
1923年9月1日午前11時58分、関東地方に大地震が襲いました。
マグニチュード7.9と推定され、南関東から東海地域にかけて広範囲に大被害を及ぼしました。
死者105,385人、全潰全焼流出家屋293,387戸にのぼり、都市部では電気、水道、道路、鉄道等のライフラインは壊滅しました。
しかし、これがきっかけで「防災の日」が制定されたのではなく、戦後、1959年9月26日夕刻に紀伊半島先端に上陸した台風15号によって全国32道府県で死者・行方不明者5,098人に及ぶ被害を出した、いわゆる「伊勢湾台風」を契機に災害対策基本法が制定され、古くから伝わる台風襲来の厄日とされる「二百十日」が、関東大震災の9月1日と重なることから選定されたといわれています。
「災害は忘れたときにやってくる」とわかってはいるんですが、毎年発生する台風は風向き次第、そして関東大震災の震源域が近い巨大地震は、200~400年周期となると備えも疎かになるのは致し方ないと思います。
ところで、かなり前から年度の切替を夏休み明けの9月1日にしてはどうかという論議がありました。
新型コロナの感染拡大で学校一斉休業を実施した際、空白期間が生じることから論議が再浮上するのかと思いきや沙汰やみになりました。
新型コロナという猛威に対し、結論先延ばしのまま、緊急事態とまん延防止という「自粛」要請だけが目立った政策で、あとは後手後手の対処法というのは「平和日本」らしいところです。
日本の年度が4月1日~3月31日になった訳を調べてみると、1886年(明治19)に会計年度として制定されたもので、税制を金納にしたため換金作物の米の取引期間の関係からという説と、歳入と歳出の財政確保のうえで都合のよい日程にしたという説、イギリスの年度にならったという説などがありました。
メタ坊の「今の制度のもとは何に由来するか」という問いに「江戸時代の制度・習慣にヒントがある」と、ある歴史研究者からアドバイスを受けました。
年貢を納める百姓を先祖に持つメタ坊としては、4月は稲の育苗を始める番種の時期にあたり、遅くても3月までには種もみを用意する必要があります。
自分の田んぼで採れた稲から優秀なものを選んで種もみにすればよいのですが、病気による全滅を防ぐ工夫として、近隣の人と交換、あるいは年貢を集める名主・庄屋・組頭から支給されたと考えると、それまでの1年の清算をする必要が生じます。
米づくりが国の根幹となっていて、その習慣に合わせることで国の安定につなげると考えたから4月1日始まりの年度にしたのではないのか?と考えています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます