めるつばうのおもうこと

めるつはミーム機械としてばうを目指します。

『ユダの福音書を追え』

2007-03-15 11:32:08 | book
裏切り者とされる”ユダ”による福音書。
聖書というものはその生成までに外典とよばれる
幾多の福音書等があることはよく知られている。
その中で、ユダ。
ただし、この本はドキュメンタリーであり、福音書の内容には
それほど言及しない。

この本ではこの福音書が数奇な運命をたどり、保存され解読されるまでを
描いており、読み物としてなかなか面白い。
エジプトという国、遺物の扱い、国家と個人の利益。ブラフや裏切り
あまりにいろんな思惑が絡みすぎてなんてめんどくさいと思った。

死海写本についてはつと有名であるけれど、この書物の存在は最近見聞きした
ばかりである。ナグ・ハマディについては私は知らなかった。

さて、本体である『ユダの福音書』は未読であって、なんとも述べることが
できないが、一つ。
私はいつの時点からか、ユダは単純になすべきことを成しただけだと思っていた。
ゆがんだ解釈をすればユダは金庫番で金にがめつく、利己的に思われがちだが
そう、聖書をいくら読んでみても、”なぜ”そうしなければならかったかが
書かれていない。
単純に金貨が欲しかったとは思えない。
そして、いつのまにかユダ=ユダヤという図式を刷り込まれている自分に気がついて
ちょっと驚いた。
イエスも含めユダヤ人なわけなのに。
私はユダは定められた”神”指示に従っただけのことと感じていた。
イエスもユダが密告に行く行動を知っていてあえて行かせているのは
聖書内にもその言葉が記されている。予定調和なのだ。
私が聖書を読んでユダの記述を見たときの感じたのはこのことであった。
そして、この福音書が出現してもなんら驚くにはあたらない。
この感覚はきっとだれもが持っていたのではないだろうか?




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