「保守」と言われると何となく理解できるが、「リベラル」とは何ぞやと問われても明確に回答できない。
それだけ「リベラル」の意味がはっきりしていない。
思想上のリベラリズムは、個人の権利と機会の平等を掲げる理念のことで、具体的には、言論の自由、開放的なコミュニケーション、信仰の自由、政府の権限制約、透明性のある合理的な政府運営、法の支配の確立などを求める。
経済的には福祉の公平な配分を認め、
政治的には自立した主体を求める立場だ。 北大教授 橋本努
リベラルではない人たちとは、どんな人たちか?ということを論じた方がわかりやすかもしれない。
国家や地域共同体を重んじる。家父長制に親近感を持つ。
どちらかというと個の独立よりも共同体との一体感に身をまかせることで安心感を得る。
ただこの立場は、行き過ぎると「全体主義」に行きつく危険性がある。
穏健な保守の人たちはこのような考え方をしない。
リベラルの対立概念が、保守(伝統を尊重しつつ漸進的に改革を進める立場)ではない。
保守でもリベラルな人はたくさんいる。
近代日本の最初のリベラリストは福沢諭吉だろう。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
福沢諭吉がリベラリストであると同時にリアリストでもあった。
自由気ままを嫌った。行き過ぎたリベラリズムを望んでいなかった。
「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり」
リベラルの考え方を、われわれはまだ十分に受け切れていない。
英語のリベラルという言葉には、「自由で高貴で寛大な」という意味がある。
この意味を理解するにはまだ時間がかかりそうだ。