散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

過積載

2009年05月26日 | ★メタ坊徒然草
走り去るワゴン車を見て「見つからなければ、なんでもあり」の世の中になったなあと唖然としつつ、助手席からデジカメした。いつごろからルールを守っている者が馬鹿を見るような風潮になったのか?近所にいつも路上駐車する人がいて、一年に一度は駐車違反で罰金を払っているが、駐車場代を毎月払うよりも安いと吹聴していた。日本は治安が安定しているという、しかし、それはルールを守る国民性が高かった時代の話だし、向こう三軒両隣といった相互監視が成り立っていたころのことだと思う。子どもの頃、よく町なかを自転車を押して歩くお巡りさんを見かけた。子どもごころに畏怖する部分と安心する部分とがあった気がする。今はどうかというと、パトカーやバイクに乗って通過するのを、ときどき目にするだけ、おまけに結構みなさんメタボで、とても歩いて巡視したり、犯人を走って追跡なんて無理だろうなと思えるばかりなのは、私ひとりだけじゃないだろう。
オレオレ詐欺にしても、食品偽装にしても、だまされる方が悪いと犯罪者たちはいう。また、例え捕まっても「罪を憎んで人を憎まず」という論法で、刑罰が軽いことも再犯を防げないようだ。だまされ、被害にあった人たちの無念さを思えば、何か間違っているような気がしてならない。過積載した車が倒れ込んできて、事故に巻き込まれ、怪我もしくは死んだとしても、原因者は罰金か、懲役刑でも初犯なら執行猶予止まりになる。更正を期待してというが、傷や命は戻らない訳で、そのバランスがどうにも納得できない。
もうすぐ始まる裁判員制度で、もし私が裁判員になったら、とにかく被害者の思いを100%尊重することになる。万が一、検察庁の起訴が冤罪であって、誘導された被害者・遺族の意向がそこにあったとしても、被害を受けた人が悪いという犯人の心証がぬぐえず、どちらが真実か確信を持てる状況にないときは、私は被害者の立場で判断したいと思う。その意味からも、初動捜査にミスを犯した警察を非難することよりも、小さな事件でも地道に捜査を進め、事件を解決しようとする多くの警察官が現場でがんばっていると信じたい。

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