散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

大横浜市全図(昭和7年)

2007年02月11日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

横浜は、東京港や羽田空港が整備されるまで、
海外から来る日本の玄関口だった。
それだけに、多くの地図が存在しても不思議ではないのに、
古地図を手に入れようとすると、なかなか見つからない。

さて、表面(ここをクリック)は、
発行所として、有隣堂本店、片山冨文館、雄文館が名を連ねている。
昭和4年に印刷発行、昭和6年、昭和7年に改訂を重ねたようだ。

市電の終点は、
間門、山元町、杉田、弘明寺、井土ヶ谷、保土ヶ谷、六角橋、生麦。
大さん橋は、税関桟橋と表記されている。
新港町(埠頭)からの航路は、
品川、芝浦、荻ノ浜、函館、神戸、四日市、
米国、シアトル、サンフランシスコ、
伊豆、熱海、伊東、下田、七島、小笠原島。

次に、裏面(ここをクリック)は、
江ノ島鎌倉案内図、横浜東京交通案内図、
横浜市新旧町名対照表、中区東北部詳図。
新旧町名対照は、昭和2年の第3次合併実施、区制施行に伴って、
町名が新設変更となったものを掲載している。

中でも、中区東北部詳図(ここをクリック)を見ると、
明治32年に山下町・山手町が新設されると同時に廃止された、
薩摩町、加賀町、蝦夷町、小田原町などの表記が残っている。
呼称として、根強く使われていたのかもしれない。

横浜中華街のメインストリートの呼称は、
現在、中華街大通りだが、当時は、前橋町だったということがわかる。
「法医学教室の午後」で知られる横浜市大医学部の、
解体されてしまった建物は三吉小学校とあり、
今の市大浦舟病院は十全病院とある。
伊勢佐木警察署の場所には、今、ワシントンホテルが建っている。
それにしても、横浜の中心部は、埋立でできた町だけに、
新設された町が多く、寿、羽衣、千歳、黄金など洒落ている。


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