四つの人 縁
「語るに足る人物」と言う言葉があります
これは自分の真意を よく理解してくれる人という意味であろう
この反対に「語るに足りない人物」というのは 自分の真意をまったく理解できないか あるいは 自分とはまったく異なる人生観の持ち主なので あえて 自分の考えには同意すまいと構えている場合もあろう
釈迦は自分の説法を理解しない人々を「縁なき衆生」と呼んだ
だとすれば そもそも 「縁」というものは 人間同士の心の結びつきを前提としているものかも知れない
世間における人間関係 すなわち 交際とか「つきあい」というものは
「人縁」すなわち「心の通いあっている間柄」とは重なり合いながらも まったく連動していないことも多い このようなケースは 結婚相手や肉親間にさえ 多々あることである
しかしながら 世間と人生「建て前」と「本音」がうまく同居しあっているように「つきあい」と「人縁」も うまく家庭内別居しているようにも思える
私は 人縁は四つケースに分けられると思う
1、「語るに足りる相手」 これは自分の真意を理解してくれる人々である
2、「説くべき相手」自分の提案や主張に好意を示す人々
3、「話しかけても差し支えない相手」いわゆる袖すりあうも他生の縁の人々
4、「黙して 心の内を見せるべきではない相手」これは自分にとっては世間にもっとも多く存在する人々である そして しばしば自分のもっとも近きいる相手でもある
これらの「語る」「説く」「話す」 「黙す」の四つのケースに対して 自己コントロールを巧く行うことこそ 人間界を安全に泳ぎぬくコツというものではあるまいか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無為自然に任せる時
人生の長い間を すべて無事に過ごすことは難しい 思いもよらなかった大災難に見舞われ 心身の生きる力が喪失し 生きている実感さえ感じられなくなってしまうこともある
これは 事件ショック あるいは その後のストレスで 生氣エネルギーが減衰してしまっているのである
このような時には すべてについて 億劫な氣分に支配されていて 将来に対する夢も希望も考えられる状態ではない こんな場合「氣を強く持て」とか「しっかりしなさい」とか励ます言葉に効き目は無い いや それどころか 励ましは逆効果になって ますます落ち込んでしまうことすらある
こんな時には一切の知恵才覚を放棄しすべてを 無為自然の力の任せてしまうことが必要である そして天地の運行に身を任せたまま 生命力の再起 生氣エネルギーの自然回復を待つことである
すると「生命そのものの有り難さ」が感じられてくることがある これは生氣エネルギーが再び増してきた証拠である
すると「ただ生かされて生きていることの有り難さ」に氣付き 「感謝の喜び」を覚えるようになる こうなったら占めたものだ なぜなら この瞬間から 好転するからである
ものぐさ和尚・・詩
きのうのことは過ぎたこと あしたのことはまだ来ない
極楽往生 どうでもいいし
精進功徳わしゃいらん 腹がへったらめしを食い
疲れてくれば寝るだけさ こんな楽しみ あることを
わかるやつには わかるけで おそらくお前にゃ わかるまい
唯心円成会 HP・・今日より拝見出来ます
唯心円成会 HP
「語るに足る人物」と言う言葉があります
これは自分の真意を よく理解してくれる人という意味であろう
この反対に「語るに足りない人物」というのは 自分の真意をまったく理解できないか あるいは 自分とはまったく異なる人生観の持ち主なので あえて 自分の考えには同意すまいと構えている場合もあろう
釈迦は自分の説法を理解しない人々を「縁なき衆生」と呼んだ
だとすれば そもそも 「縁」というものは 人間同士の心の結びつきを前提としているものかも知れない
世間における人間関係 すなわち 交際とか「つきあい」というものは
「人縁」すなわち「心の通いあっている間柄」とは重なり合いながらも まったく連動していないことも多い このようなケースは 結婚相手や肉親間にさえ 多々あることである
しかしながら 世間と人生「建て前」と「本音」がうまく同居しあっているように「つきあい」と「人縁」も うまく家庭内別居しているようにも思える
私は 人縁は四つケースに分けられると思う
1、「語るに足りる相手」 これは自分の真意を理解してくれる人々である
2、「説くべき相手」自分の提案や主張に好意を示す人々
3、「話しかけても差し支えない相手」いわゆる袖すりあうも他生の縁の人々
4、「黙して 心の内を見せるべきではない相手」これは自分にとっては世間にもっとも多く存在する人々である そして しばしば自分のもっとも近きいる相手でもある
これらの「語る」「説く」「話す」 「黙す」の四つのケースに対して 自己コントロールを巧く行うことこそ 人間界を安全に泳ぎぬくコツというものではあるまいか
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無為自然に任せる時
人生の長い間を すべて無事に過ごすことは難しい 思いもよらなかった大災難に見舞われ 心身の生きる力が喪失し 生きている実感さえ感じられなくなってしまうこともある
これは 事件ショック あるいは その後のストレスで 生氣エネルギーが減衰してしまっているのである
このような時には すべてについて 億劫な氣分に支配されていて 将来に対する夢も希望も考えられる状態ではない こんな場合「氣を強く持て」とか「しっかりしなさい」とか励ます言葉に効き目は無い いや それどころか 励ましは逆効果になって ますます落ち込んでしまうことすらある
こんな時には一切の知恵才覚を放棄しすべてを 無為自然の力の任せてしまうことが必要である そして天地の運行に身を任せたまま 生命力の再起 生氣エネルギーの自然回復を待つことである
すると「生命そのものの有り難さ」が感じられてくることがある これは生氣エネルギーが再び増してきた証拠である
すると「ただ生かされて生きていることの有り難さ」に氣付き 「感謝の喜び」を覚えるようになる こうなったら占めたものだ なぜなら この瞬間から 好転するからである
ものぐさ和尚・・詩
きのうのことは過ぎたこと あしたのことはまだ来ない
極楽往生 どうでもいいし
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