散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

この世とあの世

2009年10月23日 | ★メタ坊徒然草
人生五十年が、今は八十年を超えた。
おかげで、身体に故障はないものの、頭の方(髪ではなく脳)だけは確実に衰え、認知症が社会問題化している。友人の中にも、父が認知症となったものの、もともとダジャレやジョークをボソボソと会話の中に紛れこませてしゃべるのが常だったから、くも膜下出血で緊急入院して一命をとりとめたあと、医者にキッパリと診断されるまで認知症が出ているなどとは疑いもしなかったという。
これが遺伝とかDNAのせいなのかと思えば、嫁いだ妹は同じ症状が出たが、2歳上の兄は、腰は曲がるにせよボケてはいないともいう。面白いのは、そのお兄さんが妹が亡くなった折に「次は俺の番だ」と急にうつ状態になり、日中は夏でもコタツに座りっぱなし、夜は寝床に入るという生活を2年間繰り返し、ある日突然「俺は死ぬ気がしない。2年間も待っているのにあの世からのお呼びが来ない」といい出して、急に散歩に出はじめ、日がな一日テレビを見ては、芸能人のゴシップなどを自分の解釈をまじえながらしゃべって、今もピンピンしているそうだ。何が原因でボケたり、うつになったりするのだろうか?
老人介護施設も保育所と同じ待機児童ならぬ待機老人が数え切れぬほどいる。明治生まれの人に、年寄りは年齢をとったら納戸へ引っ込むものだといって、本当に納戸部屋へ引っ越した方がいる。その人はある日、脳溢血で倒れ、1週間心臓が動いて、90歳で亡くなられた。町医者しかいない田舎では当たり前の光景で、自然の成り行きに逆らって延命しようなどとは考えも及ばない。
今、都市部で問題が顕在化してきているもの、それが老人施設と墓地。いずれも、土地利用を制限されている市街化調整区域に建設できるものであり、農地や山林、原野と違い、宅地並みの価格で売買ができるという。農業の後継者不足がますますその傾向を強くしている。都市の中のオアシスと称して田園風景が残っていることを都市経営のPRのひとつとして強調する向きもあるけれど、知らず知らずのうちに田園が写真のような風景に置き換わることは杞憂ではないと思う。この先ボケて運良く?施設に紛れ込んだとしても、この世とあの世の境目は道路1本にすぎない。

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