1970年代のBCLブームの頃は、ほとんどの家電メーカーが短波の受信ができるBCLラジオを販売していた。
その中でも特にSONYとナショナル(現パナソニック)はしのぎをけずっていた。SONYのスカイセンサー派とナショナルのクーガー派に分かれていた。
自分はスカイセンサー5600の中古が第1号機で次にスカイセンサー5900を買った完全にSONYスカイセンサー派であった。
ナショナルクーガー派の友達とは、お互いに相手のメーカーやラジオのあらを探し、自分のラジオの良さを自慢しあったものである(笑)
スカイセンサー5900が出た時の10kHz直読は斬新であった。
しかし、その後クーガー2200が出て直読5kHzを謳われた時の悔しさは相当大きかったのを覚えている(笑)
そんな時代にSONYはスカイセンサークラブというのを発足していた。自分は完全にスカイセンサー派なので、当然すぐに入会した。
写真が当時のメンバーズカードである。今思い返せば、こんなラジオの1シリーズの為にメンバーズクラブを発足するとはすごいことだ。
当時は、そんなに熱かったという証拠でもある。
デジタル表示が当たり前で、電卓のようにテンキーで数字を合わせれば誰でも受信ができる現代のラジオは、それはそれで技術の進歩のお陰で
素晴らしいとは思う。しかし、アナログのチューニングダイヤルを微妙なタッチで回しながら、またIS(インターバルシグナル)からどこの放送局かを
探し当てるあのスリルと楽しみはまた格別であったと思う。
また、たった1台のラジオから世界につながるようなスケールの大きさも味わえた。
現在ではインターネットで世界中がつながり、世界の情報が即入手できるが、当時は短波ラジオを聞いているだけで、世界の情報通になれたような気分がしたものである。
例えば、前日夜にモスクワ放送(現ロシアの声)を聞いて、翌日学校で友達と社会主義について語り合うと何もわからないくせに何か大人になったような気がしたものだった(笑)
インフルエンザがきっかけで何かまたBCLに熱が出そうである(笑)
その中でも特にSONYとナショナル(現パナソニック)はしのぎをけずっていた。SONYのスカイセンサー派とナショナルのクーガー派に分かれていた。
自分はスカイセンサー5600の中古が第1号機で次にスカイセンサー5900を買った完全にSONYスカイセンサー派であった。
ナショナルクーガー派の友達とは、お互いに相手のメーカーやラジオのあらを探し、自分のラジオの良さを自慢しあったものである(笑)
スカイセンサー5900が出た時の10kHz直読は斬新であった。
しかし、その後クーガー2200が出て直読5kHzを謳われた時の悔しさは相当大きかったのを覚えている(笑)
そんな時代にSONYはスカイセンサークラブというのを発足していた。自分は完全にスカイセンサー派なので、当然すぐに入会した。
写真が当時のメンバーズカードである。今思い返せば、こんなラジオの1シリーズの為にメンバーズクラブを発足するとはすごいことだ。
当時は、そんなに熱かったという証拠でもある。
デジタル表示が当たり前で、電卓のようにテンキーで数字を合わせれば誰でも受信ができる現代のラジオは、それはそれで技術の進歩のお陰で
素晴らしいとは思う。しかし、アナログのチューニングダイヤルを微妙なタッチで回しながら、またIS(インターバルシグナル)からどこの放送局かを
探し当てるあのスリルと楽しみはまた格別であったと思う。
また、たった1台のラジオから世界につながるようなスケールの大きさも味わえた。
現在ではインターネットで世界中がつながり、世界の情報が即入手できるが、当時は短波ラジオを聞いているだけで、世界の情報通になれたような気分がしたものである。
例えば、前日夜にモスクワ放送(現ロシアの声)を聞いて、翌日学校で友達と社会主義について語り合うと何もわからないくせに何か大人になったような気がしたものだった(笑)
インフルエンザがきっかけで何かまたBCLに熱が出そうである(笑)