漸くピケティの『21世紀の資本』の第3部を読み終えたので休憩して、この恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』を読んでみました。
『六番目の小夜子』は1992年7月に新潮文庫のファンタジーノベル・シリーズの一冊として発表され、その後大幅に加筆の上、1998年8月に単行本として刊行されてものです。
この前読んだ『Puzzle』(祥伝社文庫)と同じ「関根家の人々」シリーズとも言うべき作品サイクルの第一弾とのことで、関根秋(シュウ)という高校生が活躍(?)します。
この作品は学園ホラーファンタジーと言えるものだと思います。ミステリー仕立てではありますが、すっきりと解答の出る類のミステリーではなく、ホラー的余韻とでもいいましょうか、そういう「まだ終わってないよ」という暗示を残したままで話が終わります。物語の始まりと終わりに同じ描写が繰り返されているのが、その謎の余韻を強め、「繰り返される伝統」を暗示しているようです。
謎は学校のある「行事」で、「サヨコ」という役割が代々卒業式当日にひっそりと引き継がれ、それを受け取った「サヨコ」が役割を承知したという証拠に四月の始業式の朝、自分の教室に赤い花を活けて、それがその年のゲームのスタートの合図になるという。「サヨコ」のすべきことは年にただ一つで、それを誰にも自分が「サヨコ」であることを悟られることなくやり遂げれば、それがその年の「吉きしるし」であり、その年の「サヨコ」の勝ちとなるとのこと。物語は「六番目のサヨコの年」に起きた一連の出来事を語ります。
物語に登場する主人公たちはみな高校3年生の受験生。彼らが3年に進学した春に物語が始まり、夏・秋・冬と季節は巡り、また春になって卒業するまでが綴られています。友情・恋愛などの甘酸っぱい青春の要素がある一方で、生徒たちが自覚する暇もないままいやおうなく「受験」という大きな流れに巻き込まれていくやるせなさが浮き彫りにされ、その心の隙間にするりと入り込んでいく不気味な謎が微妙な均衡の不協和音を奏でながらクライマックスに向かっていくような印象を受けました。
好みにもよりけりだとは思いますが、私は最後まで夢中で一気読みしてしまいました。