『蜜蜂と遠雷』から入った恩田ワールド。まだまだ続いてます。『三月は深き紅の淵を』で6作目です。電子書籍は2015年の発行ですが、紙の方は2001年発行で、作品発表自体は1996-1997年ということなので、結構古い話ですね。作品中に「ワープロ」が登場してたので、作品の時代設定がそうなのかと思いもしたのですが、そうではなくて、執筆時点での「現在」だったのですね。
この作品は「入れ子式小説」のようで、小説について書かれた小説です。商品紹介には
「鮫島巧一は趣味が読書という理由で、会社の会長の別宅に2泊3日の招待を受けた。彼を待ち受けていた好事家たちから聞かされたのは、その屋敷内にあるはずだが、10年以上探しても見つからない稀覯本(きこうぼん)「三月は深き紅の淵を」の話。たった1人にたった1晩だけ貸すことが許された本をめぐる珠玉のミステリー。」
とありましたが、これは第1章「待っている人々」のさわりに過ぎません。鮫島功一と好事家たちが稀覯本を探すために滞在している屋敷は、本好きにはたまらない舞台設定なのではないでしょうか。亡くなった人が大層な活字中毒者で、様々なものを片っ端から読みまくり、読んだ本から部屋に放り込んで何十年。大きな屋敷の地下室も一体いくつ部屋が分からない中の多くの部屋が本でぎっしり満たされているというもの。その中から読みたい本を見つけて抜き取るのは難儀そうですが、そんなお屋敷に一度足を踏み入れたら、私などは2度と出てこれなくなりそうです(笑)
で、その亡くなった活字中毒者のダイイングメッセージが【ザクロの実】だったそうで。稀覯本「三月は深き紅の淵を」は屋敷の中に隠したから、それを探してみろ、と。それで、その探すヒントが【ザクロの実】。
4部からなる「三月は深き紅の淵を」は、どの章にもかならずザクロが登場するとか、1部から4部までのストーリーがどうだったかなどが、ダイイングメッセージが【ザクロの実】の謎を解く過程で語られていきます。
なかなかワクワクして面白い話だと思います。
第2章「出雲夜想曲」も、第1章の稀覯本「三月は深き紅の淵を」の設定を一部引き継いでますが、この章では二人の編集者がその作家を訪ねに出雲へ向かう話です。一人の編集者・堂垣隆子が出版社に就職した時に教師をしていた父からその本を借りて読み、作者が誰なのか気になって何年もリサーチした結果辿り着いた一つの結論を同行している編集者・江藤朱音に夜行列車で酒盛りしながら語るところにかなりのページ数が費やされています。作者はどんな人だったか推理する二人の掛け合いは楽しそうです。
第1章の結論部を読んだ後だと、その設定の食い違いに戸惑いますが、これはこれで面白い話で、この謎の本がなぜ自費出版され、なぜ限られた人に配られた本を後になって回収して回ったかが、ちょっと意外な形で明らかになります。
この章の中に出て来る描写で、まだ少し頭を悩ませている表現があります。それは、「鼻の奥に眠っているトカゲがそろりと起き出すような香りが、肩に残っていた昼間の残滓を抜いていく。」と夜行列車の中でバーボンが注がれるところを眺める堂垣隆子の主観を描写するくだりです。「バーボンから漂う芳香が普段は全然刺激されないような鼻の奥の嗅覚神経をムズムスと刺激する」ということではないかな、とは思うのですが、なぜ「トカゲ」なのかという疑問は残ります。「そもそも鼻の奥にトカゲが眠っている」という発想自体が奇妙で、不気味な感じがするのは私だけでしょうか。
まだ「近所のおばさんのような実用的な駅だった。」と堂垣隆子が出雲駅に着いた時に語る印象のほうが普通に思えてくるくらいです。これ自体、結構妙な比喩だと思うのですが。
第3章「虹と雲と鳥と」では、いきなり女子高生2人の転落死から始まる古典的なミステリー展開なのですが、この死んだ少女のうちの一人・篠田美佐緒が小説家になりたいという願いを持っていて、もし自分が書けない時は美佐緒の家庭教師で編集者志望の野上奈央子に代わりに書いてくれるように頼んでいたことが物語の進行と共に明らかになります。話の焦点はやはりなぜ二人の少女たち、篠田美佐緒と林祥子が死んだのか、ということにあります。自殺か他殺か事故か。最初は誰が主人公なのかよくわからない断片的な印象を受けます。祥子の親友、美佐緒の元カレ、美佐緒の部活仲間そして美佐緒の元家庭教師。それぞれが握る様々な断片がパズルの断片のように物語というテーブルの上に投げ出されているような印象。
それがそのうち美佐緒の元カレと美佐緒の元家庭教師の二人が、死んだ二人の関係や足跡を負うことになり、予想外の真実にぶち当たるという展開になります。ラストは美佐緒の遺言になってしまったお願いを奈央子がきっと叶える日が来るだろうと予感するところで終わっています。つまり、小説はまだ存在していないわけです。
第4章「回転木馬」では、この小説の作者が今まさに小説「三月は深き紅の淵を」を書こうとしているところが書かれていて、稀覯本「三月は深き紅の淵を」の粗筋として暗示されていた部分や4部構成であることを受け継ぎつつ、全然違う物語が展開していきます。「こんな書き出しはどうだろうか」という疑問文が所々にさしはさまれるので、それで初めて自分が作中作を読んでたことに気が付いたりするわけですが、一人称で語られている部分(これは執筆中の作品「三月は深き紅の淵を」の視点と執筆中の作者の視点)と、彼女という三人称で語られている部分(これの位置づけがあまりはっきりしない。)と「理瀬は…」という固有名詞で展開される不思議な学園(そこは「3月の国だ」という)の話が、とりとめのない回想シーンが折り重なるように綴られていて、気を付けないと迷子になりそうな不安定な感覚に襲われます。その境界線のはっきりしないところが、物語全体に奇妙な捻じれと歪みを生じさせ、独特の多重世界を内包するx次元空間を形成しているようで、やっぱり迷子になるしかないような…
そしてラストに幻の小説「三月は深き紅の淵を」を今書こうとしている小説家の視点に戻ってきて、訳も分からずなんとなくほっと息をつく。そして自らに問う。「私は今何を読んでたんだろう?」と。