行雲流水の如くに

日中国交回復50年に思うこと

1972年(昭和47年)日中国交正常化してから、50年を迎えた。

私が初めて中国を訪れたのは1982年(昭和57年)

中国経済の視察と言う名目であった。

上海、杭州を中心に回ったのだが、ほとんどの人が人民服を着ていた。

だがこれから発展しそうだというエネルギーが満ち溢れていた。

そして揚子江のあの広大さ!

地理や気候の環境が国民性を作るというがそのことを実感した。

 

1987年から1991年まで文芸春秋に長期連載された山崎豊子の「大地の子」は、日本人の中国残留孤児を主人公にその迫害と苦闘の歩みをテーマにしたものだが、主人公と同年代だけに身につまされるものがあった。

戦争というものを直視して描き切った大作である。

この本を読めば2度と戦争などしてはいけないことが実感できる。

今の若い人たちにぜひ読んでもらいたいものだ。

 

今、日本と中国との関係は戦後最悪かもしれない。

この関係を放置しておくと、取り返しのつかないことが起こりそうな予感がする。

そうならないように日中国交正常化の意味を思い起こす良い機会だと思う。

元中国・中信証券董事総経理 徳地立人さんの言葉が重い。

(朝日新聞9月30日)

日本の安全保障は日米安保を基盤に日米韓や日米豪韓の協力枠組みなどで対応するのが原則ですが、それはあくまでも「戦いを起こさせない」ためであり、「勝つ」ためではないことを自覚しておくべきです。戦争しないため、相手を抑止するための備えを強化することは必要ですし、いざという時戦える勇気も必要です。ただ、備えをしているうちに感覚がまひし、戦うことを目的化させてはならないその前提で、外交も含めどのような戦略が本当の抑止になるのか、目をそむけないで議論したほうがいい。


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