あすか姫の七色の道

料理好きがこうじて、色々な事に興味を持ち…そんな色々な道をすすんでみる日々を綴ります。

忍耐と努力と、諦めの人生?!

2014-10-25 23:34:47 | 悩み
あすかは、元金融機関の営業専門職だった。

現役当時は、
新規顧客開拓、常にNO1。
男性と変わらぬお給料を頂いていた。
いち時期はおやじ(夫)のそれをうわまっていた。

最初のお客様とは、
1500万円の退職金運用契約をさせて頂いた。

自分との闘いの毎日。
あすかをライバル心ありありで攻めてきた人もいたが、
そんなの無視。
数字は常に、自分との闘いだった。

自分に厳しく、人にやさしくが、モットーで、
生きてきた。

そして、自身の格言は、
『人は変わらないから、自分が変わる』。

企業研究が大好きで、
研修センターで1週間缶詰ってこともあった。

先日、某TVで、
ダイキン工業会長 井上 礼之(いのうえ のりゆき)さまが
云っていた言葉に感銘をした。
入社式慣例、円卓を囲んだ役員達との対話の席にて
「離婚はできるだけせんようにした方がええと思う。
辛抱したら、また味が出てくる。
まだ独身の人たちに言うの悪いけどね、
結婚というのは忍耐と努力と、諦めの人生」。

すんごいひと!!
あすかもそう思う。

両親から虐待を受け続け、
父親が母親にDVするのを見続けてきた。

そして、
あすかが11歳の時、
夜逃げのように母があすかを連れ、実家へ。
あすかが14歳の時、
母は突然死した。

あすかは施設に入所を希望したが、
母の姉である伯母が、
自身をなげうって、
あすかを受け入れてくれた。

それから、
祖母が、今でいう『認知症』になった。
当時は、今の様に、法整備が整ってなく、
治療費はかさむ一方。
高校中退を余儀なくされた。

夢は、家庭裁判所の裁判官。
あすかの様な子供たちを助けたかった。
だから、大学を出て、
司法試験に受かることが必要だった。
当時は、大卒が受験要件だった。

けど、
衣食住をすべて自身でしていたので、
時間とお金との戦いだった。

結局、夢は実現しなかった。
でも、今でも、出来たら、実現させたい。

国家公務員だから、
全国転勤は当たり前。
それでも、良いと思っている。

あすかは、
幼児・児童虐待するもの、
DVをするものに、
声を大にして云いたい。

あなた以上に
傷ついている人がいるんだよ、と。

お仕事探しています。

2014-10-24 00:50:05 | 悩み
ただいま、あすかは、就活中。

これが、かなり、しんどい。

また、一社、不採用通知がきた。

やっぱり、年齢の数だけ、受けなきゃダメ?!

常にDVを受けながら平常心を保つのは、
本当にしんどい。

どなたか、お仕事、紹介してくださいませんか?

本当に、辛いんです。

心無いひとこと

2014-10-23 12:10:37 | 悩み
きょう、車中で、耳の不自由な方と
お話ししていました。
必然と、声は大きくなります。

それを、
うるさい!!って
注意された。

健常者には理解できないだろう。
これは、
先日、
盲導犬を刺した人間にも匹敵する、
心無いひとこと。

よっぽど、
障がい者手帳をだし、
「障害で、聴覚障害の症状がでてきてる。
これ以上、いうなら、
警察に行き
顧問弁護士をよんで、
傷害罪で告訴する」といいたかった。

悔しい。

心が折れそう

2014-10-21 01:00:59 | 悩み
なぁ~んか、甘いんだよね。
考え方が
っていうか人生をなめてる。
おやじ(夫)とその家族。

苦労知らず?!
高卒っていっても
中卒だよ。
学識がないって
人間性が貧しいよね。

世間知らず?!
って、もう70歳だよ。
なにやってんの?
なにしてきたの?

あ~嫌だ!!

だから、
心にエネルギーを入れる為


大好きなタイ料理店のランチビュッフェ
そして贅沢して
単品でマンゴーラッシー。
このマンゴーラッシーが絶品!!

しばし、
体重増加は気にしない、気にしない、
すぐに45キロに戻るし、
っていうか
3月に53キロあった体重が
たった3っヶ月で45キロ。
そうなっても、
一切心配なしな
おやじ(夫)とその家族。

だめだ、もう、しらん!!

『金にならない・・・』って・・・。(涙)

2014-09-29 22:00:52 | 悩み
まだまだ人生頑張らなきゃって、
思い切って、
踏ん張ろうと思って、
決断したのに…。

『金にならない…』って。

モラルハラスメントなんだけどね・・・。

パソコンだって、
操作できるだけでは、
採用決定の判断材料には、
力不足。

どうせなら、
公的資格を取得するべき。

やっぱり、
高校と専門学校にただ行っただけの
『中卒』には理解できないんだよ。

わたしは、
家庭裁判所の判事になりたくて、
必死に働いて
必死に勉強した。

時間とお金と両立できなくて、
今に至るけど・・・。

人間一生勉強だよね。

夢だったら・・・。

2014-08-13 17:57:15 | 悩み
夢だったら・・・、いいのに・・・

と、今もそう思っている。

それは突然だった。


それで、

わたしは、

心と身体のバランスを崩し・・・。

ずっと・・・、ずっと・・・。

つらいまま・・・。


街をゆく人々が、

みな、

幸せいっぱいに見えてしまう・・・。


不安で、不安でいっぱい・・・

なのに・・・

自然でいなくてはならない・・・。


ひとりよりも・・・つらい・・・。

2013-06-13 07:46:07 | 悩み


2003年秋、『おば』は逝ってしまった・・・。


そして、


あすかは、ひとりぼっちになってしまった。


あすかは、


幼児・児童虐待、育児放棄の被害者です。


幼児虐待は、


生まれる前から受けていました。


子供を望まないのに、


その対策をしなかった父親は、


あすかが母親のお腹にいる時から、


母親にたびたび包丁を突きつけ


「おろせ!!」と脅迫をしたそうです。


さらに・・・


母親のお腹を何度も蹴り上げました。


その為、


あすかは、


逆子となり・・・


首にへその緒が何重にも巻きつき、


仮死状態で生まれてきました。


生まれてからも、


父親からの虐待は続き、


「お前なんか死んでしまえ!!」等の暴言、


暴力は、


殴る蹴る突き飛ばすは頻繁にあり、


髪の毛を引っ張りあげられ、


引きづり回されたり、


さらに、


その髪の毛を引っ張り上げられた状態で、


ガラス戸に投げつけられたりもしました。


同様の暴言・暴力は、


母親も受けていました。


『DV』というものですね・・・。


母親もそんな父親の『DV』に耐えれず、


あすかに幼児・児童虐待、育児放棄をしました。


そんなあすかの状態をみかねた


母親の姉である『おば』は、


離れて暮らすあすかに、


普通の本当の両親の愛情・・・


それ以上の愛情を


そそいでくれました。


あすかが12歳になる年、


父親の暴言・暴力は、


あすかの命をも脅かす状況となり、


両親は別居、


離婚調停が開始されました。


やはり・・・


離婚調停では終わらず、


裁判所にもちあがり、


裁判となりました。


この調停・裁判中に、


母親は心労が原因でしょうか・・・


52歳で亡くなりました。


母親が亡くなり


『あすかをどうするか?』


という話になりました。


あすか自身は、


やはり『施設生活』を覚悟しました。

これで、


『判事』になる夢は無くなった・・・。


『判事』になって、


男と女になってしまった人間たちに


自身の経験から話しをして、さとし、


自分と同じ想いをしている子供たちの


気持ちを伝えたい・・・助けたい・・・


そんな夢はもう無理。

『施設生活』ともなれば、


さまざまな規則で、


高校までの生活となり、


それ以降は自立して、


ひとりで生きていかなければならない・・・。


もう・・・駄目だ・・・と絶望しました。




しかし・・・


あすかの『施設生活』を心配した『おば』は、


あすかを引き取ってくれました。


自営で、


固定した収入が入らないうえ、


資産もないのに・・・。


それ以来、


『おば』との生活が始まりました。


経済的に苦しかったであろうに、


あすかの


「自身で働いて全てする。」の言葉に


大学まで進学させてくれました。


大学の入学式。


一番いい着物を着て出席してくれて


あすかの初めての『スーツ姿』に


目を細め・・・微笑んでくれた顔・・・


忘れられない想いでのひとつです。


大学の卒業式。


結局、司法試験には挑戦さえできずに、


法律事務所の事務員という結果に、


何も云わずに、


『矢絣(やがすり)』の


はかま姿を着せてくれました。


1995年、


あすかは結婚しました。


あすかは、


“結婚はしない。


親以上の存在の『おば』に


一生かけて孝行する”と心に決めていました。


当時、


夫となる彼に、


あすかが受けた幼児・児童虐待、育児放棄、


『おば』がそこから救ってくれたこと、


だからこそ『おば』をひとりにはできないこと、


できれば『判事』になりたいこと


等などを話しました。

彼も彼の両親も、納得してくれたと思いました。


1998年、


『おば』が


進行性の乳がんと診断されました。


左胸部全切除予定術前の説明を、
執刀医の強い希望で、


彼とあすかのふたりで受けました。


「左胸部全切除は問題ないが・・・


過去に肺炎を繰り返し起こしたため・・・


片方の肺が機能不全になっている。


その為・・・


麻酔から覚めず・・・


そのまま逝ってしまう可能性が大きい・・・


おつらいでしょうが・・・


覚悟してください・・・。」


全身から血の気が引くのを感じ・・・


絶句しました・・・。


手術は・・・


成功し・・・無事に麻酔から覚めました。


しかし、


左脇のリンパ節に転移がみられ、


左脇リンパ節から左胸部までの


広範囲な切除手術となりました。


2000年、


抗がん剤治療で辛そうな『おば』を


ひとりにしておけない・・・と


彼とあすかが暮らす家へまねきました。


2001年、


キッチンに


『さわるな、ぼけ。


この死にぞこない。』と


乱暴に書かれた紙切れを見つけました。


そして、あわてて隠しました。


自分が気に入らないことをしたからと云って・・・


命を懸けた手術を受け、


いまは抗がん剤治療をしている人に・・・


なんてことを・・・。


人間は、


最後の最後でも・・・


絶対してはいけないこと・・・


絶対云ってはいけないこと・・・


があるはずです。


このことを、


まず、


彼の父親に相談しましが、


「そう云わせた者が悪い。」と云われました。


そして、


彼の母親に相談・・・


「あんた、失礼よ!」と逆切れされました。


この時から、


あすかの、


“ひとりになって・・・


ずっと『おば』を支え生きる”


ことへの努力がはじまりました。


まず、国家資格をいくつか取得しました。


そして、


転勤がなく、


収入も安定している仕事に就きました。


しかし・・・


2003年のはじめ、


『おば』のがんが、


かろうじて機能している肺のほうに、


転移していることが判りました。


しかも・・・余命は・・・数か月・・・。


それからというもの・・・


さらにいろいろと必死になりました。


でも・・・・


『おば』は逝ってしまいました。


あすかは、


最後に『おば』には、


安心させてあげれたでしょうか?


このことを・・・


いまもずっと問い続けています。


『おば』が逝ってしまって


月日がながれて・・・


ひとりで生きることができないでいる


いまのあすかをみたら・・・


どんなにか心配をかけているかと・・・



希望的観測ゼロ・・・。

2013-05-29 18:09:48 | 悩み


きょう、関東も梅雨入りしましたね。


あすかの気持ちも・・・


梅雨入りです・・・

ある事が、


『希望的観測ゼロ』と確定的になりました。
きょうは、


それを確認し、自分に言い聞かせた日になりました。


歴史は繰り返す?!

まだまだ・・・


ずっとずっと・・・


我慢しなくてはならないです・・・。



それは・・・


自分がこの世から消えるまで・・・


続く事実です・・・。


いつもいつも


『自分は何故生まれ、


こうして生きていなくてはならないのだろう』と


問いかけ続けています。



いろいろありすぎまして・・・(号泣)

2012-02-12 12:34:20 | 悩み
今年にはいってから
いろいろありすぎまして・・・、
主治医の先生から、
療養のための入院をすすめられております。
でも、わたくし、あすかが入院すると
愛娘(猫)かんなのお世話をする(投薬等)人が
いなくなるので・・・
出来ないです・・・、入院。
ましてや
入院するお部屋は個室で
一日2万円の差額ベット代が必要で
経済的にも無理です・・・。
そのぉ・・・、いろいろとは・・・。
1月第一週の週末、
全身が痛くて眠れず
痛み止めと睡眠導入剤を飲んでもNG
第二週の週末には
過呼吸をおこし、
(救急車は呼ばずにすみましたが、)
大変なことに・・・。
この次の日は
かんなの定期通院日だったので
無理を押していったところ・・・。
ずっと気になっていた
左耳の中のほくろ状のものを相談すると
そのまま入院
翌日早朝、緊急切除手術をすることに
手術自体は成功したものの
普段から神経質なかんなが
ものすごく神経質になって帰宅。
落ち着かすまで数日かかり・・・。
その間
昼夜を問わずの介護。
約二週間後、
切除した箇所の病理検査結果がでて・・・。
「アポクリン腺腫」といって
分泌腺にできたできものらしく
良性のものもあれば
悪性で腫瘍・・・つまり癌のもあり・・・
かんなのは幸いにも良性でした。
なので、
人間が整形手術でほくろをとる様に
電気メスで焼き切った感じで済みました。
でも、悪性腫瘍だったら
そのほくろみたいのができた側の耳を
全部切り取ることになっていたそうです。
しかし・・・
かんなの事はこれだけで終わらず・・・。
病理検査結果を聞く為と傷口をみせに
病院に連れて行った翌日午前3時半頃
突然嘔吐し、容体急変。
普段だったら、
吐いた後は、あ~すっきりしたと
何事もなかった様に
ごはんを頂戴というのですが
今回は
「おぇ~、ぐわいわる~い」と
明らかに重症。
病院に電話をして指示をあおぎ
夕方まで様子を見て
そこで症状が変わらなかったら連れて行く事に。
幸い、
夕方までがっつり寝たら
いつものかんなに戻ってました。
そんなこんなで
いろいろあった中でも
すこしずつ時間を作ってはしていた
和菓子の検定試験の勉強。
無駄になってしまいました。
延期続きで
受験できなくなってしまったのです。(号泣)
そして、
最後に
だんなさんあらため T が
地雷を踏んでくれました。
約1か月半前に
決まっていた祖母の法事の日に
『出張』という名の
実は会社のレクで会社のお金を使って大阪へ・・・と
突然云いだしたのです。
祖母の法事のことを云うと
聞いていない、知らないのいってんばり。
もともと
物忘れが激しい T 。
あすかが
『云ってダメ
書いてダメ
メールしてダメ』
なら、どうしたらいいの?
というと。
「俺は、
自分の得になることしか
頭にないんじゃ」と。
「うるさい!!
いま、忙しんじゃい。
あっちへ行ってくれ!!」
とテレビを見ながら
背中越しに・・・。
人生、損得勘定で・・・。
怒りを超えて
悲しくなり、絶望感まで覚えました。
もう、我慢も限界かも・・・。
いらい、
もう、何もする気力がおきません・・・。

お力をお貸し下さいませんか?

2011-07-11 16:23:45 | 悩み
通っているシュガークラフト教室の修了制作で
ウエディングケーキを作ることになりました。
好きな国『韓国』をイメージして、作ります。
シュガークラフトで作って飾るお花は
白い『ムクゲ』にします。
有名なシュガークラフトの某先生のご本に
作り方の大まかなことは載っていますが
参考にならないのです。
Google画像検索もしてみましたが、
なかなか見づらくて・・・。
どなたか、お庭に、
ムクゲをお育てになっていらっしゃいませんか?
つぼみから咲くまでの時系列的なお写真
お持ちではないですか?
また、ここなら、咲いているよという場所を
ご存じないでしょうか?
すみません。
わらをもつかむ思いでおります。




厚く、高い壁とは・・・。

2011-07-03 09:29:03 | 悩み
いまから約一年前のこと。
某役所にとある申請をした。
手続きが終わり、帰り際、
最後に言われた言葉。
「通常なら3か月位でご報告出来るのですが、
ご時世で、大変混んでいて
早くてもそのぉ~・・・。」
その言葉を受けて、
もしやと思い、
「もしかして、年末までかかりますか?」と
こわごわ云ってみると
コクリとうなずく担当者。
ひぇぇぇぇぇ~、そんなぁ~
思いっきり凹みながら、
とぼとぼと、雨が降る中、帰宅の途に。
そして、昨年の年末。
申請した結果が来た。
当初、予定していた通りの内容でほっ
年明けの今後の予定通知を待つばかりに。
年明け、その予定通知が届いた。
ん?なんか変だ。
申請した内容が微妙に減少している。
だんなさんに訳を話し、
一緒に役所に説明を受けに行ってくれることに。
役所に行って、説明を受けようとしたが、
出てきた窓口担当者も
何が何だかわからない様子。
結局、責任者格の人が出てきて
最初に出てきた担当者を指導?!しながら
事の次第がわかった。
要は、とある時から、
申請した内容の半分になったのだ。
半分なんて、想像しようもない。
だんなさんも激怒。
っていいますか、
だんなさんのほうが激怒。
わたしは、ただ、悲しくて、情けなくて
涙が止まらなくて・・・。
このとある申請は、
役所に提出するので、
杓子定規の役所らしく、
提出書類の種類と枚数が多くて複雑。
通常なら、
行政書士に作成依頼する人が多い。
だけど、わたしは、
いろいろな資料をもとに
それを整理して自身で作成した。
だんなさんをはじめ、
友人等が驚くほどのそれだった。
そんなこんなで、
そうしても受け入れられない現実。
異議申し立てができるとの事だったので、
当然、それをした。
この異議申し立ての結果報告も
相当期間で出るのが普通なのだが、
やはりご時世と・・・。
3か月以上経過したら、
進捗状況を問い合わせてくれと・・・。
そして、
やはり3か月以上たってしまったので、
役所に問い合わせに行こうと思っていたら、
やっと先月6月末に結果が来た。
「請求を棄却する」…、
の言葉の後に、
ずらずらと理由が書かれた書類。
A4で20ページ近くもある。
だんなさんは
その全部を読んだが、
わたしは、
最初の一文で…、
深く落ち込んで、読む気にもならなかった。
 
それ以来、
何をするのもため息ばかりで、
気持ちを上向きにし、する事が出来ない。
この申請等にかかった時間は、
一年半近い。
時間は、もっと、大切なはず…。