散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

人間国宝・野村万作の至芸

2010年07月18日 | ★メタ坊徒然草
「このあたりのものにござる」
独特の言い回しで「狂言」の舞台がはじまる。
とはいえ、ナマの狂言を間近に見るのは、はじめてだった。
まず、笑いを誘い、狂言の世界を理解しやすいように、言い回しや決め事、所作や舞の動きなどを解説する・・・「万作の会」だからそうするのか、歌舞伎や能と違い、実にわかりやすく、よくよく見てみようという気にさせてくれる。

1曲めの「佐渡狐(さどぎつね)」
この演目は、祝言の際に演じられたものだそうだ。
年貢を納めに上京する佐渡国と越後国のお百姓さんが道連れになり、佐渡に狐がいるか、いないかを賭ける話。
昭和6年生まれの野村万作師は、領主の奏者を演じる。
佐渡には狐がいないため、佐渡のお百姓さんは狐を知らないが、飄々として抜け目がないから、勝ち負けの判定は、奏者に任せることに決め、御館に着くと「私が段取りを伺ってくる」といって、先に奏者に会い、賄賂をつかって、狐の特徴を教えてもらい、判定でも有利になるようにお願いする・・・。
今でこそ税金は「取られる」故に迷惑とか不運とか思いがちだが、狂言が確立される室町時代には、年貢を無事納められることは、戦もなく、疫病も流行らず、平穏に暮らし、豊作となった年であったことを意味し、翌1年の安堵にもつながっている。
つまり年貢を納められるのは「めでたい」ことな訳だ。
それに、賄賂のやりとりも、当時は、上も下も公然たる事実だったから、笑いのネタにできたことが伺える。


2曲めは「附子(ぶす)」
一休とんち話でも有名なストーリー。
主人が「桶の中に附子という猛毒が入っているから近づかないように」とわざわざ注意して出かけてしまう。普段から近づいたことなどないのに、あえて近づくなというのは何かあるに違いないと好奇心を抑えられない太郎冠者が桶の蓋を開けると、その中には、当時、滅多なことでは手に入らない水飴状の砂糖があった。次郎冠者とともに夢中で砂糖を全部食べてしまい、さてどう言いつくろおうと考えた二人のやったことは・・・。

つくづく、面白いなぁと思ったし、今後、機会があったら、また見に行きたい。
日本文化の「笑い」の原点を見たような気がする。
今は「吉本のお笑い」がメディアのほとんどを占領しているが、ショートコントのエッセンスは狂言にもあるのだと思うと、笑いの本質は時代を超えて共通なようだ。
古典芸能と呼ばれるものは、ある時代から姿形、言葉、所作などをそのまま伝えたものだというから、室町期に成立して江戸期に流派がまとまった狂言の演目の中には、当時の言葉遣いや所作が見て取れる。
時代劇や時代小説の中の言葉遣いに、狂言の中の言い回しと同じものがあったりすると、面白さも興味も倍増してくる。
普段何気なく使っている言葉の中に、仏教用語が元になっているものがあるのを知ると「へぇ~!」と感嘆してしまうほどだから、なおさらといっていい。

それはそうと、狂言の会場となった、全国でも屈指(東洋一とも)の音響を誇る県立音楽堂が、耐震工事による全面改修を免れたゆえに、待合い時間に地震発生時の対応を放送していた。
観覧席は、演劇や音楽鑑賞に餓えていた時代(昭和29年)そのままに、窮屈で狭いが、当時の面影を知る手がかりとなると同時に、木造の音響設備の柔らかさが心地いい。
昭和30年代を舞台にした映画のロケには、もってこいの雰囲気がある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 必死剣 鳥刺し | トップ | 借りぐらしのアリエッティ »

コメントを投稿

★メタ坊徒然草」カテゴリの最新記事