1941年12月8日、日本はアメリカの真珠湾に先制攻撃を仕掛け太平洋戦争が勃発した。
開戦に先立つ11月29日、昭和天皇の「重臣たちの意見も聞くように」との意向を受けて、政府と重臣(首相経験者)との懇談会が開かれた。
東条英機首相が、長々と自存自衛のために対米英蘭戦争は避けられないとしゃべった。
これに反駁したのが若槻礼次郎だ。
理論より現実に即してやることが必要でないかと思う。力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならない時には妥結する必要があるのではないか。たとえそれが不面目であっても、ただちに開戦など無謀な冒険はすべきではない。
若槻礼次郎の言葉に冷静さを取り戻して従っていれば300万人の犠牲者を出さずに済んだと思う。
しかし、この時の東条首相は軍部と共に開戦への坂道を転げ落ちて行った。
ロシアによるウクライナ侵攻の状況は、冷静にじっくり見ておく必要がある。
今やロシアは世界からつまはじきの状態。
話し合いによって解決すべき問題を街場のチンピラのように暴力で解決しようとしたからだ。
日本は周辺国に領土拡大主義に囚われている国が存在する。
だからこそ武力衝突が起きないようにあらゆる知恵を絞るべきなのだ。
そのためにはあらゆるレベルで対話の道があることが必要だ。
万が一対話がこじれても「専守防衛」を国是にしていれば、手を出したほうは国際法違反になるからうかつに手は出せぬ。
一撃を受けて、反撃してもそれは正当防衛として認められるのだ。
専守防衛のための詰めた議論がなさすぎる。
「核シエルター」などあまり話題にも上らない。
先ずそのあたりの議論をするのが先であろう。