東京(二十万分一)歩兵第31連隊印あり
第1号・登戸村(二万分の一)陸軍教導団印あり
第2号・荏田村(二万分の一)陸軍教導団印あり
第3号・程箇谷驛(二万分の一)陸軍教導団印あり
第4号・小野路村(二万分の一)陸軍教導団印あり
第6号・下鶴間村(二万分の一)陸軍教導団印あり
厚木町(二万分の一)歩兵第31連隊印あり
演習記号の記入
橋本村(二万分の一)歩兵第31連隊印あり
演習記号の記入を消した跡
上溝村(二万分の一)歩兵第31連隊印あり
原町田村(二万分の一)歩兵第31連隊印あり
明治の地形を知るための貴重な史料として購入。
歩兵第31連隊は、あの八甲田山雪中行軍遭難事件で、弘前から出発し、38名全員無事に行軍を終えた連隊。
一方の青森・第5連隊210名は遭難し、うち199名が死亡するという大惨事を引き起こした。
日露戦争を想定した訓練だった。
歩兵第31連隊が生還できた理由は何だったのだろう?
この地図が日露戦争を想定して、厚木近郊にて演習を行ったものだとすると感慨深い。
地形図厚木興味あります。