
今年の季節の移り変わりについていけないなぁ。
例年だと9月か10月にはキンモクセイの香りが漂い、紅葉に向けて街の空気が変わる、そんな雰囲気なのに、今年は秋の気配が遅く、キンモクセイの香りだぁ、と思うと同時にすでに寒い、がやってきた。そんな感じでございますね。みなさま、お元気でいらっしゃいますか?みどりでござぃます。
11月のテーマソング、君は薔薇より美しい、お送りさせて頂きます
君は薔薇より美しい / 布施明(1979) - YouTube
今夜も素敵な布施明さんですの司会の方の声が素敵。
いつも頑張っているお母さんへ。その姿は薔薇より美しいです。
薔薇の香りが周りを癒し新しい状況を作ってくれますよう支えさせて頂きます。
季節は秋。食欲の秋を楽しむには少し歳を重ねてしまった訳でございますが、美味しいお肉を目の前に胃の重さを感じて3枚食べれたら良しとしよう、等と思いつつ6枚食べてしまう、そんな秋を過ごさせて頂いております。年齢を重ねると言いますが、本当の意味で年齢を重ねるってなんと深い言葉なのだと唸り、某城には怨念の霊が城を取り巻いているだの、ナニナニ川添いには逃げ遅れた魂が助けを求めて彷徨っているだの、私の幼い頃にはお昼の番組やゴールデンタイムに堂々とTVショーで放送していたのでございますわ。今の怖い話系のTVってお風呂で表す所なら観光地の足湯みたいなもので今一つ信ぴょう性に欠けていて入り込めないのですよね。
と、そんなピンポンパン世代の頑張らなくちゃエイジのご縁の皆様に本日ご紹介したいお話は正に°˖✧常世巫女みどりグランドロマン二幕二六場の開演でございます°˖✧と言わせて下さい、的な産まれ落ちる前から決まっていた筈?の人生から少しづつ逸れ、次の世代に因縁が繋がり夫々の人生に光になり、陰になり形作る様を文字から感じて頂き「本当に怖いのは生きている人間」その先にある意味を受け取って頂ければと思います。
そしてここでピンポンパン体操をご紹介させて下さい。
体操ありがとう、体操ありがとう、みんなでいいましょ、アリガトウゴザイマスーーーッツ。
カエルになりましょ、大蛇になりましょ、カラスになりましょ。
そして最後はやっぱりアリガトウゴザイマスーッーーッ。
霊能師としでの最終形態、理想郷、ジパングですわ。
何が起きてもアリガトウゴザイマースッ。
奇跡と共に歩むには令和の時代は私達には厳しすぎたのでございます。
何でも偶然、科学万能。医学の発展。そして祈りと因縁解除のすべてが調和して奇跡だと思うのですけれど。
でもね、信じて下さり繋がって下さる方の中で万分の一の奇跡は起き続けている。
いつも。
だから同じお役割の皆様、一緒に花も泉も枯れ果てても伝え続けたいです。
恨みと憎しみの現象の裏にあるもの、因縁とは愛の反転であることを。
そんなこんなで。本題へ参らせて頂きます🌸
今年の9月のお話なのでございます。
夢の中で父の叔父にあたる猛叔父さんなる方が出て来られたのです。
笑顔でお洒落なセーターを着て、生活していない部屋を掃除しないといけないよと珈琲を手で挽きながらお話をしつつ夢の中で私の家兼なんらかのお店、恐らくみるくほぅる(少しの間させて頂いていたミラクルなカフェ)だったと思うのですがそのお店のソファで常連のおじ様、お兄様たちに混じりお話されている夢を見たのでございます。私は叔父です、と常連さんに紹介しながら叔父の淹れる珈琲のお客さんになっていた。そんな夢だったのです。そしていい感じだなぁ、と目が覚める瞬間にこれは何かお伝えになられたい事があるのだなと思い、そういえば忙しさにかまけて叔父叔母のお墓参りに行っていない事に気が付き、目がしっかり覚めたタイミングですぐに実家の母に連絡をして叔父のお墓に参りたい、実はカクカクシカジカなんだと伝えてみたのです。すると超3次元の母から不思議ぃ、すぐ事情の分かりそうな親戚に連絡するぅ、との返信がありお墓の場所を教えて頂き「皆さん相続も滞りなく済まされてあんじょうしてはるみたいよ」と。ふーん。あんじょう、ねぇ。なんか引っかかるなぁと思いながらも、日程を合わせ母とお祀りして下さっているお寺さんに足を運ばせて頂いたのです。
伏見稲荷さんに近いお寺さんと言うことでお昼を母と同行してくれた廣瀬と3人で伏見稲荷の老舗祢ざねやさんでうなぎ丼と肝吸いの定食を頂きました。控えめに表現して焼き加減味付け最高でしたっ。
http://www.fusimi-inari.com/?p=154
そして秋のしっとりとした柔らかい空気と幼い時に育った伏見の懐かしい空気、叔父叔母の思い出に押されながら初めて参らせて頂くお寺さん、伏見のご縁のお客様、そして叔父叔母の思いを受け取り伝えたいから教えて下さいねと祈りつつ歩いていると、広大な墓地が目の前にっ!これは大変な事になったなと山の斜面全体がお墓でどうもお寺ごとにエリアが分かれているっぽいけれどここで波長を合わせたら倒れてしまうと思い、母にお寺に電話して叔父さんのお名前を言って場所を教えて貰って欲しいと話して休んでいると連絡がつき、お寺に来てください、お祀りしている場所をお教えしますということでお寺さんへ。
するとでございますよ。しーんとした澄んだ空気の中にご住職さんが待って居て下さり、お寺のお世話をされている方に場所をお伝えになられ奥に消えて行かれたのです。
お庭が綺麗に整えられている姿を望む本堂を超え、お連れ頂いたのがまさかの納骨堂だったのです。
あの、駅前の300坪以上の土地を持ち薔薇を育て大きな栗の木があり池のあったお家の叔父叔母が。
納骨堂に入っておられる・・・。
お子さんがおられないご夫婦だったので仕方がないという考え方も勿論あるのですがあの大きなお家を相続された方、せめて何か他に方法は無かったのかと心を落とし、遺骨の場所を見つけたいと肉の目で探しているとオビタダシイ数の仏さんの数にこれをひとつづつ確認していたら倒れると思いつつ、真ん中におられる弘法大師さんに「私は猛さんと秀さんの姪です、今日は恥ずかしながら初めてお参りさせて頂きます、おじとおばにお繋ぎ頂きたいのです、私の心が正しければ教えてください」とお願いしつつ見回していると旧字体で苗字とお名前が記されている骨壺が並んで目の前に°˖✧✧˖
ジーザースと思いつつ母と廣瀬に叔父さんと叔母さんと叔父さんのお母さん見つけたと声をかけると、母がアイフォンのカメラを立ち上げ、パシャパシャ記念撮影をしだし羨ましい程の3次元的感性だと思い他の仏様に申し訳ない旨をお伝えしたところ、こちらのお寺のご供養が足りておられるようで「ごゆっくり」との言葉に安心し、母と廣瀬とお線香、お花を差し上げているとお寺のお世話をしておられる方が様子を見に来て下さり「お住さんがお困りではないかとお声かけてあげてとの事で」と納骨堂まで様子を見に来て下さったのです。
丁度今、叔父たちを見つけた所です、ありがとうございますとご挨拶させて頂いた所、もし何かお住さんにお聞きしたい事がおありなら、お電話頂けたらお時間調整出来ますよとの有難いお申し出にではまたよろしくお願いしますとお話し、これはまだ続きがあるなと考えながら納骨堂を後にしお庭をみながら歩いていると母が、折角だから、叔父さんの家を見て帰らない?と。
このお寺からクルマで10分位の場所に大好きな叔父の家があるのです。
小さい頃に祖父、祖母が住んでいたお家。
この家は叔父の家だったのですが叔父の妻にあたる叔母、秀さんが私の父の母、私からみて祖母と仲の良いいとこ同士で、叔父と叔母に乞われて祖父である勲一家が同居していたのです。
この勲一家の四男であるのが私の父であるやっちゃんなのでございます。
祖父である勲さんの一家は一姫五太郎で兄弟も程よく年が離れており一姫である叔母は当時外交官の妻として海外赴任に同行し日本人の常識で超えられない海外の常識を奥歯を食いしばり耐えた話でお馴染み、といったソフィスケイトな人生を歩み、父の兄弟たちもそれなりの方も、それなりでない気味の方もおられる感じでございますが皆さんお人に迷惑を掛ける事もなくお家を構え家族をやしなっておられるので良しとしましょう、といった感じです。
そして叔父猛さんは祖父勲一家を呼びよせ同居する時恐らく心に決めていたのでしょう。
「男の子を養子に欲しい」と。
実際、父は叔父夫婦に養子に来てくれないかと何度か言われていたそうですが頑として母である祖母はるさんが首を縦に振らなかったそうです。
そして猛叔父さんがいつも話していた事を幼さない時に聞いていて、思い出すのが「やっちゃんは優しいからなぁ」なのです。叔父夫妻、本当に父を息子にしたかったのだと思います。そして時は流れ、やっちゃんは奥さんを貰い、家族を持つのです。そこで産まれたのが兄、ヒコちゃんと私、みどりちゃんです。
愛嬌のヒコちゃん、優しいみどりちゃんとして祖母はるさんにやっちゃんの子供たちは溺愛されて育ち、祖父勲さんが天寿を全うした頃、猛さん夫妻はやっちゃん夫妻に言うのです。
この家に一緒に住まないかと。
父、やっちゃん妻せっちゃんにお伺いを立てると即答されます。
「私は財産より自由を取ります。嫌。」と。
もうっ、この時実は現在JRの駅がある場所の目の前にある叔父の持ものも含む土地が打ち出の小槌である事がほんのり地域の住人達に広がり始めていた時期だったのにも関わらず、母は即座にお断りするのでございます。
そして父やっちゃんは自分の家を建て、家族と祖母はるさんとの生活を育むのです。
父が興した会社も苦労と努力の花と実が溢れてその実を楽しむ生活を送らせて頂いていたみどり15歳の春。みどりの心にアラフィフになる今でも心に刺さる事件が起きるのでございます。
「みどりちゃんの高校の支度、うちでさせてくれないか」と。
高校は正直パッとしようのない凡な所しか引っかからず、パッとしがちな勲一族にとって恥ずかしい人、それがみどり、そんな感じで高校入学を喜んでくれたのは母方の大祖父元軍医、のち町の医者になった順造さんと後妻の某教団の巫女さんであった松枝さんだけで、比較的、いや、本人史上最高に寒々しい生活を送っていた私は叔父夫妻の入学のお祝いをするからとお家に招いて下さり、ご馳走を用意して待っていて下さった事がとても嬉しかったのです。
そして近所のお魚やさんでお願いして下さった立派な鯛のお刺身やお寿司に動揺している時に叔母が重い口を開いたのですよね。
「みどりちゃん、うちの子に欲しいんやけど、どうかなと猛と言うてるの。」と。
実はお刺身やお魚系のお寿司が苦手でお魚系で食べれるのがツナサラダだけの私にとってこのお祝いのお膳を笑顔でありがとうございます、頂きますというのはなかなかの試練だったのでこのご提案に頭が付いてこず、反応が出来なかったのを覚えています。
そして母の「あー、みどりですか、無理無理、この子にはそんなの無理」
という言葉がまさに宙に舞ったのと、蛍光灯の明かりの色を今でも鮮明に覚えています。
叔父さんと叔母さんのでも。。。という思いもぐるぐると廻っていたのも。
そして時は過ぎて令和3年、秋の日差しの入る納骨堂にいる叔父叔母、叔父母の形をみて心が揺れ動き、私が養子に入っていれば、あのお家をこうして、ああして、父と父の兄弟とこうしてああして、そして叔父と叔母さん達にはこんなご供養をしてさしあげて、と想像が溢れ、父やっちゃんの幼い時を叔父叔母が見ていてこの子が欲しいと思われていた事、幼い私の中にやっちゃんを見つけておられた事、恐らく祖母はるさんには相談を持ち掛けていたのかもと、そういえばよく一緒に叔父叔母の家に祖母はるさんと遊びに行っていた事、私の大好きなプリンをいつも作って待っていて下さった事、大きな箱にいれてお土産に持たせて頂いていた事を思い出し、有ったかもしれないもう一つの人生に思いを馳せ、最終着地点は私が生きている間、叔父夫妻を思い続けるし手も合わすし祈るし話すし、報告するし、掛けて下さった思いを大事にします、いつかあの世でお会いした時にお礼を言いたいし、次の世では近い存在で生まれて来たい、そんな思いの着地点です。
長くなりました。このお話には続きがあります。
みどりとみどり母、廣瀬と叔父家に行きなるほどの事実を知る、の巻きです。
宜しければまた、読みに来てくださいね。
経験から学び、生かし、美しい縁の誰かの人生に昇華させ花開く姿を見守るのが私の人生です。
どうぞご縁の方の希望の一つに私たちの縁がありますようにと今日も祈り励みます。
それでは皆様、寒くなりますが無理はちょっとだけにして下さいね。
あなたが心配や不安で泣いている時、私も泣いている。
どうしてあげたら笑うのか、いつも考えています。
ブログ更新していただき、ありがとうございます✨
因縁とは愛の反転…まだまだちゃんと理解はできていないと思いますが、とても印象的で心に刺さりました。
私の実家も養子で継いできた家系なので、家を継ぐことの意味や想いをもっと深く感じられるようになりたいと思いました。
時代が変わったとはいえ、人の心や想いはそう簡単に変わるわけもなく、強い想いで家を継ぎ、縁を繋ごうとした方々の心を蔑ろにはできないと改めて感じました。
子孫が目を逸らしていたら、想いを伝えようとしてこられて当然だな…とも。
形では解消できない強い想い、願いの結晶に気付かせ、共に解消しようと助けてくださるみどり先生の愛の深さに胸が詰まります。
いつもありがとうございます😿