ずっと行きたかった上高地
今年は本当にいっぱい旅行できました
ホテルからあかんだな駐車場までマイカーで行き、そこでバスに乗り換え
平日だというのにバスは満席
奈緒と私は大正池で降り、母は河童橋まで先に行ってもらった
大正池から河童橋までハイキング
最高の天気
空気が違います
槍見館をあとにして、上高地へ
大正池
上高地は、約1500mくらいの高さにあり、山地帯と亜高山帯との境界付近にあたる
山の斜面に見える色の濃い林は亜高山帯の針葉樹林で、標高2500mくらいまで続いている。それより上はハイマツ群落や高山植物のお花畑がある高山帯になる
正面の山は焼岳
中千丈沢の扇状地は霞沢岳から押し出された砂礫が積もってできた地形である。上高地には中千丈さわのような場所がいくつもあり、焼岳の中腹から上高地を見下ろすと、大量の砂礫が供給される様がよくわかる
上高地では、小梨平や駐車場周辺に一部植林されたものがあるが、広い範囲にわたって天然のカラマツが見られる
カラマツは、乾燥したやせ地や多湿な湿原周辺にも生育し、河川のはんらんなど、環境の変化にもよく耐えるが、極端に湿ってくると立ち枯れてしまう
田代池
池の正面に見えるのは、六百山や霞沢岳といった山々である。こうした山々に降った雨は、砂礫層を通る伏流水となり、田沢池に湧き出している。
池底には、枯れた水草などが少しずつ積もり、また、大雨によって大量の土砂が流れ込んだ結果、大正4年(1915)に最深5mあまりあった池の大部分は湿原かしている。
ここは標高1,500m
正面の谷が岳沢で、その奥の平らな頂点が標高日本第三位の奥穂高岳(3190m)
左側に西穂高岳、右側に前穂高岳、明神岳が連なっている。これらの稜線は堅くて節理の発達した火山帯からなるため、激しい浸食作用に耐えてとがった峰や断崖絶壁を作っている
火山岩は約175万年前に噴火していたカルデラ火山の中に堆積したもので、その主体は高温状態で火山灰が固まった凝灰岩からできている
北アルプスが現在のような高い山になったのは、約260万年~80万年前の隆起運動のためである。この急激な隆起とともに、梓川は岐阜県側に流れる深い谷を刻んだ。上高地の細長い平地は、約1万2千万年前に焼岳のとなりの白谷崋山の噴出物が谷をせきとめてつくられた巨大な淵(古上高地淵)を周囲の山からの土砂が埋めた結果できたものだ。その土地の厚さは大正池付近で300mに達する。古上高地淵を満たした湖水は、南東部の陵部からあふれ出し、松本盆地に向かう現在の川の流れとなった
マユミの可愛い実
ウエストン碑
英人牧師ウォルター・ウエストンは、明治21年(1888年)から同28年(95年)までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、我が国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作った
またその間の紀行文『日本アルプスの登山と探検(明治29年)』により、中部山岳を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されている。ここにあるレリーフは、日本山岳会が昭和12年にウエストンの喜寿(77歳)を祝って作られたもので、昭和40年にかけなおされている。
感動の3日間があっという間にすぎた
奈緒は平湯バスターミナルから14:30発の新宿行きのバスに乗り、東京へと戻って行った
母と私は奈緒を見送り、予定通り、20時半すぎに到着