人って美しい生き物だな。
そうアンミカさんが言っています。ルールを破り、嘘をつき、適当な人が人生を楽しくエンジョイしているような気がする。。。
車に乗ると同時にマスクを取り、それどころか人の姿がない事を確認するや否やマスクをパコパコさせ、山や人のいない所では積極的にあごマスクにしていると即報いを受け、顎周りにトラブル続発で結局マジメにしっかりとマスクをしております。
もうねー、肌は正直で因縁果報そのままに肌トラブルが倍増するので解りやすいですよね。
人間も悪い事だと解っていてもラクだな、こっちの方が得だなと思う方を選択され自分は良い選択をしたな、得したなと思う方もおられるでしょう。
が。しかし。
近頃、モラルの低下が叫ばれ「いったもの勝ち」「やったもの勝ち」という所がありますし間違った個性、品性を「これが私の考え方」「私の道」等と発信されている方もおられまして知的、教養、たしなみという言葉から遠く離れた価値観を振りかざされる方も多くて自分を保つ為に価値観の共有や息をつける場所がとても大事だなと思っています。それが美しい景色を見たり、努力される姿を見てどんどん磨かれて行かれる姿を見せて頂いたり、一生懸命になれる事、趣味を持ったりと息をつける場を見つけて頂く事が大事だなと思うのです。そして自分の中に余裕のポケットを持つこと。
心のスイーツ、甘味を入れたポケットとでも言いましょうかねぇ。
私はいくつかの心のスイーツをいつも持ち歩いておりその一つがお会いする方の笑顔や反応して頂いた時の声や表情です。そして心情を綴られたお手紙を頂いたりご報告のメールを頂いたりした時も嬉しくて、お返事を書かせて頂く為の葉書をいつも気にかけて買いためています。自分の努力、天運、先祖のもたらすもの等、人の持ってきて下さるもの、神がもたらすもの、それが幸運、福運、利運、というものでこれは人の心を大事に心に大事な人、思い出を持っている方、人生が滲みだし一緒にいたいと思って頂ける人、そんな方は天運に恵まれておられるように思います。
心の学問は厳しい経験、辛い思いを乗り越えられた方々の言葉を自分の経験と共に心に落とす事だと思う。
だからこそ、辛くても自分を変え厳しい場所に身を置いた事に誇りを持ちただの辛い思い出の羅列で同情を得て満足するのはなーんにも得るものはなくて自己満足と良からぬ縁を引き寄せてしまうものでございます。
私もこの霊能の世界、心の世界に足を踏み入れた時に恵美庵の恵美先生の愛と思いに触れさせて頂き、『思い』を学ばせて頂きその価値を知らずこの世の価値観に流され師に「あんたもう3次元、この世の価値観で生きたらええ」そう叱られた事もありました。
いえね、離婚して間もない頃にまた30代半ばで元気霊能で金品を頂き生活するのがどうしても抵抗があったのです。気力も元気もそんなに縁も多くなかったので健康故に湧いて出てきていましたから。
現在はご縁も豊かになり、どうしても安息の時間を習慣で取らねばならず年齢故に自分を維持する為のものが増え、お人の毒を体に入れて出すのにその方の思いの浄化に時間を掛け理解させて頂き、お話の機会を頂き真の浄化、苦労の真価を得られる機会にに導かせて頂きたいと精進させて頂きております。
最近、お出で頂く方に思うことがあるのです。
人にとって幸せとは新築の家に住みたいだのお金持ちになってフランスメゾンブランドの服を着たいだの、良いバッグを持ちたいだの、安定した暮らしだのそんな人がめちゃめちゃ多くて、私の思う幸せとちょっと違うのですよね。
安定も結構だし立派な家も結構ですが一番人にとって必要で安らぐのは理解者がいること。
私はそう思います。病気になった、事故をした、そんなアクシデント、人が避けそうな時にとっさに動いてくれて力になってくれる人がいる、それが幸せだと私は思うのです。
だから、お会いしたからには一度でなんらかの現象を出したいと思いますがその方の心に任せることにしました。これ、不思議だなと思ったのですけれど、だったり、心臓つかまれる位驚いただったりお話頂くことは嬉しいのですがどうしてその軌跡があったのかを追い求め自分に向き合い深め次の奇跡を呼んで頂きたいのです。奇跡とは言いますが全く、まぁーったく起きない方も居られます。
それは嘘があるかたです。後ろの守護霊も先祖霊も嘘には反応しませんよ。
でも初回はなんらか頂かれる方が多いですね。守護霊も考えて欲しいのでしょうね。
そして最近とみに思う事があります。
身に降りかかる不幸や苦しみが全て自分のせいと思わないで欲しいのです。
ここ数年、リスクマネジメントかリスク軽減かなんか知りませんけれどもリスクを人に押し付けているのにご自身は「私は善人なの」「スピリチュアル好きなの」「みんな仲良くして欲しいの」そんなお話される輩、失礼しました、ややこしい方の善人ともいうのでしょうか?そんな方がおられてその存在への愛ゆえに悩まれる姿に驚愕と共に抱きしめたい程の愛を感じております。そして護ってあげたいと心から思っております。
例えば私の場合ですが離婚して主人と建てた家を出で数日で兄に「貯金をどんどんしておけよ?」と言われ「社員になれる所で働け」と言われ「なんでさ?」と私が聞くと「お前は体も弱いし急に死んで処理を頼まれたら俺が業者呼んだり後処理するんだし」「せめて現金だけはしっかり残して死んでくれよ?
笑顔でそう話した兄の顔はきっと来世もすぐ思い出せると思います
兄は日本三大商社の一つで働くサラリーマンで奥さんも同等の商社にお勤めで超絶スーパーにドライな人なのです。そして母も「そうよ、お兄ちゃんにお金残しなさいよ」との私が近々死ぬ前提の話にまだ34歳だった私は心が凍り付く思いをしたのでございます。
そしてその話を姉弟子にした所「あなたは神さんに選ばれている子だから」おめでとうございます、拍手ーっとパチパチと手をたたかれ試練があるから、辛い思いを沢山経験するから人に優しくなれるんよ、頑張りなさいとお話下さり嗚咽した日の事を辛い事が有る度に思い出します。
そして、私が乗っていた愛車、空が大きく見える大好きだったワインレッドのVOLVOを兄が勝手に兄の関東の家に乗って帰り、私がご縁の方との旅行中に携帯にあえて連絡し温泉に入りカラオケでフィーバーしている間に兄のお友達にアホみたいな値段で売られて行きました・・・。
あんまりの値段に不憫に思った父がポケットマネーで数十万足してくれました…。
そして父に廣瀬や当時のご縁の方が抗議してくれた所、涙ながらにこう話したそうです。
「ヒコは(兄の名前)はほんまにズルい男や、情けない」
「けどそれを増長させてコロがされているのはママや」
その父が肩を震わせながら話したと聞いて、なんだかわだかまりがすぅっと溶けていったのを覚えています。
母も兄も「VOLVOなんて故障したらお金掛かるし大変だし」「一人で維持出来ないでしょ」
そんな話はしていたのですが兄がインドに赴任中で帰国して乗る車を探しており、私にリスクの高い外車は手放せと無償譲渡の話をよくしていたので、手放す時は自分のタイミング
で手放したかったので本当に悲しく寂しかったのを昨日のように覚えています。そして車中に置いていた大事な写真や小物、思い出のCD、師のお話を録音していた宝物のCD等も同時に行方不明に。私は音、音楽で思い出を深めるタイプなので本当に辛い思い出です。
そして、それからしばらく時が過ぎ、父も母も言うのです。
「お兄ちゃんと仲良くして欲しい」とっ!!
え?何て?
離婚の慰謝料問題の時タイプした素人文で「慰謝料算定してこんくらい」「んで諸々足してこれくらいちょうだいね」みたいなぺらい一枚ものの紙をうやうやしく差出し「これを旦那君に送れ」と父と母の前で御大層な物のように渡され、弁護士探すと言う私にお前は金を使う事しか頭に無いだのなんだの言い、母に僕がいるから大丈夫と言いつつインドに戻っていく兄に心底ぺらぺらな人だなと思いましたわ。正直なとこ。
だから私は弁護士さんが必要だなと思えば自分も出向きご紹介するし手助けもするのです。自分がとても不安だったから。私は法律の知識はないので心の大きくて優しい弁護士さんにご縁を頂いたのでその方のお力をお借りしております。
その弁護士さんは縁のお客様のご紹介で偶然、私の大好きな宝塚の町に事務所を構えておられる方でいつでもご紹介しますよ。どんな時も幸せに終われるように心がけておられるなと思える弁護士さんです。
そんなこんなで、兄と仲良くって言われても。。。
便りのないのは良い知らせくらい思っておいて欲しい人NO1みたいな兄ですわ。
がしかしね、私も真の反省が完成したのでございますよ、ひとつですが。この父、母、兄だったからこそ、今があり、お人の役に立つ心が出来たのだと。幼い頃から傷つき、嘆き苦しんだ家庭環境があるから人の為に尽くせる心があるのだと。
自分を大事に出来ず、使い捨てのメラニンスポンジのように私に接してこられる方もおられるけれど、何故そうされるかを深く追い求めていくと「自分が自分を大事にしていなかったから」なのですよ。人の為に一生懸命になるのが好きな偽善者と思われてしまったり、好きな事しているんだからなんでお金要るの?と言われたりするのはそれは「あなたに足りない事を私が足して、何故、何が足りないかを説明し愛情を注ぎ幸せな時間を求めて貰うため」そのように私は思っており、全力で人生に投影させ現実的にも安定した人生を送って頂く為に精進し、余力で生活費用の為に仕事をする事が難しく金銭を頂ける事をしているから頂いているのですよ。だけどどれだけ思っても伝わらないのは何故だろうと本当に悩んでいたのですが、アラフィフになりアチコチに不調も出だし自分自身の深い反省をして初めて解ったのです。私は人に理解されたいのだと。それには幸せになって頂かねばと躍起になっていたのだと。
逆手に利用されお金が無いのですと善意でお話していた方が新築のマンションを買われたり。
カウンセラーの方で事情のある方との数年間で起きた事をを本にされお家を建てられたり。もう、私は自分がよいお使い(霊能師)である事を人をに納得して欲しくて必死だったのですよね。無償だったり少額でも必死に現象、奇跡を出せるように一生懸命でした。
でもそれは人間にとって、ラッキー♪程度の認識で神の存在、思いを知り人生のしこりの原因を考え考える機会に、なんて事はあまり思われないのが本音なのかもしれません。
最近、月に一度お茶と不思議とおはなしの会を開催させて頂いておりますが定期的にお会いすることでその方の性質、本質、本音の部分を天の計らい、霊的計らいで洗い出せる場を作らせて頂くことで、守護霊の話に「実は先月からこんな事を感じていたからでしょうか?」等お聞きして、自分に馴染み、自分が愛せるようになるには色々な時間、機会が必要なのかと思うのです。確かに人前で守護霊がこう話している、等と言われるのは少しシンドイ事かもしれませんが、この会も3年目を迎え皆さん顔馴染みになって下さり少しづつお互いの事情を感じ、察する中で心を見せて下さる姿はこれぞ、常世、天国、楽園だと思います。
お互いの幸せを真実に願い、思い、同じ空間にいれる幸せの空気。
それは同じような環境、苦労を感じて下さっているからなのかと思います。
本当にいつも、参加下さる皆様に感謝しております。有難うございます。
今回のブログの表題に使わせて頂いたのはアンジェラ・アキさんの始まりのバラードです。
この曲は元宝塚歌劇団雪組の望海風斗さんのコンサートで初めて知ったのですが望海さんが歌われる
この曲に感動してハンカチが大変なことになりました…。
この愛に例えば名前を付けるなら 優しさでもなく 華やかさでもなく 強さとつけるだろう
簡単に倒れない人と思われたくて 泣くことも忘れていた
世界一長い夜にも必ず朝が来るあなたはまた笑うよ、朝日に包まれて
この愛に例えば無くしたものがあるならば素直さよりも思いやりよりも情熱だろう
心がぎゅっとなる歌詞に心からこの歌を教えてくれた望海風斗さんに感謝したいと思いました。
そしてコンサートの帰りにご縁の方と亡き友人との思い出が詰まったカフェに行き大好きな友人との思い出話をしながら友人がこのカフェで食べていた抹茶のかき氷を私も同じタイミングで氷を崩してしまいスカートに落としてしまい、同じリアクションを取っている私にキラキラと思いと言葉が降りてきたのです。
みどりちゃん、一人じゃないやん。
みどりちゃん、一緒にスカート拭いてくれて慌ててくれる人、出来たやん、ほら、大丈夫やん。
昼下がりのカフェで、みつちゃんが驚くほど心が溢れて涙も溢れて差し出してくれたウエットティッシュにまた泣いて・・・。そんな繋がりは永遠に終わる事はない、来世に続くんだ、思いあう限り。そんな事を思い、もっと強くなりたいと思った日でした。自分の為にも。
そして宝塚の方の鑑定でも不思議と龍と弁天さんと美味しいお茶の会を開催させて頂く事になりました。
こちらは平日開催で今回は数名、少人数での開催とさせて頂きます。
ご参加希望の方はメール、ツイッターDMにてお問合せ下さい。
毎回、心を込めて、愛、マシマシでお送りしております。
宝塚駅からゆっくり歩いて10分の旅館若水さん近くの甲山の如意輪観音さんを望む場所で開催です。
宜しかったらご参加下さいませ。
日程がまだ調整出来ていないので、後日ツイッターに載せますね。
世界一長い冬にも必ず春は来る わたしは今歌うよ
心に響かせる終わりのない歌を 始まりのバラード
それでは、またお会いできるのを楽しみにしております。
いつもいつも、思い想像しております。
幸せな時間を。