ドイツ元外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher)が昨夜ボン南部にあるヴァハトベルク・ペヒの自宅で89歳でお亡くなりになられました。死因は心不全、とボンのゲンシャー事務所は1日に公表しました。
ゲンシャーは、生まれはザクセン・アンハルト州(旧東独 Sachsen-Anhalt)の都市ハレ・アン・デァ・ザーレ(Halle an der Saale)でしたが、いわゆる「ボン共和国(Bonner Repubrik)」、すなわち西ドイツ共和国連邦を象徴する大物政治家でした。
法学と国民経済学を修めた後、1952年に西独に移り、1965年に自由民主党(FDP)議員として西独連邦議会入り。 1969年には既にヴィリー・ブラント首相の下、内相に就任。1974年にはヘルムート・シュミット政権で外相に就任し、18年間外相を務め、東西ドイツ統一の実現にも多大な貢献をしました。外交では個人的なコンタクトを重視したために「旅行外交」と言われ、国の大小にかかわらず常に相手を尊重しつつ自分の目標を果たそうとする彼の姿勢は「ゲンシャー主義(Genscherismus、ゲンシャリスムス)」と呼ばれました。外相18年の記録は未だに破られていません。ドイツで最も人気のある大政治家の一人で、長期間外相として、またはFDP党首としてまたは顧問としてドイツの政治に多大な影響力を発揮していました。個人的には親しみやすく、ユーモアたっぷりなことで知られていました。トレードマークは黄色いセーターヴェスト(黄色はFDPの色)。特に東西の緊張緩和政策で知られています。
ゲンシャーは外交史上もっとも有名な不完全文でも知られています。1989年9月30日、プラハの西独大使館に集まっていた東独からの「難民」たち約4500人に向けてバルコニーから発した言葉は大歓声の中最後まで続けることができませんでした:「Wir sind zu Ihnen gekommen, um Ihnen mitzuteilen, dass heute Ihre Ausreise ...(私たちはあなたたちのもとに次のお知らせをするために来ました。本日あなたたちの出国が…)」
このシーンはベルリンの壁崩壊、東独の崩壊、東西ドイツ統一に続く一連の政治的動きを外交的に決定づけた歴史的な瞬間でした。ドイツ外務省発表の当時のビデオはYouTubeでみられます。この不完全文は1分21秒辺りです。それ以降は、西ドイツ政府の決断が外交努力の元になされたことや、西独大使館に逃げ込んだ東独市民たちが乗るべき電車が何時に来るなどの事務連絡などに続き、ゲンシャー個人が同郷出身者として彼らを歓迎するし、西独政府も彼らを西ドイツで歓迎するなどと発言しています。暗くて映像は分かりずらいですが、ところどころで入る「ゲンシャー!ゲンシャー!」というゲンシャーコールで、東独市民たちの熱気は十分伝わるのではないでしょうか。
この大使館のバルコニーは以来「ゲンシャーのバルコニー」と呼ばれています。
1990年の東西ドイツ統一のための契約、いわゆる『2+4契約(2+4-Vertrag)』はゲンシャーの外相としての歴史的偉業と言われています。冷戦時代のゲンシャーは、米ソ両国の外交官から「掴みどころがなく、油断ならない」と評されていましたが、それでもこの両国を『2+4契約』に合意させ、ドイツ統一を外交的に成功させたのですから、大した外交手腕です。
1992年に外相を辞任しましたが、1998年まで現役の連邦議会議員でした。1986年当時、真っ先にミハイル・ゴルバチョフのグラスノスチ政策に外交的チャンスを見出した彼でしたが、2013年末にはそのゴルバチョフの恩赦を求めてプーチン大統領と個人的に交渉しました。
ゲンシャーは、つい先日若くして亡くなったFDP党首ギド・ヴェスターヴェレのメンターでもありましたが、ヴェスターヴェレは期待通りの成長(?)はしなかったと見られていました。亡くなった方をどうこう言うのはあまりよくありませんが、このボン出身のヴェスターヴェレは、いかにもぼんぼんという感じで、全くの小物政治家でした。博士号を持っているのが不思議なくらいのおちゃらけた印象しか残っていません。一応、一時期外相を務めていましたが、務めていただけ、とも言えます。
2013年の連邦議会選挙でFDPが得票率5%に達せず、連邦議会入りを果たせなかったことについて、ゲンシャーは「党の歴史の最も暗い時間」と言い、党の人材と政策の不協和音について批判的な発言をしました。
昨年は、メルケル首相の難民政策に人道的見地から支持を表明していました。
政治の第一線から引いた後も生涯現役を体現するかのように、政治的発信を続けていました。ヘルムート・シュミット元首相に続き、また一人党派を超えて尊敬される大物政治家が失われました。この場を借りまして、ご冥福をお祈りいたします。
参照記事:
ZDFホイテ、2016.04.01付けの記事「ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー死去」
ARDターゲスシャウ、 2016.04.01付けの記事「ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー死去」 (記事は3か月経つと自動的に削除されますのでご注意ください。)
シュピーゲル、2016.04.01付けの記事「ハンス・ディートリヒ・ゲンシャーの死に際して:ドイツ政治のマラソン走者」