11月も終わりでございます、寒いでございますわね、ご縁の皆様
こたつを出し、ストーブを出しましてヌクヌクと暖を取り、ツイッターではご報告しましたがひょんなことからやってきたほぼ55インチのテレビで秋ドラマを楽しみ、幼い時から大好きな某歌劇団のCS放送を嗜ませて頂きながらこの秋を過ごさせて頂いております。
ほぼ50インチの我が家のテレビがなぜかレコーダーの接触不良ということで不調で、某歌劇団の某妖精にハマり某妖精の録画を取りだめ、部屋で某妖精のお舞いになるお姿、お歌いになるお姿を見せて頂く事でエネルギーを廻す事を覚えた私は録画が見れないという事にむせび泣き食事もとる事が出来なくはない、位に落ち込んでいたのでございます。その某妖精でさえ、私にとってまさかの課題の一部だった、というオチでございますがこれはインターネットには書けない事なのでお会いした時にお聞きください、ませませ。
人生なんて思うようになんてならない。
生きていて楽しい日が人生数日あるかないか、本当はそんなものだと最近とみに思うのです。
はい。突然どうしたでございますよね?なんですかね、人生は楽しい事で溢れている、私もそう思いますがそれは超豪華な旅行に行ったとか、しつらいも素晴らしくてお味も良いレストランに行ったとか、思い通りの背格好であるとか。素晴らしい仕事をしている、とか。長い人生で必要な事、大事な思い出ではあるけれど長い意味ではあまり意味が無いのかもしれない、そう思うのです。ここで私が呟いていてどれだけの方の胸に落ちるのかは分かりませんが、続くお話の中で必要な事なので、ここはひとつ、読んで頂ければと思います。
前回のブログの続きでございます、もしまだ読んで頂けていないお友達、ご縁の方はぜひ、読んで頂ければと思います。超長文ですがこちらになります。
君は薔薇より美しい、私、そう思うよ~目に見えない翼拡げて静かに君は変わった~ - 洗心庵 霊能 常世/霊能師・みどり公式ブログ
そして叔父のお話なのでございますけれど。
叔父の家に出向き、驚愕の事実を知る、の巻きをお送りしたいのですがこれがですよ…。実はあの日からまた進展がありまして…。叔父、伝えたかった事があったようで暫く滞在しておりました💦
それは自宅前の線路が複線化されるようで現在工事中なのですがどうやら無人の筈の叔父の家に工事の車やなんやらを現在の持ち主の方の了承を得ているのかいないのか知りませんが、バイクや車がドドドドーンとおかれており、大事なお庭のエントランスにも資材がドドドーンと…。
これは偶然、さとみさんと滋賀の日吉大社のライトアップに参らせて頂いた際に、帰りにいつも行く宇治のカフェ、ドトール珈琲農園に出向き、そこで叔父の話になり、と、なると行ってみていいかな?と車で15分程の伏見の叔父の家に様子を見に行ったのでございます。するとどうでしょう。夜9時すぎでしたが電気が煌々と焚かれた叔父の家の前で大掛かりなロープが張り巡らされ沢山のガードマンが通行止めの迂回を誘導しており、寒い中光る指示棒?警備棒?を振り地域の安全を守っておられました。
なる程・・・。ここより今の場所の方がご供養も足りているし良いご住職に護られているって事を知らせてくれた・・・のと同時に「もう一つの人生」を選ばなかったわが一族にどちらを選んでいても与えられる試練や課題の重さは同じで大変なものなのだと叔父が教えてくれたと胸に落ちたのです。
そして心に残る印象深い出来事は来世に続く愛された証なのだと。
お金で愛情は買えない事、思いは買えない事を叔父家族は知っていたのでしょう。心から出る笑顔や優しさがどれだけ自分を豊かにし、幸せにするかを知っていたのでしょう。
今、私も本当に心から思うのです。思いと言葉と行動が人を幸せにすると。
叔父はあまりお話をしないし、庭いじりが大好きでDIYが大好きで作業場を作って何かしらを作っていた人でしたが、私に大事な思い出を残してくれているのです。
まだ3歳位の時でしょうか、父の車に乗り、叔父の家から自宅に帰る時に見送ってくれていた叔父が私の乗っていた側の車のドアを閉めてくれたのですが、私の手が挟まってしまって火が付いたように私が泣いたのです、いや、そんなところに手を置いていた私も悪いのです、本当にごめんなさい、猛おじさん…。
そして叔母秀さんに「猛、ちょっと何しているの」と怒っている叔母の声を聞きながら声には出しておられないけれど「本当にどうしよう、どうしよう」と動揺しながら泣く私を見ていた叔父の顔が今でも忘れられないのです。あぁ、私は大事に思われていたのだな、愛されていたのだなって・・・。
人生であんな思いの沢山入った目で私を見てくれたのはあの叔父の目以来かも…とも思える目でした。
あ、違う、母方の祖父が入院した日に私を見送ってくれていた時の目もあんな目だったな。
この二人に共通しているのは戦争に行っている事、そして私をとても大事に思ってくれていた事。
この叔父、今気づいたのですがきっと私と同じ心の鏡を持っていたのですよね。
父であるやっちゃんの家族の未来、みどりちゃんの未来を見ていたのでしょうね、きっと。だからこの心、性質だから金銭的には苦労のないようにと思うと共に、やっちゃんとやっちゃん家族の未来を共に近いところで生きたかったから養女のお話を下さったのではないかと。。。実際兄は本当にキラキラとした人生で商社マンとして人生を謳歌し娘はキー局のテレビ局に就職と文句ない人生ですわ、本当に。
でもね、私にはそんなキラキラした人生は無いしお人に話せるような豪華な思い出はないけれど、巫女みどりにならせて頂いてから沢山の人の幸せに関わってきました。同じだけ悲しみにも関わってきました。
そして人生の闇に対峙し戦わなければいけない時にのみ、大きな決断の時にのみ近づき神の名に縋り、神の名を汚す人間にも出会いました。
が、しかし。
どんな時も神さんは私のお願いを聞き叶えて下さっている。
私を一人にしないで欲しい、いつも思いのある環境に置いて欲しい。
そして奇跡というものを味合わせて欲しいと。
勿論積み上げた上に起きる奇跡で急にお金が降ってくる、とかではないですよ。
これからも私に必要なご縁と喜びと苦難を神さんは与えて下さる。そして苦難の道を支えてくれるお供を与えて下さっている。
あの日の叔父の手を詰めて痛がる私への心配と泣いている姿が可愛いと思っているけれど口に出せない顔、そして入院した日に喉を切開して声が出ないのに病院の下まで見送るとメモに大きく何度も書き、車いすを用意してくれとナースコールを押す祖父の顔。
そして今、強く私を大事に思ってくれている人々の顔…。
これ、死を意識したりすると強く浮かぶのです。
去年の入院の時、ICUで看護師さんに「みどりさん、ゼリーだけでも食べよう、みんな美味しいっていうゼリーがあるの、きっとみどりさんも美味しいと思う!」と言って下さった時の涙を浮かべた下さった方の顔も最近よく浮かびます。
でも芯になっているのは口に出せないけれど心から大事と思ってくれている叔父や祖父の顔。
勿論、今回は出てこない父方祖母の母方祖母のあの顔この顔も・・・。
どうぞまだ存命の父がこの叔父の思い描いていた人生を少しでも生きられますように。
人生の喜びがこれからの人生に積み重ねられますように。
天に還った時、父の一族、叔父の一族と賑やかに過ごせるような私も学び深い人生でありますように。
そして。
お友達同士でお出で頂く方がお互い理解されて若い時から一緒に生きて来られたのだなと思う光、オーラを出しておられるのを見せて頂くととても嬉しいし私もお友達になったような気持ちになります。
天で選ばれたタイミングで私たちはお会いしているのですね、いつもお二人の笑顔を思い出しています。
反対に。
お友達は楽しそうに見えているけれど、そのお友達だって本当は深い悩みがあるかもしれません。人は誰でも楽しい事も辛い事もあるのだから。やっかみひがみ、それも神さんが私たちに与えられた愛の表現思いの表現なのかもしれません。だから手放した方が良い感情は手放して心軽く生きていきましょうよ。一緒に。
お話会で霊的なお話に慣れておられない方に、長くご縁を頂き参加して下さっている方が該当者の方に優しく
「お話、あなたのお家のわんこの話になっていますよ」
「さっきのお話、もしかしてあなたのお話ではない?もう一度聞いてみたら?」
等と話しかけて下さっているのを見た時もとても嬉しかったです。
私が来世に持っていく大事な思い出です、いつもありがとうございます。
本当にありがとうございます。
私たちのまだ行きついていない幸せを知り、想像し導こうという魂、先祖が誰にもいる。
私たちの姿を見守る存在がある。私もご縁のあなたの事を心から想像して祈っています。いつも。