彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず。 孫子
コロナウイールスが蔓延して一年以上たつが未だにその実態が把握されていない。
「実態を把握できていない」という謙虚な姿勢があれば、我が国の国民性と医療体制をもってすればここまで混迷することはなかった。
このような混迷に輪をかけたのは、畑違いの分野の素人が根拠のないデマを垂れ流した。
概して政権ヨイショ派の評論家(高橋洋一などその最たるもの)などに多かったのだが。
田村憲久厚労大臣、西村康稔経済再生大臣、河野太郎行政改革大臣は、1963年(昭和38年)前後の生まれ。
社会に出たのは昭和の最後のあだ花であったバブルの最盛期だ。
しかも田村は伯父であった田村元の後釜に座り、西村は灘高から東大、そして通産官僚のエリートコース、河野太郎と言えばきらびやかな政治家の家系に生まれ「慢心しきった坊ちゃんコース」を歩んだ。
その恵まれた「運」のために現在があるという自覚が足りない。
すべて自分の実力だと錯覚している。
彼らに共通する目線は常に上を向いている(田村は石破派だから少し違うかもしれないが)。
そして苦しんでいる者や弱い者へのいたわりの気持ちがない。
この気持ちを、少しむづかしい言葉で言えば「惻隠の情」
もっと無いものと言えば、最後は自分が責任を取るという「武士道精神」
天下後世までも信仰悦服せらるるものは、只是一箇の真誠也。 西郷隆盛