仏典などは読んだことがない。
どちらかというとキリスト教を7年もやっていたから
聖書の方が馴染みがある。
サンスクリット語で書かれたものを漢文になおし
その上で日本語となるとほとんど意味を失っていそうだ。
聖書もその点では変わらないだろう。
と言いつつも、今回読んだものはサンスクリット語からの
訳らしい。
読んでみてこれは結構面白い。
”およそ物理的現象というものは、すべて、実体がないことである。
およそ実体がないと言うことは物理的現象なのである”
量子力学的な解釈に繋がらないだろうか。
素粒子の振る舞い。無の空間から有を発し、有たる素粒子は無へと帰る。
虚数時間から出現したとされるこの宇宙もまた、その一つでしかない。
ニューエイジサイエンス好きな人たちなら大喜びしそうだ。
”般羅=ハラ=彼岸=La bas=宇宙の果ての先”
そこへ行こうというのか。そこにある宇宙が自重で閉じてしまう
臨界点のそのまた考えることすら無駄と言われるそこへ。
そしてまた、面白い言葉が。
”汚れたものでもなく汚れを離れたものでもなく、減ると言うこともなく、
増やすと言うこともない”
こんなところで、セリーヌの言葉にであうとは。
セリーヌはキリスト教の世界の、道徳の、正義の、そう言ったものへの
諧謔と抗議で語った言葉が”魂は汚れも浄化もされず、生まれたままの状態で
死んでいくだけだ”と書いている。
そーか。そうなると、私もどこにも存在しないことになるのだろう。
私という概念が崩壊するのだから。
どちらかというとキリスト教を7年もやっていたから
聖書の方が馴染みがある。
サンスクリット語で書かれたものを漢文になおし
その上で日本語となるとほとんど意味を失っていそうだ。
聖書もその点では変わらないだろう。
と言いつつも、今回読んだものはサンスクリット語からの
訳らしい。
読んでみてこれは結構面白い。
”およそ物理的現象というものは、すべて、実体がないことである。
およそ実体がないと言うことは物理的現象なのである”
量子力学的な解釈に繋がらないだろうか。
素粒子の振る舞い。無の空間から有を発し、有たる素粒子は無へと帰る。
虚数時間から出現したとされるこの宇宙もまた、その一つでしかない。
ニューエイジサイエンス好きな人たちなら大喜びしそうだ。
”般羅=ハラ=彼岸=La bas=宇宙の果ての先”
そこへ行こうというのか。そこにある宇宙が自重で閉じてしまう
臨界点のそのまた考えることすら無駄と言われるそこへ。
そしてまた、面白い言葉が。
”汚れたものでもなく汚れを離れたものでもなく、減ると言うこともなく、
増やすと言うこともない”
こんなところで、セリーヌの言葉にであうとは。
セリーヌはキリスト教の世界の、道徳の、正義の、そう言ったものへの
諧謔と抗議で語った言葉が”魂は汚れも浄化もされず、生まれたままの状態で
死んでいくだけだ”と書いている。
そーか。そうなると、私もどこにも存在しないことになるのだろう。
私という概念が崩壊するのだから。