まだ完成には到っていませんが中間の報告です。
この春から旧八坂村の水車小屋をお借りして、昨日までの私の作業日数は
170日となりました。
そして、美麻の現場に手伝いに来てくれた人はなんと『156名(ワークショップ25名も含む)』
私以外の延べ人数は『380人』
平均滞在2.4日間
ほかに見学、差し入れをいただいた方々は多数。
改めて数字にしてみて、遠くまでたくさんの方々に足を運んでいただいた事に驚いています。
中には2度3度と来てくださいましたね。
昼間の汗を流し、炉端で鍋を囲み、酒酌み交わした集いは
建物同様に温かく手づくりの憩いの時間でしたね。
そして、最後は何とか雪までに間に合って年内の作業を終了しました。
まさに奇跡的であります。
そしてそして、高所での作業も多かった今回が何より無事故であったことに感謝です。
(私自身は手の甲打撲、目が漆喰による破片で痛み、二度の通院でしたがともに軽傷でした。)
なお、来春の再開は3月15日を予定にしています。
よいお年をお迎えください。
『八坂で田んぼ・美麻で手作り藁の家 その後』
07年春から育てる会の施設である八坂切久保の水車小屋を宿にお借りして、素人仕事で家づくりを始めました。まだ完成には至っていませんが、中間の報告です。
大きすぎず小さすぎずの建物は地下を含む、2階建てで延べ床50坪弱。完成後は徐々にここに移り住んで、珈琲豆の焙煎をなりわいにしたく計画しています。
はじまりは山村留学に縁のある地で住みたいとの願望からです。ただ住んだとしても、生活をしてゆくには糧が要るわけです。そして自然が豊かな地で店をするとなれば、おのずと来店いただけるお客様は少ないのは当たり前なのです。そこで不安はあるものの販売方法は来店に過度な期待をしなくてもよい、御当地発で珈琲豆の頒布会を主に考えているところです。当然、建物内には試飲のスペースも設けて、知人宅のようにゆったりとくつろいでもらい、気が向けば泊まってももらえるような空間に仕上げるつもりです。
去年の春、育てる会「低学年スキー」リーダーボランティアに入った頃から、残雪の中で雑木やカラマツの伐採・基礎工事・上棟・塗装・藁の壁積み・室内外に藁の漆喰塗り・屋根葺き・窓枠取り付けなどと進めて来ました。
季節はながれ、室内でも氷が張る頃となり、ただ今は本業の洋菓子に戻り現場での作業はお休みにしています。高所での作業も多かった前半が何より無事故であったことに感謝です。
ところで主な建築資材ですが、大人が一抱えもあるような稲藁の塊が大型トラック3杯の500個余りで6t。その藁がすべての壁になる藁の家(ストローベイルハウス)なのです。その積み重ねた藁に直接に塗る漆喰が外壁・内壁の表面となるわけで、13tとなりました。ともに膨大な量と加重になり、床の補強が必要となりました。
環境にやさしいサスティナブル持続可能な建物を目指し、天然の素材にこだわったのは良かったのですが、いつ終わるともしれない壁塗りには気持ちが萎えそうにもなりました。ちなみに家一軒の産廃は建築資材の3%が廃棄となるようですが、ただ今のところ材料は使いまわしてゼロ。
途中、藁に大敵の雨水の浸透などのトラブルで、投げ出したい気持ちにもなりました。そんな時は気分転換に会の夏の活動にリーダーとして参加して、瀬戸内の海で子供達に囲まれてリフレッシュ?!
何とか奮起。北アルプスに迫り来る雪雲を睨みながら、降雪までに間に合わせて足場の撤去と掃除を済ませてホッとひと安心であります。現在八割程度の完成度となっています。その間、私自身の作業日数は170日というものでした。でもここまでやってこられたのは、それ以上に美麻の現場に足を運んでくれた友達の存在があったからこそ可能となりました。
北海道から九州まで156名。延べ380人。ほかに激励の見学も多数あり、中には2度3度と作業に来てくれました。自分自身もですが、何がその家づくりを夢中にさせるのか不思議です。無から形づくられていくモノ(農業も)づくりの喜びは、人に与えられた自然な欲求なのでしょうか。
過酷で慣れない昼間の労働の汗を流し、囲炉裏端で鍋を囲み、初対面の者も酒酌み交わす集い。建物同様に温かかい手づくりで憩う時間となりました。
そして春から初冬まで暮らした副産物。現場に通う道すがら、またセンターで山村留学の子供たちに接する機会も多かったわけです。現役の父母である時には感じることのできなかったおもいで、子供たちの成長を観たり、また頑張る姿に接していました。改めて我が子を讃えてやりたい心境になりました。
さて棚田ですが、田起こしから地味な草刈り、待望の初収穫、一言で新鮮でした。
年代の高い方は別にして、私は昭和30代の端くれにしては幼いころから農作業経験がある方だと思います。当時も珍しい専業農家であり、貧乏だったので随分と自主的に手伝った記憶があります。
母の玉の汗には苦労しているなぁと感じ、助けてやらねば・楽にさせてやりたいとおもった小学生でありました。
自分の酪農・農業経験は辛いばかりだと当時は感じていたのですが、歳を経るごとに貴重で代え難いものであるとおもうに至り、子供達も瑞穂の国の日本人であるならば是非、その経験をしておいてほしいと山村留学にと勧めたのも一因です。
早い時期から人生の後半は田舎暮らしと決めていました。できれば50代からと試行してまいりました。
静寂な中で、日の昇り沈みともに暮らし、農業もしたい。
いま、実現の直前まで来ているようですが、課題は現時点で田舎の暮らしにさほど関心のない「かみさんとの別居生活」をどのように折り合いをつけ、クリヤーするかであります。期間の半々でそれぞれの生活をして、折衷をつけようかと相手の顔色を窺いつつ、模索中であります。
現場の再開は3月中頃を予定しています。完成と竣工式パーティーは5月の中旬、菜の花満開のころです。工事に来た人に関わらずこの文を見られた方も大歓迎ですよ。遊びに来てください。本格コーヒーを用意して待っています。
それにしても悔やみ切れないのは、工期の関係で棚田の稲藁を今の建築資材として使えなかったことかな。
秋空の下、脱穀後の棚田で勢いよく燃え灰になってゆく藁を眺めつつ、勿体ないなーと。
『初雪を 静かにうつし 春を待つ』
(早くも地元、有志の方々より整備がされ、水が張られた新たな四枚の田の仲間入り。水面はやや早い十一月の初雪を写し出していた)
瑞穂の国 野口雨情
昨夜お背戸の竹藪で
雀の見た夢話そうか。
昨夜雀の見た夢は
昔の昔のことだとさ。
お米を探しに出掛けたら
一粒お米があったとさ。
一粒拾って蒔いたれば
十粒のお米が出来たとさ。
十粒のお米を蒔いたれば
百粒お米が出来たとさ。
千粒萬粒蒔くうちに
瑞穂のお国になったとさ。