洗心庵 霊能 常世/霊能師・みどり公式ブログ

浄化を進ませ、苦しいことも嬉しいことも結果を出し次の人生へと後押しする場所です。

時代を言い伝えること、言い残すこと~beyond, beyond, beyond、far far far away~

2012年06月19日 | blog

蒸し暑いですねぇ、紳士淑女の皆様。

雨風で皆さまの心が波立っておられないこと、お元気でいてくださっていること、

おみどりいつもお祈りしておりますです。

節電も大事でございますが自分のエネルギーをどう逃がすかも大事でございますわ。

そう、そんな時は内観でございます。

今、どうしてこの瞬間を過ごしているのか。過ごさせていただけているのか?

随分前に師が仰っていたお話の中に、反省内観言うても出来ない時は今まで世話に

なった人のこと書き出すだけでもええんやで。

あらかた100人以上の人の名前が出てくるもんやで。

そう仰っていた事を思い出しまして時節柄内観は怠ってはいけないなと

少しずつ内観を進めております。

最近、ご縁の方とお話をさせていただいている中でよくお話させていただく事があります。

それが、自分を大事にしてあげてください。

自分を愛してあげてくださいという事なのです。

私は自分を神さんのお使いとして使い易い人、巫女としての強制ギブスを嵌めて

生きていた時代がありました。

もうそれはそれは今から思うに大変でしたがですよ、が、しかしですよ。

私は実はこの世界に入る前のほうが無条件に良い人馬鹿でした。

それは今から考えるに真の善い行い、善良というものを知らなかったからですわ。

あー。恥ずかしすぎて迷彩服を着て若草山を走りまわりたい気分でございます。

それともう一つ、鍍金(メッキ)はいつか剥げると言うこと。

天から持たせて頂いた正義感と真実、真っ直ぐにしか進めない心で

今まで何度も傷つき泣いて来た私に天が与えて下さったのが見えている世界を

感じることをお話させて頂き、人生を照らさせて頂く霊能者、巫女という世界でした。

現在、いつも隣でお互いを理解し支えられてきたぽんさま、ころさまが夫々にボディワークという

表現、役割を天から頂き、活き活きと生活している姿、結婚された方、ご出産をされた方、

そして本当の自分の人生を生きていく方向に歩みを進められた方等とお付き合いをさせて

頂いている中で、それぞれのタイミングでお会いさせて頂く機会を頂きながら人生の大きな

節目を共に歩ませて頂いている喜びを深く深く感謝させて頂く毎日です。

それと言いますのも今までいつも私を支えてくれながらみるくほぅるでは私の神さんいうたはるし。

そんな一言で喫茶を始めたり、やっぱり巫女みどりは石切で産まれたし石切行きたい。

みどりチーム一同、大丈夫なんですか、京都とか宇治がいいのでは?という意見を

頂きながら、いや、困ってはる人はやっぱり石切やとおもうねん。

龍神さんも呼んではると思うねん。

だって私が困っているとき、恵美庵に出会えてこの世界に出会えたもん。

絶対神さん奇跡くれはると思うねーん。

そんな天からの通信なのか、思いつきなのかという時点でも付いて来てくれたつなまよ。

5年前の京都のイベントで、不安そうに私の隣に座ってくれたつなまよは今では立派な天の

お使いであり、神さんとのお約束である若者に夢を夢と語り現実に導き立派にお国にお仕えする

仕事につき、その存在で私を支えてくれています。

もう、ユー、私の家に住んじゃいなよ?

そんな一言で、大きな荷物と共に我が家に越してきたつなまよ。

素敵な部屋着で優雅に過ごすつなまよに、わたしんちでは部屋着は学生時代のTシャツとか

そんな感じで過ごして欲しいねん。だって家ってリラックスするとこやん。

目を丸くしてリラックスしてますよと言うつなまよに、そのタカラジェンヌみたいなワンピ見ながら

私が寛げへんねんやんっ、そんなジャマイカ人に日舞を踊れ的な無理を言う私に従ってくれた

つなまよ、ほかにもここでは書けない事でつなまよがつなまよの持ってきている心を世に出して

欲しいと、いつもよく解らない事をいっておりました。

そしてつなまよがニートライフを卒業し、改めて世にデヴューした時に職場の方に掛けて

頂いた言葉の数々に良かったなー、良かったなー、それが本来つなまよなんやで。

そう喜んで月日は流れ流れて、つなまよがこの度、独立致しました。

現在、お仕事の関係で少し離れた場所に居を移しましたがいつかまた、

つなまよが我が家に居を移した際に言っていた、お互い70になっても

いくつになっても、勉強させて頂ける間柄であろうと話しております。

そうは言っても寂しいでございますがですよ。

先日メールで、みどりさん、お疲れみたいですね。そんなメールを頂きまして

やっぱりつなまよ、繋がっておるぞよのぅ☆

本当に嬉しかったです。

常世を開けてまもなく。私、子供産めますか?

えらい単刀直入ですわねー、でもなぁ。でもなぁ。

何とかお力になりたいと共に精進のときを過ごした方も現在育児に奮闘されており。

離婚でお出でくださった方がたも新たな一歩をそれぞれらしい形で歩みだされ。

結婚するタイミング?そんなもん、今しか無いでしょう?

違うと言う人がおられたら、私が万人が納得される理由をお話致しますので

どうぞお連れくださいませとお話させて頂いた方もご結婚を決められ。

揺らぐ糸をぴんと張らせて頂ける喜びにいつも天に感謝する日々です。

常世を開けてもうすぐ丸二年が経とうとしております。

天に帰られた師の三回忌がもうすぐそこに。

もうお一人、私を巫女として世に出して下さった恵美庵の恵美先生の命日も近づいて参りました。

天に愛され、縁を大切に、この世と天を心底愛しておられた師のお陰で今日があり、

ともすれば近づき難く、解らない人、世にいう霊能者として私を育てて下さっている

縁の皆様。そして常世、みどりを探し出して下さり会いに来て頂いている皆様。

本当に私は幸せです、心のそこから幸せです。

そしてこの世を慈しみ、今の時代を作ってきて下さった皆様。

この世を夢見て散って逝かれた皆様。

霊能師と言う世界に飛び込み共に精進を重ねておられる天のお使いの皆様。

今までみどりという人に会って頂いた皆様。

本当に色々な方のお気持ちが集まり、思いが合わさって出来た巫女みどりです。

これからも大切に大切に巫女みどりという霊能師を更織と言う私が大事に大事に

愛して愛して育てて参りたいと思います。

母が私の名について言っておりました。

さおりの漢字は、更に織りなす、そう言う意味で名づけたと。

巫女みどりという自分が過去からの縁を更に織成し、ご縁の方の人生が巫女みどりに

会って良かったと思って頂けるようにこれからも日々を愛しく過ごして参ります。

縁という愛情は天をつらぬき。

天からの思いは海よりも深く。

計らいの豊かさに人生は光を増し。

どうぞ、これからもみどりの自分を大事に思えるように尽くさせていただきます。

明日を信じて生きていける毎日を共に過ごして参りましょう。

そしてまた、来世も縁ありますねと言い合えますように。

本当にいつもありがとうございます。

 

                        大事なご縁の皆様へ。

                                               みどり。

 

写真は祖母が残した少女の頃から書きとめていたらしい文章で胸に響くものを。

私たちは常に愛されている。そして私たちは愛する対象をいつも探している。

 

 

 

 

 

 


~My Blue Heaven~私の青空、善江さんへ。みどりになった孫より愛を込めて。

2012年06月01日 | blog

泣いて、悩んで、苦しんでこそ菩薩。

とはこの五月にご縁の如意輪観音さんから頂いたお言葉なのでございます。

みなさま、春の陽気に誘われて美味しいものを食べたり楽しんでおられますか?

近頃ローズクオーツのカッサプレートとマッサージ棒が手放せないのですわ。

カッサってまた、次から次へと消費者の心をくすぐってからにっ。

そんな事を思いつつ癒し関係の見本市へ出向きました折にちょいっと手に取るや否や

「これ、買わせて貰おうおもてっ」

そんな豹変振りを見てぽんさまもご購入のこのお品。

暇があればガリガリ頭皮に刺激を与えてみたり、お顔を刺激したり。

やりすぎてお顔がオサルのようになってみたり

そんなちょっぴりアンビリバボーだったりするおみどりでございますけども。

わたくし事ではございますが最愛の祖母、善江さんが4月末に天に帰りました。

身内だけの葬儀ではあったのですがオバのたっての希望で湯灌の儀を

して頂きまして、大好きな祖母に兄弟で柄杓をもちお湯を流しているときに

そのとき、祖母の魂が振えているのを感じさせていただき、齢94という

年齢まで肉体を持ち、頑張って生きてくれていた祖母の思いの中に

私たち兄妹への想いもあったんだ・・・。

そう心に気持ちを受けると、もう、祖母への想いが溢れて暖かい涙を

止める事ができず、ありがとう、ありがとう、祖母の魂に何度も何度もその言葉を

届けました。

友引やその他諸々の事情で葬儀までの間3日間祖母を両親宅でお世話したのですが

祖母のお布団の隣に眠り、食事をし、しっかりとお別れをさせて頂くことが出来ました。

祖母は大正の女そのもので、人の悪口を言わずいつも気高く誇り高い人でした。

湯灌のあと、母と叔母が選んだ二人の娘にとって思い出深い着物を着た祖母をみて

本当に死に顔ってその人の一生を物語るのだなと、こんな顔で逝きたいものだと

本当に思える顔で逝ってくれました。

家族と久しぶりに会い、思い出深い宇治川の見える場所で葬儀の後、食事をしたのです。

そこで久しぶりに家族の波動を受け、色々なことを思い出していると私は何故この家に生まれ

落ちてこの世の修行をさせて頂くことになったのかを少し掴めたような気がしました。

この感性を持ち、繊細過ぎて体が弱く生き難い私を育てた両親は私は宇宙人だったんだろうな。

そんな事を思い、何故人は死ぬのに産まれるんだろう。

何故起きるのに眠るのだろう。何故別れがあるのに愛し想い、大切にするのだろう。

そう思いながらつらつらと考えていると赤ちゃんの出てくるワイドショーのコーナーが

あったのです。初めて記念日っていう、あれでございますわ。

そのとき、親が一生懸命に物を教えたり、おっぱいを飲んだと喜び、笑ったといって

泣いている姿をTV越しに見ていると、人って本当に思いなしには生きられないと思いました。

どんな虐待を受けていても、どんなそしりを受けていても愛、情という感情がなければ

私たちは産まれては来れないのですよ。

天は私たちがどんな愛を受けにこの世に来ているかもご存知ですよ。

その愛がてんで自分にフィットしなくて泣いちゃう日も多々ありますがです。

人生って色々なことがあるんですよね。

別れ、悲しみ、裏切り、絶望。

でも、こんな言葉もありますよ。

希望、灯り、夢、明日。

今日がいい日でなかったとしても、明日はいい日かもしれない。

私を突き動かすのは前に座ってくださる方の感情の中に夢と理想を感じたとき。

闇のなか、手探りしながら泣いておられる中でほんのりと灯りが見えるとき。

どうか、この方を引張って下さるかた、何か教えてくださいと祈るとき、

どなたかの感情が飛び込みます。

そう、絶望の中にもどんなに悲観する事があったときでも。

後ろに祈りを持ち伝え続ける方がおられます。

祖母の帰天を通して巫女みどりという存在がもう一人いればいいのに。

そうすれば私の話を聞いてもらえるのに。

私の想いの濃さとテンションが同じ位の方がお出でになったら会いたいな。

そんな事を思っていると。

ぽんさまが受けてくれました。

孫も娘も良くしてくれましたの。そう笑って座ってはるよと。

そして最後の通信の言葉。「どんな時でも希望がありました」

 

祖母善江さん、ありがとう。

わたしのおばあちゃんで今世降りてくれてありがとう。

わたしが帰ったとき、再会したとき必ず言うよ。

善江さんのお陰で私もいつも、どんな時でも希望がありましたって。

女性として尊敬する祖母へ。

写真は祖母が寝ていたベッド。

気配を感じるとそそそっと愛猫くぅがお迎えに。

 

人は愛に始まる。

思い出す日に、思い出す言葉に守護霊みどりの言葉がありますように。

どこへも隠れない。どこにも逃げない。

私も愛の始まりの人になりたい、愛の理想に近づきたい。

愛と慈悲の思いの深さを伝える人となりたい。

如意輪さんは力強く理想に導く観音さんだから。

祖父廣数さん、祖母善江さん楽しみに天から見ていてください。

 

                                 みどり。