「水曜どうでしょう」の
オフィシャル HP
に、ディレクターのお二人の日記が掲載されています。最近はお忙しくて毎日更新というのではありませんが、それでも次の日記が書かれると以前のものは見られなくなります。
なのでリンクしてもその記事に出会えるかどうかわかりませんので、一部だけ抜粋して・・・
「寂しさ」について考えていることを書かれています。
『そうね。
いないことに孤独を感じて、寂しさに泣く時、
ぼくらは、きっと思い出しているね。なくなったものを。
寂しいのは、あえて、思い出すからなのかもしれない。
思い出すということは、そこに無いものを求めるということ。
無いものを求めるということは、二度と修復不可能な欠落を強く見つめてしまうということにつながってしまう。
その行為が、ぼくらを寂しい孤独の底に追い落とすのかもしれない。
そうね。
多分そうなんだね。』
(12月14日(金)嬉野さんの日記より)
自分では形に出来なかった、雲のようにもやもやしたものを
代りに言葉にしてもらってような気がします。
嬉野さんとは違いますが、なんだか知らずに感じる寂しさってあります。
もう過ぎ去った「時間」とか、「力」とか、「可能性」とかいろいろ。
失くしてしまったもの、居なくなってしまったたくさんの人たち。
その喪失感に心さびしくなりたくないから、あえて楽しく過ごそうとしてしまう。
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生きていることの、どうしようもない悲しさを感じたくないから、ついつい眠り込んでしまう。
でも、みんな同じなんだなって思って、ちょっとホッとしたり。
こうしてブログを続けているのは、どこかに落としてしまったパズルのかけらを探しているような気がします。(誰かの歌です)
120% 生活に大満足だなんてことないし。何の欠けも感じなかったら、パソコンに向かうこともなく過ぎてしまうのではないかしら。
まだ見たことのないピース。でも完成させるためには必要な何かの形。
生きている限り、探し続けて自分の人生というパズルを完成させよう。
そんな想いもふと感じることがあります。
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