勝ってほしい。

ガンバレ、ニッポン!




いよいよブラジル戦!

2006年06月22日 10時03分00秒 | スポーツ


首の皮一枚

……と言うには、あまりに薄い可能性。

その薄さに絶望しちゃったら、
あとは深刻にうつむくしかない。

でも、私は、こういうときだからこそ、
応援する側にも、落ち着いた気持ちが必要だと思う。
可能性が1パーセントだろうが、80パーセントだろうが、
過剰に反応して感情的になることだけは避けたほうがいい。

もちろん、実際戦う側は、
可能性を表す数字によって、
やることや戦い方が変わるだろう。
でも、
高いからって、余裕を持ち過ぎれば油断につながるし、
低いからって、必死になり過ぎればヤケクソにつながる。

特に後者は、
「大切なのは気持ち」という言葉の乱発につながる。

この言葉の出る背景を考えると、
なるほどと思えなくもないけど、
手垢が付いて安っぽく聞こえてしまう感は否めない。

「気持ちが大切」なことは百も承知で、あえて書く。

私は、
「大切なのは、勝利に直結するプレー」だと思う。
(もちろん、現実的に考えれば、「勝利に直結するプレー」の多くは、
気持ちのこもったプレーの中から生まれるだろうとは思う)

でも極端に言えば、
たとえ偶然でも、誤審でもオウン・ゴールでもいい。
もっと極端に言えば、
調子の悪い選手のやる気の無いプレーでもいい。
それがゴールにつながるのならば。
気持ちの有る無しなんか、全く問わない。

変に「気持ち気持ち」って、意識し過ぎて、
不必要にプレッシャーかけ続けて固くなるくらいなら、
リラックスして、ちょうどいいくらいの興奮状態で戦ってほしい。

間違っても、
戦う姿勢や態度なんかだけで感動させないでほしい。
(こうは書いてても、絶対感動してしまうから……)
「勝って、決勝トーナメントに出場する」
という結果(本来なら途中経過)でこそ、喜ばせてほしい。

要は、勝負事である限り、
勝つことだけに価値がある、くらいの覚悟で、
大量得点で勝ち点3をもぎとってほしい。

発明王エジソンが、こんな言葉を残している。

「ほとんどすべての人は、
もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、
そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに・・・」

……他の国じゃありえないゲームでの勝利を発明してくださいな、ジーコ・ジャパン!





W杯感想……まだ途中。全然途中。

2006年06月17日 09時18分00秒 | スポーツ



負けて泣くも涙。
勝って泣くも涙。
同じ泣くなら、勝って泣きたい。

だから、
私はまだ泣かない。文句も言わない。
焦って原因を考えたりもしない。

今、
出来ることの全てはドイツで行われている。
打てる手の全てはドイツで打たれている。

ならば、落ち着いて信じよう。
一喜一憂は控えめにしつつ、
腹を括って、テレビの前に座ろう。

八年前の借りなんかどうでもいい。
八年前の得点王シュケルは居ない。
運命の女神が大笑いするほど頑張れば、勝てる。

どうせなら勝って笑いたい。