柿本人麻呂はこう述べる、
「葦原の瑞穂の国は言挙げせぬ国」、そして「言霊の助くる国」なんだと。
言挙げせぬ(言葉に出して事々しく言い立てることはしない)
安倍・菅政権の最大の大罪は、言葉によって信を立てるという政治のあるべき姿を徹底的に破壊したことだろう。
安倍晋三は、「ご飯論法」という不誠実なやり方を多用した。
「朝ご飯を食べたか」という質問を受けた際、ご飯を故意に狭い意味に捉え、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯は食べていない」と答える。
一方菅義偉が多用するのは、「菅話法」と言われる拒絶型。
「そのような指摘はあたらない」
「全く問題ない」
木で鼻をくくったような定型句をくり出し、コミュニケーションを遮断する。
しかし官房長官時代に多用した手法も総理大臣になれば通用しない。
丁寧な説明を求められるからだ。
しかし語るべき言葉と魂がなければ人の心には届かない。
人間と動物の違いは、嘘をついたり周囲を欺いたりする能力があるかどうかだ、という人もいる。
確かに時には「嘘も方便」というから許される嘘もある。
しかしその「嘘」を取り除いたら何も残らない、ということでは寂しい話だ。
安倍晋三の秘書が「桜を見る会」問題で起訴された。
安倍晋三は不起訴になったが、あくまで嫌疑不十分。灰色だ。
菅義偉もすでに着々と「菅おろし」が画策されているようだ。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、惟春の夜の夢のごとし。