今日午前中に読んだジム・ドノヴァンのできる人の習慣の中に、「毎日10分だけでいいから自己啓発書を読むこと」と書いてあったから、今日古本屋でこの本を買った。
今日はとりあえず達成した(笑)
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・プロローグ 「自然の法則」に気づけば、運命は変えられる!
精神-心の世界では、良いものが最適なものとして残り、悪いものが自滅するしくみとして、「原因と結果の関係」がはたらいている。
・運命の力
結果は、原因があってもたらされるものである。
「現れる結果」は、必ず「原因にふさわしいもの」だけである。つまり、「原因」と「結果」は、常に等しく適した関係にあって、くい違いは生じない。
そして、「原因」は、自由な意志によって選ぶことができるが、「結果」は、当然の成り行きとなって現れる。
言い換えれば、「結果」は「原因」を選び取った時点で、運命づけられるということである。
人生に起こる出来事は、自分自身の内面を映して返す結果である。
今の自分の人生には、過去の自分自身の結果がある。
善良な人が失敗に陥り、あざとい人がうまく泳いで成功している姿を目にすることがある。しかし、善良に見える人が、すべて善良だとは限らない。
同じように、あざとい人が、すべてにおいて、ずるい考えで行動してきたとも限らない。
「モラルのルール」は、整然と「自然の法則」に息づいている。表面的に目を奪われる結果があるからといって、法則のルールが変わってしまうことはない。
人それぞれの特性は、「心の習慣」である。
習慣になっている心の特性(気質や性格)は、無意識のうちに行動のパターンを創っている。ところが、繰り返す行動のパターンが、心の習慣を創ってしまったとも言える。
自覚しないまま身についてしまった悪い行動のパターンが、その人の性格に影響を与える。
自分の考えで行動を意識して変えれば、心の習慣が変わる。
心に習慣づいた思いと考えから出た行動の数々が、今も刻々と自分の現実に現れようとしている。
「思い」が招いた状況(結果)には、人それぞれに学ぶべき課題がある。それを理解することが、自分自身のレッスンである。
影を創る物があるから、影ができるのである。何もないところに、影だけが映し出されることはない。
・セルフコントロールの科学
心を科学する人は、自立することを覚え、見返りを求めず、自分と向き合うことを学ばなければならない。
ありのままの自分と向き合うということは、自分の過ちから目をそらすことに懸命になったり、楽しいことを求めて自分をごまかしたりしないこと。
また、自分を卑下したり、自信過剰になったり、自分の不幸に酔ったりせず、偽りのない自分を、評価し認めることである。
・原因と結果の完全な関係
「すべての結果に原因がある」という考えは、目に見える世界にも、目に見えない世界にも通じる。自分の「思いと考え」も、たとえ密かに隠していたとしても、自然の法則に従って何かしらの結果を招く。
そして、自分の行動のすべてが、人目に触れても触れなくても、何らかの結果をもたらす。法則がもたらす因果関係は、どんな力を使おうと、誰にも避けることはできない。
人は、結果を創る原因は選ぶことができるが、原因から生まれる結果を変えることはできない。何を思い、どんな考えで行動するかは、決めることができるが、その結果として起こる出来事を変えることはできない。
自分自身の行いの質が、自分が受け取る結果を決定づけていく。
人生は「算数の簡単な計算問題のようなもの」かも知れない。
心に思うこと、考えることが、自分の行動になる。
言葉にすること、行動することのすべてが、自分自身である。
すべての問題の源は、どこかにあるのではなく、自分の中にあるはずである。
・意志のトレーニング
意志を強くするための「7つのルール」
①悪い習慣をやめる。
②良い習慣を取り入れる。
③どんなことでもすぐに取りかかる。
④集中して取り組む。
⑤規律のある生活をする。
⑥言葉をコントロールする。
⑦心をコントロールする。
良くないとわかっていながら、目の前の快楽に流されてしまうのは、心が弱い証拠である。悪い習慣をそのままにしておくことは、自分をコントロールする権利を、自分から取り上げているようなものである。
7つのルールのうち、一つでもルールを無視しようする心根自体が、自分の意志力を弱くしている。
「やるべき時に、やるべきことをする」これは、ささいなことであるが、とても大事なことである。
やるべきことをほったらかしにしていると、無意識に気になって、落ち着かない心の状態を創る。
いい加減な仕事をして平気でいられるのは、意志が弱い証拠である。
心を強くするつもりなら、小さな仕事でも質の高いはたらきをすること。質の高いはたらきとは、部分的なことだけにのめり込むのではなく、全体を見ながら、気を散らさないように仕事を進めることである。
気分や衝動にまかせて生活するのではなく、気分や衝動をコントロールすることを覚えなければならない。人は感情に動かされて生きるのではなく、方針を持って生きるべきである。
自分の言葉(言い方や表現の仕方)に気を付けて、カッとして乱暴な言葉を吐いたり、怒りを感情のままに人にぶつけることのないようにする。
意志の強い人は、よく考えもせずに、軽率なことは言わない。
自分の気持ちを言い表す時は、言葉を選び、洗練された伝え方を覚えていくこと。
・「完全」であること
「不完全」の原因は、探し回るまでもない。誠実に働くことを嫌がったり、「いい仕事をしよう」とする姿勢、義務や課題に満足がいくまで取り組む気持ちが欠けているだけである。心の底に、楽をしようとする考えがあるのである。
ちょっとした気の緩みが、自分の仕事ぶりや能力を「不完全」にしてしまう。
目の前にあることに全力を尽くすこと。集中すること。忍耐強く取り組むこと。高い責任感を持つこと。こうしたことを、いつも心がけることである。
安易な楽しみを頭に浮かべながら、信念を貫くことはできない。また、中途半端な考えしか持てない人は、仕事も遊びも中途半端である。
高いレベルのことを不完全にするよりも、簡単なことでも完全にすることの方が、価値の高い結果を生む。
・心と人生の構築
「人は考えている通りの人になる」
まさにこの言葉通り、それぞれの性格は、思いや考えのプロセス(方法、仕方)で形成されている。
優れた仕事を完成する人たちは、小さなことをいい加減にして放置すれば、あとで問題が大きくなることを心得ている。
どんなに大きいものも、小さなものが集まって構築されている。構成するすべてのことが、必要不可欠である。小さなものまでも、完全でなければ、完全な大きなものは構築できない。
・集中力を高める
集中状態の感覚を覚えさせるための方法
何かの対象物に視点を合わせ、意識を集中させる方法が一般的である。対象物としては、鼻の頭やドアノブ、神秘的なシンボル、聖人の肖像などである。
松果体(脳の両半球の間に位置する中心部)に意識を持っていく、空間に想像上のポイントを置き、視点と意識を集中させる方法などもある。
何か関係のない漠然とした考えが、心の中を歩き回っていると気づいたら、そのたびに、目の前にあることに、速やかに考えを戻すこと。決めたポイントに意識を定めなければ、集中状態にはなれない。
ポイントは、無意味な対象物ではなく、いつも行っている業務や仕事である。
・心を見つめるレッスン-瞑想
深い瞑想とは、世俗的な楽しみや甘い愛情生活を実現することではない。純粋に心から願う望み-よどみのない高い世界。心の中で、静かな光を放ち続けるような真実を、自分の心にもたらしたいという願望である。
人生の気づきに、思考を集中させたいと望む時、多くの人が瞑想に興味を持つ。「人生の真実の気づき」を望む思いがなければ、瞑想はできない。
・目標のパワー
成功を手にした人たちは、皆、心に目標を掲げていた。
正しい目的に生きる人は、失敗の痛手を負うことはない。目的を達成するために、揺るぎない決意と情熱を、日々新たにしていくだけである。
「目標は、必ず達成できる」と考えられる人にとって、失敗は成功への階段を上がるステップに過ぎない。
・達成の歓び
どれほど小さい仕事でも、誠実な気持ちで力を注げば、快活で平和な心でいられる。
責任を逃れようとする人ほど、不幸な人はいない。
難しい仕事や大切な課題を避けて、安易な道を探す努力と実行は、結局エネルギーの無駄遣いになる。
義務を怠り、自分の能力を十分に活かさない人は、先ず自分の性格を歪ませ、次に体調がすぐれなくなり、晴々としない気分に陥る。
人生とは活動することである。行動し活動することを嫌がって怠けていれば、肉体も精神も蝕まれていく。
自主的に行動し、力を尽くして問題や障害を克服していけば、身体を鍛えるように心は鍛えられ、精神力を強化していく。
どんなことでもやり遂げたあとには、傾けた力と努力の大きさに応じた歓びが待っている。
そこに精神的な成長がともなえば、目的を果たした歓びは、深く確かに残り続ける。
人生の成果は、すべて努力の結果である。
人生は、努力と実行の連続である。
今日はとりあえず達成した(笑)
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・プロローグ 「自然の法則」に気づけば、運命は変えられる!
精神-心の世界では、良いものが最適なものとして残り、悪いものが自滅するしくみとして、「原因と結果の関係」がはたらいている。
・運命の力
結果は、原因があってもたらされるものである。
「現れる結果」は、必ず「原因にふさわしいもの」だけである。つまり、「原因」と「結果」は、常に等しく適した関係にあって、くい違いは生じない。
そして、「原因」は、自由な意志によって選ぶことができるが、「結果」は、当然の成り行きとなって現れる。
言い換えれば、「結果」は「原因」を選び取った時点で、運命づけられるということである。
人生に起こる出来事は、自分自身の内面を映して返す結果である。
今の自分の人生には、過去の自分自身の結果がある。
善良な人が失敗に陥り、あざとい人がうまく泳いで成功している姿を目にすることがある。しかし、善良に見える人が、すべて善良だとは限らない。
同じように、あざとい人が、すべてにおいて、ずるい考えで行動してきたとも限らない。
「モラルのルール」は、整然と「自然の法則」に息づいている。表面的に目を奪われる結果があるからといって、法則のルールが変わってしまうことはない。
人それぞれの特性は、「心の習慣」である。
習慣になっている心の特性(気質や性格)は、無意識のうちに行動のパターンを創っている。ところが、繰り返す行動のパターンが、心の習慣を創ってしまったとも言える。
自覚しないまま身についてしまった悪い行動のパターンが、その人の性格に影響を与える。
自分の考えで行動を意識して変えれば、心の習慣が変わる。
心に習慣づいた思いと考えから出た行動の数々が、今も刻々と自分の現実に現れようとしている。
「思い」が招いた状況(結果)には、人それぞれに学ぶべき課題がある。それを理解することが、自分自身のレッスンである。
影を創る物があるから、影ができるのである。何もないところに、影だけが映し出されることはない。
・セルフコントロールの科学
心を科学する人は、自立することを覚え、見返りを求めず、自分と向き合うことを学ばなければならない。
ありのままの自分と向き合うということは、自分の過ちから目をそらすことに懸命になったり、楽しいことを求めて自分をごまかしたりしないこと。
また、自分を卑下したり、自信過剰になったり、自分の不幸に酔ったりせず、偽りのない自分を、評価し認めることである。
・原因と結果の完全な関係
「すべての結果に原因がある」という考えは、目に見える世界にも、目に見えない世界にも通じる。自分の「思いと考え」も、たとえ密かに隠していたとしても、自然の法則に従って何かしらの結果を招く。
そして、自分の行動のすべてが、人目に触れても触れなくても、何らかの結果をもたらす。法則がもたらす因果関係は、どんな力を使おうと、誰にも避けることはできない。
人は、結果を創る原因は選ぶことができるが、原因から生まれる結果を変えることはできない。何を思い、どんな考えで行動するかは、決めることができるが、その結果として起こる出来事を変えることはできない。
自分自身の行いの質が、自分が受け取る結果を決定づけていく。
人生は「算数の簡単な計算問題のようなもの」かも知れない。
心に思うこと、考えることが、自分の行動になる。
言葉にすること、行動することのすべてが、自分自身である。
すべての問題の源は、どこかにあるのではなく、自分の中にあるはずである。
・意志のトレーニング
意志を強くするための「7つのルール」
①悪い習慣をやめる。
②良い習慣を取り入れる。
③どんなことでもすぐに取りかかる。
④集中して取り組む。
⑤規律のある生活をする。
⑥言葉をコントロールする。
⑦心をコントロールする。
良くないとわかっていながら、目の前の快楽に流されてしまうのは、心が弱い証拠である。悪い習慣をそのままにしておくことは、自分をコントロールする権利を、自分から取り上げているようなものである。
7つのルールのうち、一つでもルールを無視しようする心根自体が、自分の意志力を弱くしている。
「やるべき時に、やるべきことをする」これは、ささいなことであるが、とても大事なことである。
やるべきことをほったらかしにしていると、無意識に気になって、落ち着かない心の状態を創る。
いい加減な仕事をして平気でいられるのは、意志が弱い証拠である。
心を強くするつもりなら、小さな仕事でも質の高いはたらきをすること。質の高いはたらきとは、部分的なことだけにのめり込むのではなく、全体を見ながら、気を散らさないように仕事を進めることである。
気分や衝動にまかせて生活するのではなく、気分や衝動をコントロールすることを覚えなければならない。人は感情に動かされて生きるのではなく、方針を持って生きるべきである。
自分の言葉(言い方や表現の仕方)に気を付けて、カッとして乱暴な言葉を吐いたり、怒りを感情のままに人にぶつけることのないようにする。
意志の強い人は、よく考えもせずに、軽率なことは言わない。
自分の気持ちを言い表す時は、言葉を選び、洗練された伝え方を覚えていくこと。
・「完全」であること
「不完全」の原因は、探し回るまでもない。誠実に働くことを嫌がったり、「いい仕事をしよう」とする姿勢、義務や課題に満足がいくまで取り組む気持ちが欠けているだけである。心の底に、楽をしようとする考えがあるのである。
ちょっとした気の緩みが、自分の仕事ぶりや能力を「不完全」にしてしまう。
目の前にあることに全力を尽くすこと。集中すること。忍耐強く取り組むこと。高い責任感を持つこと。こうしたことを、いつも心がけることである。
安易な楽しみを頭に浮かべながら、信念を貫くことはできない。また、中途半端な考えしか持てない人は、仕事も遊びも中途半端である。
高いレベルのことを不完全にするよりも、簡単なことでも完全にすることの方が、価値の高い結果を生む。
・心と人生の構築
「人は考えている通りの人になる」
まさにこの言葉通り、それぞれの性格は、思いや考えのプロセス(方法、仕方)で形成されている。
優れた仕事を完成する人たちは、小さなことをいい加減にして放置すれば、あとで問題が大きくなることを心得ている。
どんなに大きいものも、小さなものが集まって構築されている。構成するすべてのことが、必要不可欠である。小さなものまでも、完全でなければ、完全な大きなものは構築できない。
・集中力を高める
集中状態の感覚を覚えさせるための方法
何かの対象物に視点を合わせ、意識を集中させる方法が一般的である。対象物としては、鼻の頭やドアノブ、神秘的なシンボル、聖人の肖像などである。
松果体(脳の両半球の間に位置する中心部)に意識を持っていく、空間に想像上のポイントを置き、視点と意識を集中させる方法などもある。
何か関係のない漠然とした考えが、心の中を歩き回っていると気づいたら、そのたびに、目の前にあることに、速やかに考えを戻すこと。決めたポイントに意識を定めなければ、集中状態にはなれない。
ポイントは、無意味な対象物ではなく、いつも行っている業務や仕事である。
・心を見つめるレッスン-瞑想
深い瞑想とは、世俗的な楽しみや甘い愛情生活を実現することではない。純粋に心から願う望み-よどみのない高い世界。心の中で、静かな光を放ち続けるような真実を、自分の心にもたらしたいという願望である。
人生の気づきに、思考を集中させたいと望む時、多くの人が瞑想に興味を持つ。「人生の真実の気づき」を望む思いがなければ、瞑想はできない。
・目標のパワー
成功を手にした人たちは、皆、心に目標を掲げていた。
正しい目的に生きる人は、失敗の痛手を負うことはない。目的を達成するために、揺るぎない決意と情熱を、日々新たにしていくだけである。
「目標は、必ず達成できる」と考えられる人にとって、失敗は成功への階段を上がるステップに過ぎない。
・達成の歓び
どれほど小さい仕事でも、誠実な気持ちで力を注げば、快活で平和な心でいられる。
責任を逃れようとする人ほど、不幸な人はいない。
難しい仕事や大切な課題を避けて、安易な道を探す努力と実行は、結局エネルギーの無駄遣いになる。
義務を怠り、自分の能力を十分に活かさない人は、先ず自分の性格を歪ませ、次に体調がすぐれなくなり、晴々としない気分に陥る。
人生とは活動することである。行動し活動することを嫌がって怠けていれば、肉体も精神も蝕まれていく。
自主的に行動し、力を尽くして問題や障害を克服していけば、身体を鍛えるように心は鍛えられ、精神力を強化していく。
どんなことでもやり遂げたあとには、傾けた力と努力の大きさに応じた歓びが待っている。
そこに精神的な成長がともなえば、目的を果たした歓びは、深く確かに残り続ける。
人生の成果は、すべて努力の結果である。
人生は、努力と実行の連続である。