めるつばうのおもうこと

めるつはミーム機械としてばうを目指します。

自閉症裁判

2005-08-20 14:33:03 | book
佐藤幹夫。浅草のレッサーパンダ男のノンフィクションだ。
まだ中途だけれど、”障害”というものについて
あれからずっと考えている。
あれからとは『くらやみの速さはどれくらい』
レッサーパンダ男は自分を”障害者”とは考えていないし、
そう見られたくないと言っている。
障害。タブーと化していないだろうか。
なぜだか”見たくない”として蓋をする傾向がある。
ふれてはならないとされる。

人間はすべて正常(社会的にも)なわけではない。
標準値から逸脱した人間には生きる権利はないのか?
少なくともお互い(社会とその人間)が相容れなければ
生きる権利は無いのだろう。
社会はシステムだ。ある一人を救うためにシステムを崩壊させることは
ありえない。
これは矛盾なのだ。
人が本能通りに好き勝手に生きられないのが社会。
そのかわり外的要素から守ってくれる。
二者択一。
それを受け入れられないなら社会は人を守らない。

人の命はけっして地球より重くなく、誰の命も同じ重さにはない。
デジタルで言えば必要としている数量でカウントしたっていい。
私なら1カウントだけどブッシュなら10万カウントかもしれない。
どちらが大切かは一目瞭然。
しかし、それは社会というシステムが要求するだけで
それから逸脱すればどうでも良いこと。

いつか私はここから離れる日がくるのだろうか。


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