めるつばうのおもうこと

めるつはミーム機械としてばうを目指します。

『ユダの福音書』

2007-04-04 17:06:05 | book
ナショジオで出版されていた。

初めて聖書を読んだ時の違和感。
神、聖霊、キリストの関係値。
なんてまだるっこしい。いちいち他人に仮託して
望みをつたえなくちゃならないなんて。

そしてなによりも旧約聖書に書かれた矛盾する神。
まったくもって不条理な神。その側面は魅力的でもあった。

そんな中、ユダの裏切り。”なすべきことをなせ”と
イエスに言われる場面。どうしても拭えない違和感。

そしてこの福音書の出現。グノーシスという思想の面白いところは
神の多重性と、心と身体の二元論をとるところだ。
高次の神とユダヤ教の下位の神。イエスが下位の神に対して笑う。
イエスの出現に対していろんな解釈があっただろうことは
わかっていることであるが、こうなってくると果たしてイエスという
実像はいったいどんなものであったのだろう。
とにかく、パラダイムシフトを強制せざるを得ない存在であったことは
確かだと思う。

グノーシスは常にマイノリティを崇めるのだろうか。
マイノリティ側にこそ世界の真理が明示されているとでも。
確かに、私自身そいういった世界に惹き寄せられる。
そこには世界にある部分での真理があると感じるけれど
それだけが世界ではない。イン&ヤンというような
明の中の陰、陰の中の明。お互いがあるからこそ
この世界は成り立つ。ただ私の指向としてあちらが側が
どうしても気になってしまうのだろう。

先にも書いたが今現在は私は精神と肉体という二元論を
現在はとっていないのでこのグノーシスの考えはとても
興味を惹かれるが、受け入れるわけではない。

ユダは仕組まれたシステムの中で自分の役を演じただけなのだろうか?
他の使徒達と違ったのはそれを自覚したかしなかったかだけのことでは
ないかと思う。自覚できたからこそ特別な役割を得たのではないだろうか。

もう一度聖書を読んでおこうかと思う。あんなに読んでいたのに記憶は薄い。


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