洗心庵 霊能 常世/霊能師・みどり公式ブログ

浄化を進ませ、苦しいことも嬉しいことも結果を出し次の人生へと後押しする場所です。

雨と晴れ間と曇り空~あの夏の日がまた増えた~

2009年07月29日 | blog
7月も終わろうとしておりますが、最近の自分の時の流れの
速さにもう、飛行機は実は体に凄く負担が掛かっているらしいね
時速の早い乗り物って人間にはあまり良くないらしいよねー。
そう力説していた時に真顔でそうですよー
そんな今までおみどり姉妹(叶姉妹的な姉妹)の付近に居なかったタイプ
の妹であるさっちゃんがウチのマンションに引越してきました

今日、荷物を搬入しましてコロ姉、ぽん姉、おみどりでさっちゃんのマンション
に荷物を引き取りに行ったのですが、コロ姉の働く気満々の格好に
あー、私なんか間違ってるよね~と言う私の格好に少々気後れしながら
とうとう三姉妹が四姉妹になるのね~

と、感慨深く愛車ぼんちゃんに揺られていると夕飯どうする
そうでんなー、何て考えていると最高のフォーメーションを是非見て頂きたい
と言うコロ姉の一言でしゃぶしゃぶ食べ放題へ
アク取り隊、オーダー隊、鍋隊に分かれて隙間無く食べる私たちに
さっちゃん一言。

郷に入れば郷に従え・・・

でもこみどり姉妹そんなの全然気にしないの

小さい事は気にすんな、それワカチコワカチコ~

私の住む宇治市では以前、ある事件が起きましてその事件の現場に
なったのが私の良く知るうどん屋さんがお持ちのビルだったのですが
このおっちゃんがまたナカナカの「人物」でこう仰ったのですね。

あのな、人間生きてたら色々有って当然。
死ぬ事思ったら、数千万の事ならかすり傷やわ。
ほんま、しょうもない事で落ち込んでたら損。

正直、結構な事件でヘリやマスコミが騒いでいる最中に庭掃除を
しながらそう仰ったおっちゃんを正直スゴイなと思いました。

これからの人生、師が説かれる誇り高きアガシャの魂
自己犠牲の愛を学ぶ為に生まれ出た魂の意味を
噛み締めながらこれからも生きて行きたいと思います。

これからの日々がまた、先の人生で輝くように祈りつつ

愛はただ愛だと、そして夢はただ夢だと~忘れはしない。

2009年07月11日 | blog
愛はただ愛だと、夢は純粋にただ夢だと・・・。

これは私は野村万之丞先生の下、大田楽の宇治上演に向けて励んで
いた頃に暑い夏の稽古場で、たった数時間の幻の為に懸命に稽古する
参加者に稽古をつけさせて頂いている時、一心不乱に踊る約100名の
方々に掛け声を掛けながら思った言葉です。

仕事終わりに稽古に来られる方、学校終わりに稽古にこられる方、
そしてお子さんに絵本やオモチャ、お菓子にお茶を持たせて
気を使いながら、一生懸命振り付け、構成を覚えておられるお母さん。

暑い夏に始まった稽古も9月も半ばを過ぎるとただガムシャラに踊り
懸命に音を出していた楽隊の皆さんの動きが変わりだします。

100人の動きが笛の音、太鼓の音に乗り、フワリと止まる瞬間。

いつもこの瞬間が大好きで、躍りながら掛け声を出し振り返る時
皆の瞬間と自分の瞬間がぴたりと重なり花咲く時、これから先の
人生、いつも周りの皆と花咲く瞬間を得るための努力を惜しまない
人間でありたいと思っていました。

本番の当日まで、怒鳴り散らし、ウナリ倒していた私でしたが
「皆さん、最高ですよー、遠い所からも凄い綺麗に見えますよー」
「皆さん、カッコいいですー☆」
そう言いながら走っている時にニッコリ笑う皆さんの顔が大好きで
今日はどうやって皆さんを褒めようかなー。何て考えていました。

でもその反面、ぽんすけにだけは稽古場一杯に響く声でぽんーっ、
オマエはボケかー。コラー、等と怒り散らしていたので参加の皆さんが
ぽんすけさんが怒られるからみんな、しっかりしましょう。
そんなコトを仰っていると聞いて、何だか涙がポロポロ流れて
止まりませんでした。

そして、本番の日。

装束を身に着け、整列が終わる時、行きますよと振り向いた時、
約100名の皆さんが、ハイッ。静かにそう返事をして下さった瞬間
まだ本番が終わった訳ではないのに報われた・・・。そう感じました。

万之丞先生がいつもこう仰っていました。

本番の日の数時間のため、幕が終わる瞬間の為に苦労して
泣くんです。たくさん苦労しなさい。

今、自分は全く違う道で生きていますが100人に伝えるつもりで
ひとりの方に話しています。

私が志す、私が会いたい霊能師はいつも夢を語り
ドカドカと色々な方の胸に入り込み愛を注げる霊能師。

純粋な愛情は何人の心をも溶かします。瀬川先生の愛のことばより。

明日、K先生と最後のお別れにぽん、ころ、さっちゃん、みどりで参ります。

K先生、どなたが先導に居られるのですか?
K先生があの人先帰りはって胸に穴開いてもうてなー。
また、会えるしなー。ま、楽しみや。

またお会いする日に今生の精進をK先生に見て頂くのを
楽しみにしています。

そして瀬川先生に導いて頂いた日の帰り、ぽんすけがボロボロに泣いている
姿を見て、ぽんすけ瀬川先生にご縁深いんやろうなー。

私はK先生の縁なんよなー。
そうポツリと呟いた私にK先生はスックと立ち止まられ
私の縁やったら嫌なんかっ!!
いやいや、そんな事は決して・・・ゴニョゴニョ。
全ての思い出が愛から発していた事を思い出します。

行即光

神の智慧に至ろうより、その心を敬い行う人になれ

これから、この生きると言う世界を 我、神と共にいますの言葉と
共に歩んで参りたいと思います。




じゃあ、また・・・。さよならのドーパミン。

2009年07月10日 | blog
人ってどうして別れが必ず訪れるのに出会うのでしょうか。
私が幼稚園の頃、母に尋ねた事がありました。

「なんで死ぬのに産まれんの?」

「死ぬ事、終わる事が決まっているから精一杯頑張るの」

・・・ふーん。

幼い頃からどうやら祖父のスピな英才教育を受けていた私は
いつも死と言う物を恐れ、形の無い思いが押し寄せる感覚に
怯えながら、原因不明の不調と戦いながらこの世界に出会うまで
生きると言う感覚を今ひとつ掴めないままただ、頑張っていれば
結果は出るんだろうなぁ。だから頑張ろうっかなぁ」

そんな感覚でいつも友達に何だかアツイよね?そやで、私はアツイでっ。
何て言いながら闇雲に頑張っていました。

辛い痛みと戦っていたそんな時、この世界に出会い

「あんた、そんな考えで生きてて楽しいんか?」
「自分を大事に、自分が楽しいように生きんか。
 誰にも大事なものを神さんから頂いてこの世に降りとるんやで。
 それが個性や。個性大事にしいよ。」

「病気?原因不明?今日からウチが居るから大丈夫やで。
 しんどかったらいつでも電話しんか」

K先生と出会い、手を引いて頂き、色々な経験をさせて頂き
感情を学ばせて頂きました。
出会わせて頂いたあの日、暑い八月の夕方の
事は恐らく一生忘れる事はないでしょう。

K先生・・・。

私を生かして下さり、師、瀬川先生に導いて下さったk先生がお帰りに
なられたと今日、一報が入りました。

前回お会いした時、じゃあまた。。。お別れした後姿が石切の鬼のように
厳しい坂道を立ちこぎで颯爽と走られていた姿と重なり心の底から
手を合し、神仏にK先生の平安をお願いしました。

私たちが身を置くこの世界には警察、六法が裁く世界と
天の神さんが裁かれ、自分自身が裁く世界が厳然とあります。

本当に正しい事なんて、神さんしかご存知ないんだろうと思います。

だけど、いつも近くで見ている自分の家族、親友はきっと本当の自分の心を
知って下さっているのでしょう。

見てござる、聞いてござるぞ神仏は。

そして、K先生が懸命に相談に乗られる姿、共に悩まれ、笑われる姿を
思い出し、現在の自分があるのはこの道へと手を取って下さった
K先生のお陰を頂いている事を魂に刻み、これからも真っ直ぐに
歩いて参りたいと思います。

あんたはなぁ、巫女になる為にこの世に降りとんや
あんたは巫女さんや。

K先生と色々な感情を学ばせて頂き、乗り越えてきました。
きっとこれからも私はまだ色々な事を学ぶのでしょう。

K先生、先生が下さった鉢植え元気に育っています。
子株も沢山ついています。

あんた、これ枯らしたら失格やなー。ハハハハハー。

これからもガサツイ子(K先生命名)ですが、またご縁下さい。

そして私が道を外したら、あんた、アホちゃうか。
心底あんた大丈夫かいな、また、愚かな私にガツンと怒って下さい。

あんた、もうこんな末法の世の中、法しかないで。

神さんにあんた聞いてみ?

あんた、守護霊に聞いてみんかー?

K先生、地球は綺麗ですか?

K先生、じゃあ、またお会いするのを楽しみにしています。


天国はすでにあなたのもの~繋がりと潤いの世界~

2009年07月03日 | blog
笹の葉さーらさらー のきばにゆれる♪

いやー、暑いですねー、何てうっかり挨拶したら今日は寒いでと
言われたみどりでございますよ

今日、何気に車を走らせていると鯉幟が数十匹大空を泳いでいるのを
見て何だか潤いを感じるとともにスイッチオーン

兄弟の面倒を見ている男の人。

その兄弟を見て家意識を強くもって生きている人。

そして家と言うものを静かに大事にしながら苦労している人。

家を忘れて自分本位で生きて居る人。

ふーん。そんな感じの絵が頭に浮かび、こいのぼりの歌と背比べのうたが
頭の中をグルグルと周り、この美しい国が戦争とともに無くしたもの
そして新しくなったもの。
私たちの世代がサラリと自分の小さな経験の価値観で判断し無くして
しまっているものが実はあるのかもしれない。
そしてそれは取り返しがつかない物なのかも知れない。

何だかそんな気持ちで胸が一杯になり、運転しながらシクシク。

私に出来る事から何とか残して行きたいと思って出来る事と言えば
まずおじいちゃん、おばあちゃんが何を私たちに話していたかを
思い出すこと。
そしてその時の表情や声、仕草を思い出し今の私に何を望んでいるだろうかと
思いを馳せ、そしてその思いに準ずる孫になる努力をしていく事。

今の年になれば当たり前に解るのに、あの頃は幼さゆえに
祖母を傷つけた事もあるだろうと本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

原因不明の体の不調で検査の為、絶食をしていた私と一緒に夕飯を食べずに
一緒に七夕の飾りを作ってくれていた時の祖母を思い出して、夕飯を隣の部屋で
食べている家族を見てしょんぼりとお茶を飲んでいる時、ストローコップの
お茶をそっと差し出してくれた事を思い出して、何て愛情に守られて
私は生きていたのだと今、おばあちゃん、私はどう生きるのが孫として
正しいのか、教えて下さい・・・心からそう思います。

もうすぐたなばたですね。

そこかしこに短冊をたらした笹が設えられています。
その笹を用意された方の気持ち、折り紙で飾りを作った子の気持ちが
豊かで愛情溢れるものであるように祈っています。

子供は立派な経歴の親、華やかな家庭で作られるものではなく
日頃の小さな潤いで心が豊かに大きく育ち、そして立派な大人になる
はずなのになー。

そう神さん言ってはります。

七夕を前に、前回の反省禅定のお篭りで成長の言葉とは
厳しく辛い言葉であり、思いやりと優しさの粒子で出来た厳しい言葉は
人を強く導く白光の世界への道標だと様々な出来事に感謝出来る心を
感じ、どちらかと言うと日傘、つば広帽子で日陰を選んで歩きたい私も
恐る恐る、日向でキャッチボール出来る位に成長しているの・・・かも。

そんな事を感じた七月のはじめでございました。