昨日、 守口の宿場町めぐりをしてきました。
日本の多くの観光スポットと異なり、わが町枚方と同じくあまり知られていない感が・・。
とくに枚方は、京都と大阪の中間地点にあって、淀川も流れていて、秀吉や家康の時代は気になるところのようでした。
秀吉の時代には、大阪城と伏見城の作った後最短距離で結ぶ道をつくるべく、毛利などの家来に命じて淀川沿いの
堤の上の道をつくらせたのでした。その上、中間地点の当時あった枚方城の城主の娘のために、大阪平野が見渡せる場所
に、お茶屋御殿をつくり、伏見城へ行く際にしばしば立ち寄ったとされています。
その後、家康が、江戸幕府を開いた後、当時、江戸から京都まで、東海道53次だった宿駅を、京都から大阪まで
を重要視して、伏見、淀、枚方、守口の4宿を加えて東海道57次にした!と言われているのです。
当時、淀川を行き来していた三十石船や、その三十石船に、お酒やお米、ごんぼ汁などの食べ物を売っていた
た、くらわんか舟も有名です。
守口は大阪に近くて秀吉、家康の時代とも、始めて手を加えられた、とされていますが、建物は
ほとんど残されていない様ですが、当時の町並みがところどころその古いまま残っていて、宿場町の趣きが感じられました。
江戸時代から残っているちょうちん屋さんはとても風流でした。
唯一守口でしか見られない文禄堤
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