奈良の唐招提寺には時々、散歩がてらに行くことがあります。その時々に思うのは鑑真和上です。どんな思いで日本にやってきたのか、どうやってこれたのかなど思いをはせ、一度読んでみたいなと思っていました。日本から4人の学問僧が遣唐使船で唐に向かい、仏教伝搬の役割を担って9年間中国で生活、幾度かの難破に遭いながらも苦難の末、鑑真和上ともども日本に戻ってくるというお話です。雰囲気が伝わるように、本の挿絵をコピーさせていただき、本の一端をご紹介します。
↓ 本の表紙
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↓ 時は天平6年、4人の学問僧が遣唐使に選ばれ、大使広成率いる4船の遣唐使船が中国唐へ。筑紫の大津浦港を出港。
4人の僧侶、普照(大安寺)、栄叡ようえい(興福寺)、戒融、玄郎(年若い)。
外海に出ると荒波の連続、僧侶4人のうち船酔いが激しくげっそり痩せていくものも。3ヶ月かけて中国の地を踏む。
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↓ 鑑真和上遣唐使船は何度も難破。漂流したところが南の島、海南島(マカオ)にたどり着く。
鑑真さんが目を悪くしたのは伝えられていますが、幾度かの苦難を乗り越える中で患われたのでしょう。
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↓ 4人の僧侶は中国で別々の道を歩み、一人は現地で結婚、一人は流浪の旅、一人は鑑真和上来日を強く志すも途中で亡くなる。
現地で出会った僧侶は中国の経典を何年もかけて写経し、日本に持ち帰ろうとするも、難破に遭い、経巻ともども海に掘り出される。
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↓ 鑑真和上と9年振りに帰国。帰国できたのは4人の内、普照ただ一人であった。その後彼らは仏教普及へ広く活躍されました。
彼らが広い中国をたどった経路。
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本日もブログにお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。