抗菌薬~抗生物質は、日本で最初に駒込病院で試されたようです。
駒込病院百年史によると、
昭和24年9月、クロロマイセチンの臨床試験が始まりました。
その時に、たまたま、不可解な腸チフス禍事件が起り、
看護婦の間に10人ほどの患者が発生、入院していました。
中でも重篤だった2人に対し、
当時アメリカの使用量1日5グラムから勘案して、
3グラムなら宜しかろうということになり、
投与を開始したところ、翌日にわかに諸症悪化し、
あらゆる手当も及ばず、相次いで死亡するという
思いがけない事態となりました。
「これは薬が効き過ぎた。ヘルクスハイマー現象
~エンドトキシン・ショック~だ」と直感し、
3グラムは日本人には多すぎるので、
1グラムにして今後の成果を検討することにしました。
結果、腸チフスの予後に大きな革命をもたらし、
腸チフス患者は余程の不運に見舞われない限り
死ぬことはなくなりました。
昭和25年11月より輸入を開始、
昭和26年から病院、診療所で広く使われるようになるのです。
ちなみに、駒込病院腸チフス事件の2か月後、
豊島病院でインターン生の間にも発生し、
2名が命を落とすという事件が発生します。
なぜこのようなことが起きたのか一切判らないものの、
卑劣かつ残忍な行為だと書かれています。
関連があるのかどうかわかりませんが、
昭和24、25年には様々なことが起こっています。
下山・三鷹・松川事件、中華人民共和国成立、
朝鮮戦争勃発、総評結成、警察予備隊新設・・・
以前にも書きました(ここをクリック!)が、
横浜の万治病院では様々な抗生物質が使われます。
中でも、オーレオマイシンとクロロマイセチンを使ったのは、
昭和25年当時のことのようで、
16カプセル4グラムで4,000円と貴重品だったので、
1カプセルずつ薬局の金庫から出した、とあります。
対象は日雇労働者で、やたら元気な人が多く、
潜伏期の人を拾って使い、進駐軍軍医の指示に従って、
血液採取とデータをとりました。
空腹で服用すると副作用が出るかもしれないということで、
藷(サツマイモ)を食べさせ、
短時間での血液採取の代償として、
進駐軍から配給されたタバコやキャラメル、飴玉を与えたそうです。
抗インフルエンザウィルス薬「アビガン」の効果や、
BCG接種による致死率との因果関係など、
昔も今も、薬には効果とともに副作用もあることも承知の上で、
より多くの命を助けるという観点から処方した歴史も見逃せません。
ところで、当時、伝染病専門病院だった、駒込・万治両病院は、
今どうなっているのでしょうか?
駒込病院~がん・感染症センター 東京都立駒込病院 http://www.cick.jp/
万治病院~横浜市立市民病院 https://yokohama-shiminhosp.jp/
横浜市立市民病院は、新たな場所に建て替えが進み、
今年5月1日に移転・開院(650床)する予定になっています。
最近、横浜市長が出したコメントの中に、
新コロナウィルス感染者のために530床を新たに用意するとありましたが、
これまでの建物を閉鎖せずに転用するのでしょうか?
だとすれば、不幸中の幸いかもしれませんが、
医療スタッフの確保は大丈夫なのか?
それとも、災害時要請をして野戦病院的に活用するのか?
注目していきたいと思います。
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